信仰は家族の和合が先決

 信仰は一家中の人の気持がそろったとき、もっとも強い信仰の力を発挿するものであります。家族みながおなじことをする必要はなく、ご用の中心となる人が、もっとも働きやすいように、家族一同で協力すればよろしいのです。ただし「おひかり」だけは一人一人のものですから、個々にお受けする方がよろしい。各自家庭事情がちがうように、やりかたもそれぞれでよろしいのですが、目標はつねに一致し、全員気持をそろえて働くということがなにより大切であります。団体競技などにおいても、チームワークの良<よ>し悪<あ>しが問題となるように、なかにひとりでも団体精神にもとるものがいれば、必勝<ひつしよう>を期しがたいのはとうぜんでしょう。信仰とておなじです。信仰は人生最大の勝利と栄光を勝ちうるの道でありますから、家族の和合と協力なしに成功はいたしません。それで家族の和合ということが先決条件となりますが、それにはまず一家の主婦の力にまたねばなりません。もともと婦人は子を生む、家風<かふう>を生む、和合を生むなどの創造力にめぐまれているものですから、婦人がほんとうに強い信仰をもち、なおそのうえに愛嬌<あいきよう>と忍耐とをそなえてことにあたれば、一家全員を信仰に導くくらいのことは、すこし時をかせげば容易なわざだと思います。

 とかく文化人や上層階級に属する人びとの間では、宗教は迷信視され、たまたま地位あり、名誉ある人が入信しましても、信仰をかくし、表面に名のでることをきらう傾向<けいこう>があります。そういう家庭で奥さんが最初に入信された場合、熱心のあまりいそいで家人の入信をすすめられますが、多くは失敗に終ります。まず落着いて機の熟するのを待つ心がけが大切と思います。善意はけっこうですが、とかく叡智を欠くうらみがありますが、正しい信仰は、正しい智慧であることをさとって行動してほしいものです。なによりも自分自身の信仰を磨く意味で、まずよき主婦となることに全力をつくすべきであります。その結果ご主人から「近頃家内はなにか信仰しているようだが、そのためかめっきり家庭が明るくなった。家事万端<かじばんたん>ゆきとどき、サービスもよくなった。こうしてみると、信仰もまんざら悪くないものだ」と小首をひねられるようになればしめたものです。たまには着物をおねだりするかわりに「じつはご神殿建設がありますので、助力をお願いしたいのですが」とやわらかく話をもっていかれれば、奥さんのいわれることですから、たいがいは「よしよし、と承諾<しようだく>してくださるにちがいないと思います。とすれば、たとえご主人に信仰はなくとも、ご献金を通し、しらずしらず神さまにご奉仕されたことになりますから、やがてご守護をいただかれ、入信の機縁<きえん>にもめぐまれることになりましょう。すべて物事には順序と時節がありますから、時節をまつという待機<たいき>の姿勢が必要です。そして、おりを見て信仰をすすめるのもよろしいが、まだその機が熟していないとみたら、すぐにやめることです。それまでは神を信じ、お祈りすることです。正しい祈りは、かならず神に通い、いつかは叶うものです。じじつこの方法で成功された家庭もたくさんありますから、ひとつの参考としてここにあげた次第です。

「栄光  四七七号」