失敗しても立直れる

 信仰は、概<がい>して人間の肚<はら>をつくり、知識は頭をつくるものです。霊を無視して知識と力のみに頼る人びとは、ものごとがうまくいったときはまことによろしいが、一朝にしてつまづくときは、いままでの自信もどこへやら、たちまち自暴自棄<じぼうじき>となり、せっかく築いた信用も人格も、ゼロにするような逆行動<ぎゃくこうどう>にでるものも少くありません。こんなとき、信仰心があったら、たとえ失敗しても神意<しんい>と解し、自重反省<じちょうはんせい>するだけの余裕綽々<よゆうしゃくしゃく>たる肚があるはずであります。しかして、成功してもおごらず、失敗しても貴重な経験をつんだことを喜び、いずれにしても、ありがたいという不動<ふどう>の信をうるにいたれば、もはや、その人には不幸と名づけるものは存在しないのでありまして、苦しみさえも喜びにかわるのであります。これが徹底した信仰であって、人間の身魂は磨けば磨くほど、光と円さを増し、真如の日月をやどす円転滑脱の水晶玉となることもできるのであります。

「栄光 三八一号」