昭和二十五年ごろだったと思いますが、当時教団の顧問をしていたMさんの案内で、碧雲荘に伺い、初めて明主様にお目にかかりました。
その時の印象として、お目にかかる前まで私は、明主様は一宗の教祖であられるから、神様ぶっておられると言いますか、人間離れのしたところが、日常生活の上にも、態度にもあられるものだと想像していましたが、お目にかかって見事その想像は裏切られました。
実に人間臭いといいますと語弊がありますが、もったいぶったりするところが全然なく、非常な親しみを感じました。 その後、私は明主様の前半生、つまり信仰生活にはいられる前の苦労話を伺ったことがありますが、その前半生に俗人としての境涯を経て来られたということ、そして人間臭というものをもっていられたということ──だからこそ、神意の伝達者というか、体得者となられてからも、やはり人の苦しみ悩みを、ほんとうに心から理解されて、地面から浮き上がった雲上人みたいに振舞うなどというところがなかったのだと思います。
パージの解除後、私が初めて代議士に当選した時には、明主様にも大変に喜んでいただき、お祝ものも、ちょうだいしましたが、明主様は政治についてもなかなか核心をついた批判をされ、あの識見と信念で、仮に明主様が政治家になられたならば、おそらく大政治家におなりになられるだろうと、私はいつも感心して伺っていました。
ちょうど、当時朝鮮問題が起こって、国際的にも大分紛糾していましたが、明主様はこれについても適確な判断を下されていて、情勢分析の正しさには頭が下がったものでした。