新宗教と世界の年齢
今日世間は漫然と、新しく出来た宗教だから新宗教といっているようだが、もちろんこれは当り前な話で何等言うところはないが、しかし考えてみねばならない事はその内容である。なるほど形は新しいとしても、内容が伴なわない限り、真の …
幸運の秘訣
この事について私は以前もかいた事があるが、今日の世の中を見れば見るほど不幸な人が余りに多いので、一層徹底的にかいてみるのである。言うまでもなく昔から人間の運不運ほど厄介な問題はあるまい。誰しも人心がついてから死ぬまでの …
時局雑感
私はいつも宗教的の事ばかりかいているから、たまには方面を変えてみようと思い、これをかいたのである。すなわち宗教家から見た時局観であって、最初まず世界の情勢から取上げでみよう。知らるるごとく昨年の今頃は、北鮮方面は休戦段 …
科学で証明された昼の世界
私はこの世界は長い間夜であったのが1931年6月15日を契機として、昼の世界に転換するという事を以前かいた事があるが、本月8日の東京日日新聞紙上に、左のごとき外国の学者の研究論文〔略〕が出ており、それが右の私の説と符節 …
汚職の母体
周知のごとく昨今次から次へと、芋づる式に出てくる汚職事件には、誰しもウンザリするであろう。恐らくこんなに汚職問題が一度に重なり合った事は、いまだかつて例がないように思う。もちろん司直の厳正な裁きによって、いずれは白黒判 …
再び汚職の母体
この題の下に前号に色々かいたが、まだ言い足りない点があるので、再びかいてみようと思うのである。というのは目下ジャーナリストがこの問題に対する批判として、各新聞に出ているのを見ると、もっともらしい理屈はかいているが、その …
疑獄も浄化作用なり
標題のごとく今度の汚職問題にしても、病気と同様一種の浄化作用である。信者は知る通り病気の原因は、溜りに溜った薬毒がある程度に達するや、ここに浄化作用が起り、その汚物排泄の苦痛であるから、病気を除くには原因である薬毒を排 …
救世教とは何ぞや 序文
この文をかくに当って、前もってて断っておきたい事は、我が救世教は純然たる宗教ではないのである。といっても、一部には宗教も含まれてはいるが、全部でない事はもちろんである。では何故救世教の名を付けたかというと何しろ有史以来 …
私は宗教科学者だ
宗教家の私が科学者といったら妙に思うであろうが、これを終りまで読んだら、いかなる人でもなるほどと思わざるを得ないであろう。というのはいつもいう通り、現代科学はまだまだ低く、科学というほどには到っていないからである。それ …
御神体奉斎に就いて
これは滅多にはないがどうかするとたまにはある事だから、ここに注意するのである。例えば最初妻君が入信し、熱心な余り主人や息子がまだ分らない内に、御神体をお祀りする。それを又いいとしている教師もあるが、これは大変な間違いで …