怒りを克服する
私は最近、怒りを和げる方法を神様から教えられたので、今その福音を伝えようと思う、およそ人間この世に生きている間、何が一番苦しいかといって憤怒に越したものはあるまい、稀には怒らない人もあるにはあるが、これは倖せのようでも …
奇蹟の解剖
奇蹟とは一言にしていえば、あり得べからざる事実がある場合をいうのであるが、実は有り得べからざるところに有るという事は、本当はないのである。だからあると思うのは、それは誤解以外の何物でもない、というと何だかややこしい話だ …
毒結五十年
私は十八歳の時肋膜炎を患ったが、その時は、横腹を穿孔して、二百瓦程水を除った、ところがその際の消毒薬と、そうして一旦治ってから一年後再発した時の服薬と都合二回の薬毒が、ちょうど背中と腋の下の間位のところに固まっていたの …
地上天国を造る
この論文は、前月二十二日、日比谷公会堂において本教講演会開催の砌(みぎり)、何しろ録音やハワイヘラルド紙等に掲載される予定なので、慎重を期し、前以てかいた原稿を持参したところ、さて私の時間となり演壇に登るや、自然に言葉 …
自分の悪に勝て
私は、この前悪に勝つという論文をかいたが、これは悪人に負けてはならないという意味であったが、今度は他人事ではなく、御自分の腹の中に居る悪に勝たなくてはならないという事をかいてみる、およそいかなる人間でも、腹の中ではいつ …
最後の審判とは
最後の審判とは、キリストによって発せられた言葉であるが、それはいかなる時期に、いかなる形によって表われるかという事で、キリストはそれについて全然言われなかったから、今以て謎とされているのである。特にクリスチャンは長い間 …
一の世界
そもそも、現代文明を検討して見る時、その構成は唯物科学が基本であることは言うまでもないが、今それについて詳しくかいてみよう。 それについえまず知っておかなければならない事は、大宇宙の構成である。といっても人間に直接関 …
慢心取り違い
大本教の御筆先には慢心取り違いを一番戒めているが、全くその通りである、だからこの言葉を頭に入れて、信仰者をよく観ると、思い当る点がこれに多いのである、それについてよくこういう事がある、浄霊の場合馴れない最初の内は、自分 …
天国は美の世界
神様の御目標は、真善美完き理想世界を御造りになるのである事は、本教信者はよく知っているところである。としたらその反対である悪魔の方の目標は、言わずと知れた偽悪醜である。今それを解釈してみるが、偽はもちろん文字通りであり …
再びベルグソンに就て
私は以前、フランスの有名な近代哲学者である、彼のアンリ・ベルグソンについてかいた事があるが、今度再びかいてみたい心が起ったので筆をとったのである。というのは、よく私に対って、色々な事を訊いたり、又私の方から話す場合、そ …