生活の中の教え

 教祖さんは、情けの深い方でした。

 私が伺うと、『これを持って行け』とお土産を下さり、『風呂へはいってゆけ』『食事してゆけ』と、ご自分で直接おっしゃらない時でも、二代様にそうお命じになる方でした。

 教祖さんは、特にお茶のお点前の心得はなかったかもしれませんが、客を迎える気持は実にこまやかで、たとえば家元が来るとなると、床の飾りつけ──軸を選び、花も生け、茶人以上に温かい気持をもっていられました。ほんとうにこまかく気をくばられました。

 何時に客が来るとわかると、その時刻にすぐお茶が出せるように用意してありますし、たとえ五分か十分のびるような時でも、それはご自分の時間の中でのばしていられるので、相手の迷惑にはならない。そういう方でした。

 しかしまた、ご自分の時間というものを厳格に守られる方でありました。食事も、六時なら六時、さっと召上がって、私どもが食卓にいても、用があれば、『これで失礼』と席を立たれました。

 こんな思い出もあります。そのころ、碧雲荘に吉住(慈恭)さんをおよびして、長唄の会を開くことがたびたびありましたが、明主様も必ず聴いて下さいました。しかし、お忙しい方でしたから、出来るだけ迷惑のかからないようにと、すっかりプログラムも出来ていて、これが十分間、あれが二十分間と、ちゃんと所要時間の計算をするわけですが、少しは狂うこともあります。

 そこで、『吉住さんの長唄は何時に始まるか』と教祖さんは言われて、その通りの時刻においでになるのです。
しかし、狂うと大変なので、みんな早目にすむように、係の者は前もってヤリクリします。そして教祖さんが来られると、すぐ吉住さんの長唄が始まり、それが終わると、教祖さんはすぐお立ちになります。そういうわけで係の者は、ずいぶん気を使いました。

 こういうふうに、時間を非常に大切になさった、教祖さんのご生活の中に、教えはちゃんと出ていましたし、おのずから出て来るものではないでしょうか。

 嘘をつくな、素直になれ、我を出すな──こういうことを、常におっしゃっていましたが、ご自分の生活の中にも、このことは立派に出ていました。

 ご夫婦仲がよく、一家団欒の楽しい雰囲気をよく拝見しました。

 たとえば、官休庵宗匠を招いての賑やかな夕食が始まります。教主の斎さまがまだご年少のころで、何か冗談をおっしゃるのです。すると、教祖さんは、『じゃ、そうしょうか(宗匠か)』と、これも冗談で応酬されます。これには十人ぐらいの席の人がみな大笑い──というような和やかな光景も、私にはなつかしく思い出されます。