東方の光

 それからこれは前から話ししようと思っている事ですが、やっぱり時期が来ないと、はっきり話す事が出来ないので言わなかったのですが、時期が来ましたから今日初めて話しするのです。

 これは昔から、西洋でのよほど古い・・・キリスト教だろうと思いますが、「東方の光」という事を言い出したのです。

 「東方の光」というのは、人の口から口へとずっと話されているのです。「東方の光」というのは漠然としていて今までは本当に分らなかったのです。

 その「東方の光」に就いて今日話そうと思って居りますが、「東方の光」というのは私の事なのです。(中略)

 大体日本の神道というものは、神武天皇系でこれは九州の高千穂です。それからあとは出雲系です。そんな様な具合に、一切の宗教が西から来ている。只一つ丈東から出だのは、仏教では日蓮宗です。何時も言う通り、仏教はみんな夜の教え、月の教えです。その内に只一つ丈、日蓮宗が日の仏教だという事を言ってますが、日蓮が始めて「日」という事を唱え始めたわけです。そこで唱え始めたのが安房の清澄山というところです。もっともあそこで生まれたのです。安房の小湊の誕生寺というのは、日蓮上人の生まれたのを記念して言っているのです。

 私か昭和六年六月十五日に、安房の乾坤山日本寺という所に三十人を連れて行きましたが、その時に初めて黎明になった。という事を言ってますが、その前に日蓮上人は、その乾坤山(のこぎりやま)からちょっといった所で、初めて「妙法蓮華経」を唱えたのです。日蓮宗は六百五十年とも言うし七百年とも言いますが、妙法蓮華経を唱えられてから七百年で、死んでから六百五十年です。そのくらい前に、既に仏界は日が出たのです。昼間の世界の第一歩が始まったわけです。

 で、この「東方の光」というのは、つまり太陽です。昼間の世界になるという事は、太陽の照らす世界という事です。それで私のここ(腹部の中央)に光の玉があるのです。この玉が「東方の光」です。今言った様な、東から段々西の方に、あるいは中天に登っていく・・・と、そんな様な具合で、「東方の光」という謎がこににおいて解けたわけです。こうやれば本当に治るという事は、これから出ます。それで胸に光を放射されているわけです。(中略)

 それにはやはり私に光の玉がある・・・西洋の人は、エホバなら分かりますから、エホバから与えられている、その光の玉に依って治る。という事も精しく書きました。やはりそうしなければ徹底しません。

 そこで、これはキリストの話しになりますが、キリストは「天の父の霊によって、救いをやる」という事を幾度も聖書で言われています。ですからキリストは、エホバの子になるわけです。

 それで私の力は直接の力というわけです。私から言えば、キリストは予供になるわけです。今信者がやっているのは、キリストが行っていた事を盛んに行っていますが、この前も八年とか眼が開かなかったのが、二分ですっかり見えるようになった、というのがありましたが、今度「栄光」に出します。それから十三年位足が立たなかったのが、二十分で足が立って、翌日には立って歩く様になった。というのがありましたが、キリストが行った、聖書にある様に、盲の目が開き、跛(ちんば)の足が歩けた、という事かおりますが、私の弟子が今やっているのです。

 この事実で、今私か話した事は間違いないのですから、信ずるより外はないのです。

 そんな様な具合で、これから段々、神様が色々な方法を以て救いの業をされる。私はその執行機関です。

 どうしても霊ばかりでは世の中は救われない。世の中は物質で出来てますから、それには生きた人間が唱導しなければ駄目です。

 そういう仕事を私がさせられているわけなのです。ですから時の経つに従って、追々それが具体的に現れて来ます。

「御教え集第15号」 昭和27年10月18日

御教え集