成功者の苦心を見習え

 明主様は、私が岡田家へ伺うようになったちょっと前(明治三十三、四年)は、結核でひどかったそうです。それが菜食にされてからメキメキよくなって、それからは健康でした。そのころから明主様は、なんとか立派な人間になりたいと願われて、「実業之日本」という本など夢中になって読まれました。“もうだめ”と医者に言われた身体であっても、一生懸命読書していた、と母から聞いたことがあります。

 この本には、いろいろな実業家の出世されるまでの苦心談が出ておりましたので、そういう人たちがどんな手順、どんな態度で成功されたのか、明主様は、一生懸命読んで研究しておられました。浅野総一郎(アサノセメント社長)とか、茂木さん(横浜の生糸屋)といった成功者の手記に興味を持ち、『人間というものは、なんでも成功するまでには苦心があるものだ。自分も見習わなければいけない』と夢中でした。外国の本もよく読まれました。だから、年格好からいったら、遊びほうける年だのに、明主様はそういう遊びは全然されませんでした。
またそのころは、家で「万朝報」を購読しておられましたが、この新聞は赤い色の新聞でした。これも配達されるのを待ち焦れているようにして、読んでおられました。ですから、ちょっとご不浄へ行くにもメモを持っていかれたり、ご飯を食べながらも、新聞から目を離さなかったくらいでした。それぐらいでしたから、不断の行ないでも、普通の人とはちょっと変わっておられました。