竹を割ったように

 明主様は単刀直入、竹を割ったようなご性質でしたから、虚偽虚飾を大変きらわれました。

 私が岡田の家へまいりまして(大正八年)からも、お客さまがいらしていて、「そろそろ、おいとましましょう」と立ち上がられると、私の習慣で「まあ、よろしいではありませんか、もうしばらく」などと申しますと、明主様のご機嫌が悪いのです。

 また、ご飯など差上げます時、「もう、おしまいにいたします」とおっしゃるのを、「まあ、お湯づけでも、もう少しいかがでございます」などとお代わりをすすめますと、明主様は、『もういいって言ってるんだから、それでいいじゃないか。ハイって言って、しまったらいい』と、お客さまの前でよく言われたものです。

 いまから何十年も前のころ、そういうことをハッキリ言われたということは、〝やはり新しかったのだなあ〟とつくづく思うのであります。

 それで私が、「明主様は新しいですね」と言いますと、『いや、みなが古いのだ』と申され、「でもお仲人さんは、〝先生はとても変わっていらっしゃる″と言っておられましたよ」と言いますと、『それは世間が変わっているので、私があたりまえなのだ』 とおっしゃって澄ましておられました。