明主様のご日常を思いますと、表面はまことに明けっ放しのように見えましても、その実は宗教家としてのお立場を自覚されまして、法に叶った節度のあるご生活であられましたことをしみじみと感じます。
あの時間のやかましくいらしたことも、ご性格だとばかり思っておりましたが、聞くところによりますと、『私もたまには疲れて動きたくない時もあるが、それでは信者に時間の励行を言うことが嘘になる』とおっしゃっておられたそうでございます。御教えを垂れられますかぎり、ご自身で実行なさるべく努めていらしたことを知りまして、ほんとうにありがたいことと思った次第でございます。
『私の時間を狂わすことは神様の御用のお邪魔になる』とも仰せられたことは、常に神人合一の境地におられようと、厳しくご自身を律しておられた明主様にして、はじめて申せるお言葉でございましょう。
信仰者にとりましては、神様の御心に叶うようにということは大事なことでございますけれど、では神様の御心とはどういうものかと言いますと、やはり具体的にはなかなか判らないものでございます。
明主様はそれを、『私のようにすればよいのだ。私の気に入らないことは神様の気に入らないことで、私に及第すれば神様に及第するのだ』と、そのように思召されて、神様の御心そのままを日常の行ないを通して、私どもにお示し下さっていらしたように存じます。