教祖にお会いしたのは、昭和二十七年の秋だったと思います。大石秀典氏が、一度岡田さんに会ってみないかと言うんです。
それでぼくは、子供をつれて箱根へ行ったのです。子供は美術館が観たいというので、そちらへ行き、ぼくは教祖の住居の広い座敷に通されました。
やがて、教祖が出て来られたが、ここのところはちょっと時代がかっているな、と思いました。それというのが、お供みたいな人をつれて、ものものしく現われたからです。
その席での話はほとんど忘れてしまいましたが、ぼくが科学部の方をやっているので、科学と宗教の話が出たことは覚えています。 教祖は、科学は否定していませんでした。しかし、西洋医学には批判的でした。
たとえば、胃が痛むとする。西洋医学を専攻した医者は、胃だけの症状をみて、局部的な療法しかやらない。
人間というものは、そんなものじゃない。神経の面も考えなければならないし、血液の面も考えなければならない。総合的に診て治すのじゃなければだめだ。――教祖は、そういうことを話しました。ぼくもそれはそうだと思いました。
その教祖にお会いして、ぼくは、正直な人だと思いました。これは感心したことです。ぼくもいろいろの教団の人――教主や管長といった人を知っていますが、岡田さんのようなあけっぴろげな人は、ほかに知りません。
しかし、この正直さは、ほんとうに心の底からのものか、あるいは正直にズケズケ言うことによって、〝ああこの人は正直だ″と思わせる――そういう技巧でやっているのか、ぼくにはわかりません。言いかえれば、人心をキャッチする技術を十分に身につけていたのじゃないかと思ったことです。だが、それは根っからの赤裸々な正直さだったかもしれません。ぼくにはよくわからないが、結果的には、教祖の人柄に惹かれました。
そのあと、日光殿とかいう大きな座敷を見せてもらいました。信者がたくさん来ていました。こういう人々を引きずっていくカ――それがどういうものかわかりました。机の前の教祖、そしてその前に集まっている老若男女。そのあいだを結ぶものが、なんであるかがわかったように思いました。
それは一種特別の魅力なんです。人間的魅力なんです。というのも、教祖には取りつくろっているようなポーズがないからなんです。こういうところに好感がもてました。しかし、これもまたデリケートな心理を百も承知で、『さあ、書くなら、なんでも書きなさい』と、一種の逆手で、恥ずかしいことでもなんでも話されたのかもしれないし、そうなるとかえって新聞記者は書けなくなる、という計算からの技巧かもわかりません。
だが、とにかく常人ではなかったです。