昭和二十四年ごろは、御書のご揮毫に非常に力を注いでおられましたから、私ども奉仕者がする墨が追いつかなくて、なんとか早くすれる方法はないものかと、みなで考えたことがありました。
それでいろいろ工夫いたし、硯でするのは手が疲れますから、むしろ、墨の方を一定の位置に停止させ、硯の方を動かしたらいいだろうと、モーター式の金剛砂の原理を応用した“墨すり器”を考え出しました。
そして、ある教会にお願いし、その試作品が出来てきました。なかなか調子がいいので、明主様に申し上げますと、お笑いになられながら、『私は、からかさ屋やちょうちん屋じゃない。墨すり器でするとは何事だ。使うことは相ならん。墨は誠をこめてするのがほんとうだ。特におまえたちの生命ともいうべき「おひかり」や御神体を書く墨を、そんな横着な考えですってはだめだ。どんなに骨が折れても手ですりなさい』とおっしゃられ、結局、墨すり器使用のお許しはいただけませんでした。