“すべて”を捧げるということ

 總斎が明主様に対してすべてを捧げようと決意していたことは、実際に明主様に対して行なったご奉仕をみれば明らかである。總斎は普段から明主様のお言葉は神様の声であり、いついかなる場合であってもお言葉に従うのだと言い、また実践していた。しかし、言うは易いが行なうことはたいへん難しい。普通の人間がここまで、言行一致させることができるであろうか。

 これについて典型的な例は總斎の金銭面の御用である。總斎は、若くして事業に成功し、都内にはもちろん、関東を中心とし多くの土地を所有していた。これらの財産も次々と明主様にご奉仕させていただいている。總斎は明主様に文字通り“すべてを捧げた”のである。例えば、入信当時、それまでに蓄えていた私財を整理して次々と明主様に献上している。

 最初は新宿の柏木にあった数軒の家作を処分し、次に小田急沿線の生田の別邸建築予定地や、その資材を処分し献上した。また、明主様のご旅行に当たっても他の家作を売ってその費用を捻出している。なぜこのようなご奉仕ができたのだろうか。金銭的な御用・御奉仕についてどのように考えていたかを知ることのできる總斎自身の言葉が残されている。入信間もない岩松栄に、總斎は次のように言ったという。
「いまあんたは、暮らしに困ることはないけど、それは親から受け継いだ財産があるからでしょう。この神様は、そういうものを持っている限り、金銭のお恵みは下さらないものですよ。そういう財産というものは、大抵の場合、人の恨みか羨み、妬みが籠められているもんです。だから人の喜ぶ綺麗なことに使ったり、世の中を救う神様の御用に遣わせていただく、というふうにすることですね。神様はそういう人を、決して困らせるようなことはしませんよ」(岩松栄著『魂の目覚め』)

 とはいえ、總斎は、まず損得を考えて、全財産なげうっても神様の御用に役立てば、自分も絶対に経済的に困ることはないと打算的に行動したわけではない。見返りを考えて行なう振る舞い、それは御用ではない。明主様を信じ、明主様のお役に立つこと、この一事のみを考えて奉仕していたのである。明主様は、總斎にとって自身のすべてをなげうってでもお仕えすることのできるお方だったのである。

 總斎の明主様に対するご奉仕の意味は、總斎の“すべてを捧げる”という短い言葉に言い尽くされている。この“すべて”という言葉には、当然のことであるが、“程度”はない。總斎が自身のすべてをかけて信奉したお方に対して、“すべてを捧げる”のか“捧げない”のか、そのことをはっきりと決断した結果としての行動なのである。總斎の明主様に対する数々のご奉仕の姿は、私たちの信仰の至高の亀鑑である。