昭和二十五年のご法難で、明主様は大変にご苦労され、ご自由の身になられて箱根でご休養のころ、たまたま碧雲荘へ帰っていらっしゃいましたが、大変におやつれになっておられました。
そのおやつれになった明主様が、私どもに言われたことは、『信者は動揺してはいないか。私の苦労は神様からやらされているのだからなんでもないが、信者は真相がわからないので心配しているだろう』というお言葉でした。
なんという慈悲にあふれた温かいお胸だろうと、私どもはほんとうに感激し、心をうたれました。
昭和二十五年のご法難で、明主様は大変にご苦労され、ご自由の身になられて箱根でご休養のころ、たまたま碧雲荘へ帰っていらっしゃいましたが、大変におやつれになっておられました。
そのおやつれになった明主様が、私どもに言われたことは、『信者は動揺してはいないか。私の苦労は神様からやらされているのだからなんでもないが、信者は真相がわからないので心配しているだろう』というお言葉でした。
なんという慈悲にあふれた温かいお胸だろうと、私どもはほんとうに感激し、心をうたれました。