天地の理法に合わぬ肥料

 世界救世教と熱海市とは、かねがね深いご縁を結んで来まして、いろいろと市のために協力して下さっておりますが、その教祖の岡田さんに初めてお目にかかったのは、ご昇天二年前の昭和二十八年の二月でした。

 それまでは、同じ熱海に住んでいましても、ついぞお会いしたことはありませんでしたが、私の方に事業のことで、ぜひ岡田さんのご意見を伺いたいことがあって、その日、水口町のお屋敷にお訪ねしたのでした。

 碧雲荘という立派なお屋敷で、応接間に通されると、まもなく白髪の岡田さんが、むぞうさに兵児帯を巻いた和服姿で出て来られました。かりにも教祖という地位にある人ですから、どんなに威儀をつくって現われるだろうと想像していましたが、しごくうちくだけた態度に、かえって面食ったほどでした。

 岡田さんは、『それはどんな事業ですか』とたずねられます。
 「実は、私の知人が発明した肥料なのですが、非常に効き目があるというから、私もその製造販売に片棒をかつぐつもりです」と私は勢いこんで申しました。

 すると岡田さんは、『肥料ですか、どんな肥料です』と、ちょっと眉を寄せて問われます。

 「その肥料は、さつま芋を腐らせてつくるので、これを使うと四割から五割の増産が見込まれるのです」と私は増産という言葉に力を入れて言いました。

 ところが、岡田さんは言下に、『それはおよしなさい』と強く言われます。

 私が納得できないという顔をすると、岡田さんは私の表情をチラと見て、『なるほど、さつま芋を腐らせたも施せば、一時は増産になるかもしれません。しかし、すぐにだめになります。そのわけを話しますと、さつま芋というものは、神様がわれわれの食物として作られたものです。その食物を、こともあろうに、わぎわぎ腐らせて、そしてそれを肥料に使うということは、もったいないばかりでなく、天地の理法にも合わないことです』と、言われました。

 それから、教団で勧めているという自然農法について、くわしく説明されましたが、岡田さんのお話で、私がその肥料事業を断念したことは、つけ加えなくてもいいかもしれません。

 その後、私は熱海市長に就任しましたが、岡田さんのご生前に、もっともっとお目にかかり、市政のことについてのご意見なども伺っておけばよかったと残念に思います。