昭和二十六年八月八日 『御教え集』一号 (9)
しかしながら、いくぶんずつ……先祖代々ですからね……害をしているわけですね。無肥料ですね……自然農法はそういう点から言っても立派な意味があるということを心得ておくと良い。
昭和二十六年八月十八日 『御教え集』一号 (1)
御伺い 私の先祖の屋敷に稲荷を祭ってありましたが、祖母の代、大火事にて稲荷もともに焼失いたしてしまいました。その後父母の代に屋敷は人手に渡り移転しましたところ、祖母の夢の告げに、狐が現われ「どうか祭ってほしい」と言うので、「それでは私の家へ来てください」と言いますと「子供がたくさんいるから行かれない」と申しますので「子供もみんな連れてきてください」と言って目が覚めたそうです。それからさっそく祭りましたが、その後次々不幸続きで、ある神憑りに見てもらいましたところ、きれいな白狐で「あなたのお祭りが足りないゆえ神格になれない」と言われ、さっそく護摩を焚いていただき末広明神と命名されました。その翌月生後一年二カ月の女児が死に、その後また女児が死亡いたしました。昭和二一年一家四人御守りをいただき、二二年光明如来様を御奉斎いたしました。二三年正月、教会の人に来ていただき、元へお帰り願うようにお祭りいたしましたが、当稲荷は先祖でしょうか。またこのままでよろしいでしょうか。私は二〇歳代よりトラホームで入信前二回手術いたし「針」「やいと」もいたしました。現在では逆まつ毛で非常に苦しんでおります。
昭和二十六年八月十八日 『御教え集』一号 (2)
(二)先祖あるいは猫の因縁でございましょうか。
昭和二十六年八月二十五日 『御教え集』一号 (5)
キリスト教信者の宗教的のいろいろな……喜びと苦悩をまぜこぜに書いてある。こういうことはたくさんあることですがね。私も昔そういう人にずいぶん会ったが、根本から言うと小乗信仰です。キリスト教でも……カトリック旧教でも、特に小乗なんですね。そこで、やはり終戦前の日本ですね。天皇陛下のために命を捨てるというのが最高道徳でしたが、いまになってみると馬鹿馬鹿しいことだと思う。そういうふうに教育されると、そうなっちゃう。だいたい、キリスト教信者というのがすでに小乗なんです。何教彼教と言うのがすでに小乗なんです。だから何教だとか……非難したり……つまりメシヤ教ならメシヤ教に捉われてはいけない。強いて言えば、世界教ですね。そこで世界救世教と言う。そうすればどんな宗教でもかまわない。だから対立的にはならない。いま読んだのは対立的ですからね。これが小乗の弊害なんですね。ですから、私は日本人じゃいけないと言う。以前終戦時に、私があんまり終戦について言わないので「先生、あなたは日本人ですか」と言うから、「違う」と言うと、「へーえどういうわけですか」と言うから「世界人だ」と言ってやった。「日本人だったから、あんな戦争を起した。世界人ならあんなことはしない。土地を取ったり、人を殺したりしない。日本人だったからあんなことをした」と言うと、ヘンに感心しました。そんなわけだからね。こういう人があります。メシヤ教は他の宗教を非難しないからいい、と言う。上流階級の人が言ったんですが……その宗教はメシヤ教の一部なんです。それを非難するなんてね……自分のなんだから、自分のほうを非難することになる。そういう頭でやらなくてはいけないですね。だから他の宗教でもなんでも結構、なんでも研究しなさいと言うのです。メシヤ教になって良かったら、それでいいですがね。ところが、メシヤ教以上のものはないという自信があるからね。昔のことですがね。深川で大きな風呂屋があった。そこの娘さんがリウマチで、手が……こうする(拝む)ことができない。そこの家は阿弥陀さんの熱心な信者さんで私は「あなたの手の原因は阿弥陀さんを拝むのがいけない。昔は良かったが、いまは違ってきているから、阿弥陀さんを拝むのは時節が違っているから、……手が……拝めないというのは先祖に止められているので、阿弥陀さんを拝まないで観音様を拝みなさい」と言うと、帰って「おっかさんとか親類と相談しましたが、どうも反対する人が多いので、その通りにすることはできない」と言うので、「そうしないで治すというのはできない。それが根本だから」と言って止した。先に書いたことがあるが、やはり湯屋の親父で足が悪く、浄霊してやったが、いい加減治った時分に来なくなった。おかしいと思って近所なので聞いてみた。すると、あの親父さんはこういうことを言っていましたよ。「だいぶ良くなったが、治されたらたいへんだ。阿弥陀さんのそばに行けない」と言う。それで止めたが、それから天理教の先生ですが……病気の人を私がやってやると少し良くなる。それから天理教の先生が来るとまた悪くなる。先生にお願いすると良くなるということは分かっていてもそれを明らかに言えない。もし治るということになると、天理教の先生で治ったということになる。それを聞いて、せっかく治しても天理教で治ったということになるので、骨折り損のくたびれ儲け、と言うことになるのでやめた。ずいぶんひどいことを言う。罪穢れがたくさんあるから懺悔をせよと言う。懺悔をするとまだあるだろうと言うので、いくら考えてもないと言うのです。そういうことを、相談ではないですが……愚痴を言ったことがある。それで、つくづく懺悔信仰は良くないと思いました。キリスト教にはよくありますね。しかし、懺悔をするということはぜんぜん悪いことではないですが、しかし懺悔をしないで治すのがいいですね。懺悔は、どうも人に言えないことが多いですからね。要するに改心すればいいんです。自分の心を改めてそれで結構なんですから。それでメシヤ教には懺悔というのはないんです。まあーなるべくきれいに良い人間になるほうが良いんです。
昭和二十六年八月二十八日 『御教え集』一号 (1)
御伺い I・T(五一歳)と申す信者でございますが、北支従軍中昭和一六年秋より足が重だるくなり日増しに悪化しついに歩行困難となりました。病名も不明のままあれこれと医療を受けましたが、悪化するのみでございました。医師も手をはなしてかそのまま除隊され、自宅へ送りかえされました。そこで松江の日赤病院で診察を受けましたところ、脊髄系統の病気だろうと言うので、脊髄の上から四、五節の所を三寸ほど切開手術をしましたところ、黒い塊りような物が出ました。その結果便所へ行くことくらいはできるようになりましたが、切開部が治るに従い、足のほうも元に帰り歩行できなくなりました。その後自宅で、良いという民間療法はみんな受けましたが、ぜんぜん変化ございませんでした。その後お道のお話をお聞きし、さっそく入信、以来御浄霊をお受けしますうち、足部がむくみ排膿いたし、だんだん気分が良く、便所にも杖にすがり、あんがい楽に行くようになりましたが、また元に帰りました。いろいろ御神書を読ませていただき、霊動も少しあり霊的に思い、過ぎし北支で野営のとき、ある厨に入りそこを宿と定められたとき、等身大の土像および木像が邪魔になるので打ち毀したこともあり、その後足が悪化したのですが、この仏像との霊的関係がございましょうか。あるといたしますればいかがすればよろしゅうございましょうか。現在足の状態はまったく痛みなく、腰から下に力が入らず歩行ができないだけでございます。その他家にも明治一九年の大水に家もろとも、四代前の先祖夫妻は流され死体はございません。ちょうど足がぐにゃぐにゃで骨がないようなところから龍神ではないかというので、龍神の祭りもいたしましたが変化ございませんでした。浄霊をいたしましたところ、脊髄がピンピンして後ろへ倒れそうでございました。なお御屏風観音様はお祭りいたしておりますが御神体は姉(兄の嫁)の反対がありお祭りできません。
昭和二十六年八月二十八日 『御教え集』一号 (3)
一心におすがり申し上げ御浄霊をいただいており、昭和二六年四月御神体をお迎えさせていただきますまで、しばらくの間歩行させていただくことが四回ございました。八月一一日に当地にT先生が出張してくださいましたので、お願いいたし御浄霊をいただきましたところ、霊動いたしますので先生がお尋ねくださっても言葉が言えず、御先祖様ですかとお尋ねくださったときに、霊動していた手が上下に強く振ったのみでした。私から申して祖父にあたるのですが、昭和三年九月に縊死で亡くなっております。また御神体をお迎えさせていただきまして一カ月ほど後に、私の夢にだれかは分かりませんが男の人が私の背中に力いっぱいにつかまり、背中が痛くてたまらず、夢中にもがいているときに目があき、また一週間ほどして今度は男女二人が背中にありました。現在の状態は物につかまりますと、足は震えますが自分で立ちあがることができます。脊椎カリエスは霊的な病気と御教えいただいておりますが、いかがいたしますればお救いいただけましょうか。また御浄霊の中心はどこをしていただけばよろしいでしょうか。御教えのほどお願い申し上げます。
昭和二十六年九月十八日 『御教え集』二号 (3)
御垂示 半身中風というのはない。中風は半身なんですからね。これも霊的ですね。氏神様を人手に渡したのは悪いですね。氏神というのは、ここの先祖……祖先ですからね。氏神と産土は違いますね。先に書いたが、氏神というのは大祖先ですからね。ですから、産土に昇格したんだから縁が切れてますからね。良くお詫びして、御先祖様を……仏様はあるんでしょうね。ないんですか。
先祖代々の位牌は。
昭和二十六年九月十八日 『御教え集』二号 (5)
御伺い 五〇歳くらいの肥満せる婦人、数年前神経痛で注射をしたほかに、特に既往症なし。最近全身だるく特に左手指が内側に曲がり、伸びなかったのを御浄霊によりお救いいただき、本人は喜んで入信。その後養子にも御守りをいただかせましたので、引き続き家で御浄霊をさせていただいております。本人は非常に神経質で、夜分鶏や犬の鳴き声が気になって眠れないそうです。私もときどき御浄霊にまいり祝詞、善言讃詞を奏げ、御浄霊いたしますと、その都度良く眠ります。この婦人は不眠が続くと発作的に痙攣を起し、特に左手頸をかい込むようにして苦悶いたします。そのうえ、発作を恐怖して二重に神経を使い、ますます眠れないようでしたが、いろいろとお道の話もいたし、最近はたいへん具合良く眠れるようになり、発作も起らずにおりましたので、ときどきは教会へも通ってくるように申したところ、その晩に、また、以前よりもっとひどい発作を起しましたが、五分くらいで治り、翌日は一日寝ておりましたが、その後は寝たり起きたりしております。現在は全身だるいだけで、食欲もあり、別に異状はありません。中風の霊の憑依かと思い質ねてみましたが、本人ならびに主人側の先祖にも中風で死んだ者なく(遠い先祖は判りません)いろいろ質ねましたところ主人の姉が二一歳でモルヒネ自殺をしている他、本人の郷里方には狂人が二人ばかり出ており、また養子の話によりますと、本人は主人の母 (姑)を戦時中そうとう食をつめたのでそれを気にしているのではないかと申します(その母は八四歳で老衰死いたしました)。その家には仏壇はありますが位牌もなく(過去帳のみ)写真が三葉飾ってあるだけです。主人は御浄霊に反対はいたしませんし、お道の話も良く理解があります。いかなる因縁でございましょうか。
昭和二十六年十月十一日 『御教え集』三号 (1)
御伺い 妻C(三五歳)昨年七月肺浸潤と診断され弟S(三二歳)も昨年一一月肺門淋巴腺および肋膜と診断され、いろいろと療養いたしましたが、思うように快復の見込みもなく、本年一月七日大本教に入信、大本教の御神体も祖霊神もお祀りいたしましたが、病状は日に日に悪化して行くばかりで、迷っているところに救世教のお話をお伺いいたし入信。妻と弟を浄霊させていただき、一週間くらいで御守護をいただき、絶対安静を宣告された妻も弟も起き上がり、散歩するようになり、弟は好きな魚釣りに行けるような元気になり、五月に妻と弟が入信。六月には弟の妻も入信させていただきました。五月中旬ごろより、弟が浄化をいただき左右全体が浮腫し、激痛が伴い、浄霊をいただくと少しは楽にさせていただいておりますが、最近腹部が腹膜状態に浮腫し、呼吸も苦しく、右側を下にして寝ると楽ですが、上向きや左側を下にして寝ると苦しみます。七月二〇日に御神体ならびに御屏風観音様もお祀りさせていただいております。なお大本教の御神体は大光明如来様の右前に安置させていただき、大本教で祀った祖霊神は新しく位牌を作って、仏壇にお祀りさせていただいております。なお先祖に、祖父が四三年前、水溜まりに身体に石を括りつけ自殺いたし、姉も一八歳より癲癇にて一五年前、三一歳にて死亡、妹(三六歳)は一八歳より精神病に罹っております。右弟の御浄化は霊的なものと存じますが御浄霊の重点につき御教えお願い申し上げます。
昭和二十六年十月十一日 『御教え集』三号 (2)
それから、不動さんの幣束を破って焼いた。ということは本当ではないですから、よくお詫びしておくと良い。光明如来様を祀ってなければ、お祀りしてから、不動さんの幣束を破ったことを、不動さんに許してもらうように、光明如来様にお願いすると良い。光明如来様がやってくれますからね。猫にひっくり返されたというのは、これはなにか意味があるんです。猫を使ったんですが、御先祖が気に入らない点があるので、やったんですね。