信者のまごころを考えよ

 昭和二十五年の一月か二月ごろでした。

 私は清水町仮本部の御奉仕をしていましたが、私たちの部屋の障子がところどころ破れていましたので、私は不器用な手つきで、切り貼りをしました。

 それを明主様がごらんになって、『おまえたちは無神経だ。こういうみっともない貼り方はいかん。信者たちがまごころで届けてくれている障子紙が、たくさんあるはずだ。それを使って、なぜキチッと貼らないのだ。信者のまごころを生かしていない、無視している。貼り直しなさい』ときついお叱りをいただきました。

 そして、障子の一部が、まだ穴のあいているままになっているのをごらんになって、『猫の通るような穴をあけておくのはみっともない』と、厳しいお顔でおっしゃいました。

 また明主様は、『たとえば、部屋にクモの巣がかかっている家なんかあるが、これなんかも無神経きわまる。それでは虫の棲家だ。人間の住むところなら、キチンとしておかなければいけない』と、おさとし下さいました。

 これは、障子紙をお届けした信者の身になれば、せっかくの障子紙をなぜ使ってくれないのだろうと思うにちがいない。その信者のまことを考えなければいけない──という御教えだと、いまもありがたく思っています。