ご口述のお手伝いも、かなり馴れてまいりましたころ、素直さということで御教えをいただいたことがありました。
それはご口述になられたお原稿をご訂正になり、それをまた清書させていただいているときのことです。
ご文章の中のある個所で、字をお間違えになられたところがありましたが、誤字のまま清書してお届けいたしました。
と申しますのは、その前に、たしか『結核信仰瞭法』というご著書だと思いますが、その序文の中に真果という熟語をお使いになっておられますが、これを清書いたす際、私はまだこのような熟語を目にしたことがありませんでしたので、知ったかぶりをして辞書を調べて見たのです。ところが辞書には載っていましたものの、その意味が全然違いますし、文章の前後からして、あるいは真価という熟語とお間違えになられたのではないかと思い、お原稿をお持ちして、恐る恐る、「明主様、このご文章の中に真呆とございますが、真価のお間違いではございませんでしょうか」と申し上げましたところ、『真果でいいのだ。真の結果という意味だよ』とおっしゃられ、『とにかく、私の書いた通りに清書してくればよいのだ。私は文明を創造してゆくんだから、辞書にも載っていないような新語だって使うよ。第一おまえたちは常平生“浄霊”“浄霊”と言って、なんの不審なく使っているが、この浄霊なんて熟語は、どんな辞書を見たって載ってないよ』と お叱りをちょうだいしたことがありました。
ですから、今度の場合も、誤字だと思いましても、素直にそのまま清書してお届けしたのです。
すると、しばらくしてお呼びになられ、『実はこの前(真果という意味をおたずねしたとき)、私の言った言葉を、おまえがどれだけ守っているかと思って、わざと誤字を使ったのだ。素直に清書せずに、また間違っていると言って文句を言いに来やしないかとテストしてみたのだが、マアマアそのまま書いて来たから及第だよ』とお笑いになられながら、お言葉をいただき、身の縮む思いをいたしました。