信仰のない生活は空虚

 人間は、たとえ二十代の若さでなくなりましても、その人が真の信仰を得たとか、後世<こうせい>に残るような仕事をなし遂<と>げて逝ったとしたならば、その人は、けっして短命に終ったのではないのです。反対にたとえ九十、百まで長生きしたとて、肝心<かんじん>の人格がゼロであったり、信仰を得なかったり、なにひとつ仕事らしい仕事も残さず死んだならば、これこそ短命<たんめい>だったと言えましょう。

「栄光  四四八号」