戦時中の明主様は、特高課にずいぶんにらまれ、思うように御神業は出来ませんでしたが、いつも御面会いただきますと、口癖のように、『この戦争が片づくと、宗教は自由になるし、特高課はなくなるんだよ』とおっしゃっておられました。
私どもは半信半疑で、“そういうものですかね”と思っておりました。
また、昭和二十年五月五日、明主様が熱海から箱根へ移られるその朝、ご浄霊をして下さりながら、『戦争は八月に終わるんだよ。いや、終わることになっているんだが、もしも終わらない場合、横須賀はやられるよ。だから一応やられた場合の用意だけはして“そんなバカなことはない。ここまで苦労された支部長さんだから、なんとか教会長である私が、とり入ってお許しいただくようすべきだ”と騒いでいたそうです。そして、いろいろな工作を信者さん方がしていたようですが、そういうことは私は少しも知らずにおりました。
そんなある日、明主様にご浄霊をいただいている時ですが、そのころ葉山に天皇陛下がおいでになられて、その折、ある宗教家が天皇に歎願に出て評判になったことがありますが、そのことを、ご浄霊されながら、『歎願するなんて、あれはね、正しいやり方じゃない。いけないことなんだよ』と、ポツンと話のつぎ目もなしにおっしゃったのです。
そして家へ帰ってみると、信者さん方が明主様に連名で歎願書をかいていたのです。その時、さっきのお言葉は、このことだと気付き、止めさせましたが、この時ばかりは、びっくりして寒気がしたほどでした。