キーワード:「先祖」

昭和二十八年 四月一日 垂録19 (8)

〔 質問者 〕文政当時に先祖が稲荷を祀り、その屋敷はただいまの家から半町の所で現在畑になっております。稲荷は元の屋敷に石の祠に祀ってあり、月に一回命日のようにして供物をしております。最近その畑をいじったりしますと手足が痺れます。いかがいたしましたらよろしいでしょうか。

昭和二十八年 五月一日 垂録20 (8)

【 明主様 】上の段には戒名を祀ってはいけません。戒名は下の二段にお祀りするのです。それが間違っているのです。そうすると御先祖様が苦しいのです。つまり同列になるから苦しいのです。それは台くらいの違いではいけません。だから御先祖様が知らせるのです。やっぱり霊界ですから上中下となっているのですから、観音様は上段で、御先祖以下は中段以下にならなければなりません。観音様と同じ段では苦しいのです。

〔 質問者 〕私がお取り次ぎして、御屏風観音様に台をして、同じ段に先祖代々之霊を祀らせました。お詫び申し上げます。

昭和二十八年 五月一日 垂録20 (9)

〔 質問者 〕田舎のほうで同姓のM家の墓というのが発見されまして、私の家の本家筋に当たるようでございます。詳しいことは分かりませんが、お寺や発見者の人から聞きますと、やはり私の先祖でだいぶ前から絶えていて、嫁に行った人が祀っていましたが、その後無縁になっていたとのことで、これから供養をしたいと思いますが、これはM家先祖代々にはいるものでございましょうか。

【 明主様 】そういう場合にはあっちのほうが傍系になるわけです。ふつうの傍系とは違います。子孫が絶えたということは、なにか理由があるのです。その理由というのは罪です。そこで罪が許されたから発見されたのです。ですからすぐから先祖として祀ることは嘘ですから、一時そのままでよいわけです。先祖の名前があるとすれば、だれが一番主になる人か調べて、中心になる人があったらそれを中心にしてやればよいです。土地は違うのですか。

〔 質問者 〕私の先祖の墓と同一市内でございます。しかし宗旨も寺も違います。

【 明主様 】そこに区別があるわけです。とにかくあなたの先祖と混じるといけないから、そこの違いさを戒名に入れてすればよいのです。その中の主なる人の名前を調べて、主になる人を祀ってやればよいです。

【 明主様 】M家先祖の霊として、寺に行って、あなたが言葉で今度これに祀ることになるが、何の何某<なにがし>も今度できた戒名の霊位の中にともにお祀りしたから、その家の一員として、そのつもりにしてもらいたい、とそれでよいです。そうすればあなたの仏壇に来れます。

〔 質問者 〕同じ仏壇に先祖代々之霊位が二つになりますのでございますか。

〔 質問者 〕本家の仏壇の中にも、先祖代々之霊位にはいらない部類もあるわけでございますか。

【 明主様 】そういうことになります。だから霊界のことは単純ではないのです。祖霊がずっと祀られてますが、その中の一人がたいへん悪いことをしたとすると、そのために先祖の名前を穢すということになるから、一時刑罰を受けて祀られてないのです。ところがその子孫のうちで、信仰にはいって罪を許されるから祀られるというわけです。

昭和二十八年 五月一日 垂録20 (12)

〔 質問者 〕父が「ひとのみち」を熱心に信仰し、そのときに父の兄が戦死しました。母はその兄の妻に当たり、弟嫁となって私を産みました。……兄が戦死し、おじいさんは財産が分けるのが惜しいので、弟たる私の父と一緒にしたわけです……。(中略)家じゅう「ひとのみち」を信仰しておりましたが、「ひとのみち」がつぶれましたので、神社神道の大神宮にはいっておりました。父も亡くなり、先祖代々は全部尊になっておりますが、父は熱心に「ひとのみち」を信仰しまして仏界のほうにはいってます。現在家はほとんど無神論のようになっております。いかがいたしましたらよろしいでしょうか。私は支部の御用をさせていただいております。

昭和二十八年 七月一日 垂録22 (3)

【 明主様 】そのとおりですが、先祖からあるのはそれでよいのです。いつかそれを下にしたらいろいろといたずらをするのです。その家の奥さんを梯子段から突き落としたりするのです。それで聞いてみると、オレを下に落としたというのです。それは祖先の意志もあるから、そのままでよいのです。

昭和二十八年 七月一日 垂録22 (10)

【 明主様 】これはドイツで成功して、日本でもまねしてやっているのですが、そんなにたくさんはないので、一人成功したという報告がはいってます。これは一時的なもので、ずっと行なわれるということはありません。それはまあ理屈には合いますからできるにはできますが、霊的にはぜんぜん違っているから駄目です。先祖が怒りますから家は断絶してしまいます。

昭和二十八年 七月一日 垂録22 (17)

〔 質問者 〕一般に無神論者といわれている中にも、先祖祀りということはしている所はありますが、どうもお蔭をいただけません。そういう人たちをこのお道にお導きする方法を御教えお願い申し上げます。

『御垂示録』二十三号 昭和二十八年八月一日(3)

【 明主様 】神様がお出しになるわけではないので、宇宙はそういうようになっているのです。神様というのは決して自由ではないので、天地の律法があり、その天地の律法はどうしても守らなければならないのです。神様もそれを外すわけにはゆかないのです。ですからこの人ならこの人が信者になって、とても一生懸命にやっているとすると、神様は恵を与えたいが、その人のメグリを消してしまわなければ与えるわけにはゆかないのが天地の律法です。ですから一生懸命で、熱心でなかなか恵まれない人がありますが、それは前のメグリが残っていて、それがとれないために恵を与えることができないのです。ちょうどここにザルがあるとして、そのザルに物を入れてあげたいという場合に、ザルが汚れているために掃除をしてきれいにならなければ物を入れられないのです。そういう場合に、神様のほうで急がれる場合には荒っぽくとるのです。たいへんな危難を受けるというのがありますが、これはそういうわけなのです。その例としてある家で長男が道楽で、金を湯水のように使って困る、親の財産はなくなるというので、どうしたものかと私に相談に来たのです。「神様のお蔭で良くしてくれ、金を使わないようにしてくれ」と言うから、「それはできない、むしろ使ったほうがよい」と言ったら、びっくりして、どういうわけですかと、その母親が来てましたが、そう言うので、「あなたの所の財産は罪がある。本当にできた財産ではない、先祖が他の人をいじめて作ったとかいう金だから、神様はあなたの信仰に対し、あなたにお蔭をあげようと思うが、罪の固まりがあっては駄目だから、それを早くなくしなければならないので、長男はそれをなくする役目をしているのだから、早くなくなったほうが、あなたの家の罪がなくなってよいのだ」と言ったが、分からなくて、とうとう駄目になりました。