資質に修練を

 教祖は実に博学で、全くえらい人だなあと思っています。それにあの目の鋭さでもわかるように、直感力がすばらしいのにはつくづく感心しました。

 物を深く思考するというより、直感の力で把握するーーそういう鋭さはたいしたものでした。その直感力が非常に鋭いので、話をしていて、何か神秘的な感じさえ持たされてしまいます。

 その半面、非常にくだけていて、冗談も飛ばすだけのユーモアもあり、この点は吉田茂氏と似ていて、両者に共通しています。

 吉田茂氏も無類の皮肉屋で、東と知っていながら、それは西だとトボケたり、西を指して東だと言ったりします。教祖にもそういうトボケたところがありました。

 教祖のような人格は、天性の資質のあるところへ、修練が加わったものでしょう。天からのそういう才能がない人、あるいは少ない人には、無理な話ですが、しかしまた、そういう資質はあっても、修練も何もせず、野放し状態にしては出来上がらないものです。

 とにかく特異な人物で、ああいう人は滅多に生まれ出るものでないことはたしかです。

 初めて熱海のお宅へ伺った時でしたが、出されたフランス料理の鶏のうまさと言ったら、これが天下無類だったことをつけ加えましょう。

 私もフランスには行きましたし、フランス料理では、特にリヨンの鶏の味が世界一ということになっていて、私もそう思って食べたことがありますが、碧雲荘でご馳走になったフランス流の鶏料理のうまさにはかないません。それほど、その時の味は見事でした。

 教祖は、味覚の方も非常に鋭敏だったようですが、そもそも、うまい料理をつくるのは、コックの腕だけではだめなので、主人のこまかい指導が必要なのです。ああいう料理をつくらせる教祖の日ごろの指導ーー心くぼりがよくわかりましたが、こういう日常的なことでも、教祖は全くえらい人で、資質を修練で磨き上げた人物だと思っていますし