すべてこちらの想念次第

 ある時、立派な一対の徳利がビール瓶と一緒にお下げしてあるのを見て、こんなところに置いては危ないからと、ほかの場所に持っていこうとした時、それが倒れて瓢箪形の徳利のくびれたところから、ふたつに割れてしまったのです。

 さあ大変、どんなお叱りを受けるかと、その徳利を持ってお詫びに行ったら、明主様は、『それをどこに置いたのだ』と言われました。「お勝手の、こういう所に置いてありました」と申し上げると、『あ、それはあんたが悪いのじゃない。置いた者が悪いんだよ』とおっしゃって下さいました。

 明主様はいつも同じようにお叱りになるとはかぎらないので、たとえば粗相してお詫びに上がると、『世界人類を救おうと思う者が、そんなものひとつにこだわることないよ』とおっしゃる時もあるし、安いものでも大変お叱りをいただく時もあれば、高価なものでも、叱られずに、やさしくおっしゃって下さる時もあって、一様には申せませんが、やっぱりこちらの想念次第で、それを知らせて下さるのだと思います。