和は信仰の根本

 信仰は夫婦、家族そろってするのがいちばんよいと思います。と申しますのはバラバラの信仰は、どうしてもほんとうの力がでないからです。たとえば夫婦のうち一方だけが信仰している場合、その発揮<はつき>する力は二分の一かと言いますと、そういうものではありません。ときには二分の一以下の力しか発揮できないこともあります。ちょうど炭火<すみぴ>をびとつひとつ別々にしておいたならば、火熱はきわめて少なく、ときには消えてしまいます。ところが二つ三つとあわせたならば、火力は二倍三倍ではなく、さらに四倍五倍にもなります。それと同様に、家族五人とか六人とかがそろって信仰をし、おなじ目的をもって協力をして進むならば、これは五倍六倍どころではなく、何十倍になるかわからないのです。かように和合することが、いかに大きな力を発揮するかということを、私どもは認識しなくてはいけません。戦国の武将毛利元就<ぶしようもうりもとなり>の矢の教訓<きようくん>も、この和合を教えたものです。それでせめて夫婦ぐらいでもそろって信仰はつづけたいものです。一方的な信仰は、骨折ったわりに功が少なく、ときには笊<ざる>に水をくむような結果に終ることもあります。神さまも和合のできている家の捧<ささ>げ物は、いちばんおよろこびになるのですから、できるだけ家族そろっての信仰になるよう努力することです。

「地上天国  一一三号」