明主様、二代様のご夫婦はいつも、どこへいらっしゃるのにも、ほんとうにご一緒でございました。
また何を遊ばされるのにも、必ず二代様にご相談なされて、非常に二代様のお気持を尊重なさっていらっしゃいました。こんなことは、いまではあたりまえのことでございますけれど、あの時代のご夫婦としては、珍しかったのではないかと思います。
昔のご夫婦の方は、たいてい父親が一段高いところにおりまして、母親と子供たちがその下にいるのが普通でございますけれど、明主様の場合は、いつも二代様もご一緒に中心に並ばれて、ちょうどレコード盤のように、その周りを子供たちが取巻いている、といったふうで、いつもご夫婦がひとつの単位になっておられたようでございます。
私たちも子供心に、よその家と違うような気がいたして、さびしいような時もごぎいましたけれど、いま考えますと、それはご夫婦としてはとても近代的で、むしろ、理想的な姿ではなかったかと思うのでございます。
そして名前なども、〝おまえ〟なんて呼びすてになさらず、明主様は必ず〝きみ″〝きみ″とおっしゃっておら
れましたが、そんなところにも二代様を対等に見られていらしたことれ窺われるのでございます。
また明主様は、よくご自身でもご自慢にしていらっしゃいましたけれど、電車へお乗りになる時に、席をお取りになるのがとてもお上手でございました。あんまり素早くて、私たちもなんだか恥ずかしいようでございましたけれど、その席は、ご自分がおすわりになるというのではなくて、必ず、二代様におすわらせになるのでございます。いま考えますと、そのころ二代様はお体がお弱くて、立っているのがとても大儀だったものですから、自然にそういうふうになられたのだと思います。
普通の男の方でしたら、家では親切にいたしましても、そんな時には沽券にかかわるとばかり、知らんふりをしているものですけれど、明主様はその点、実に堂々と二代様をおいたわりになって、ほんとうに思いやりの深い、お美しいご夫婦愛だったと存じます。