ある時明主様は、あることに関して『たくさんの邪神が、私を不快にしよう、私の仕事を邪魔しようとして、たえず隙を狙っている。しかし、どんな邪神でも私にはよりつけないから、私の側の者に憑って邪魔をするのだ』とおっしゃいました。
従って、私どもの信仰の至らないために邪神の虜となり、神様にご不快やご迷惑をおかけ申し、さらに御神業のお邪魔をするわけですから、たとえ事柄は小さくとも、事の意義は実に重大です。
『信仰が深くなって、神様のお仕事──私のすることは、生命をかけてもお守りしようという真心があれば、邪神も憑く隙がない』また、『信仰というものは行ないなんだから、行ないが出来なければ、なんにもならない。そんなのは信仰の幼稚園だ』とも教えられました。