昭和二十五年二月四日のことです。
その日私は、清水町仮本部に御用があって伺いましたところ、ちょうど明主様が、お車でお出ましになられるところでしたが、お見送りの女子奉仕者が恭しく一礼いたしますと、明主様はお車の中で、お召しになっているお帽子をわざわざおとりになって、丁寧に会釈をなさいました。
私はそのご様子を拝見して、さっと頭を下げたわけですが、非常に大きな感銘を覚えました。と申しますのは、とかく人から“先生々々”と言われるようになってまいりますと、相手が恭しく一礼しても、脱帽はおろか、オーバーに手を突込んだまま答礼する──そんな横柄な態度になりがちで、私自身もそういう経験があります。
ところが、多くの信者から、生神様のごとく讃仰されておられる明主様が、一奉仕者の見送りに対して、脱帽の上ご会釈になるご様子に接し、ほんとうに恐縮申し上げると同時に、『信仰の真髄こそは礼節を守るにあり』とおっしゃっておられる、そのお言葉通りのことを拝見いたし、何か大きな御教えをいただいたような感銘を覚え、私の頭から去らない思い出のひとつになっております。