キーワード:「先祖」

メシヤ【全世界に及ぶ光】

 「出張所の責任者が御浄霊の時に、霞のような物が纏まって人間の形になったものが目に写り″ワシはこの土地の二千年前からの先祖だ。これは結構なことではあるが、黙ってしてはならない。一応断って貰いたい″と言うので早速御参りに行きましたところ、患者が大変来る様になりました。そういう場合の御参りの方法はいか致しましたらーー」

御垂示録

宗教篇 弥勒三会

 次に面白い事を書いてみるが、観音は仏教から生れたのであるから、仏教は生みの親であり、その仏教の開祖である釈迦は、親の親という事になる。するとその釈迦を生んだ伊都能売神は、つまり又親で先祖という訳になる。そうしてその神が観世音となるのだから、この点からみても仏とは神の化身である事が分るであろう。そうして釈迦は地であるから生みの働きをするし、阿弥陀は月であり女であるから、ヤハリ観音の母といってもいい。つまり地も月も日を生む意味になるという訳で、宇宙の実相もそうである。又古くからの伝説にあるシナの聖王母であるが、聖王母は月の神の化身であって、その庭にある桃の木から、三千年目に一度桃の実が生り、これを貴重な宝として、天の大神様に献上するという事や、インドの伝説にある三千年目に転輪菩産が生れ、その菩薩が現われるや万民は救われ、この世は天国楽土となるという意味も、今度の事の予言といってもよかろう。そうして右の転輪菩薩とは観音の別の御名、転輪王の事であろうし、又天理教の親様である天理王の尊も、右に関連がないとは言えないと思うのである。又阿弥陀は月光菩薩とも言われ、観音は大日如来でもあって、つまり両尊者は月と日で、夫婦という意味にもなる。この事は日本の各地の仏閣によく表れている。すなわち観音の祀ってあるところ必ず大仏があるが、大仏は阿弥陀であるからである。そうして観音は堂宇の中に祀られて御姿は小さく、大仏は外に鎮座されて大きいのは、観音は日本内地の仏であり、阿弥陀は外地の仏という訳であろう。又観世音は黄金の一寸八分の本体が本当であり、阿弥陀は鍍金仏、又は金箔の木像で、大きいのをよいとされているにみても、すべては分るであろう。

文明の創造(未発表)

日本人種の霊的考察(上)

 私は先年出雲へ参拝の折、同神社の裏手の海岸に日の御崎という処がある。神官の説明によればこのところから毎年十月初め神様は故郷にお帰りになり、一カ月を経てお戻りになるとの事である。これでみれば出雲の神様は日本生え抜きの神様ではなく、外国から移住された神様に違いない。昔から十月を神無月と言ったのは、右の行事によったものであろう。そうして大国主命の父親は素盞嗚尊になっている。『古事記』によれば素盞嗚尊は、朝鮮の曾尸茂梨(そしもり)山へ天降られた事になっているから、朝鮮に生誕された神様である。そうかと思うと伝説にもある通り、出雲国簸の川上において、八岐大蛇を退治し櫛稲田姫の生命を救うと共に妻神として迎え、夫婦生活をなさるべく、今日の出雲神社の位置に、須賀宮という新居を作られた尊は、新築の家へ初めて入居された時、「あなスガスガし」と仰せられたので、須賀宮と名付けられたという説もある。そうして余程琴瑟(きんしつ)相和したと見えて、その気持を表わすべく詠まれたのが彼の「八雲立つ出雲八重垣つまごめに、八重垣作るその八重垣を」という歌で、これが三十一文字の嚆矢という事になっている。としたら和歌の先祖は素盞嗚尊となる。

S26地上天国霊的考察

再びベルグソンに就て

 従って、この理を人間に当嵌めてみる時、こういう事になろう。何かの事にブツかった時、去年の観方も考え方も、今のそれと異っていなければならない。大きく見れば終戦前と終戦後とは丸きり異っているではないか、わずかの間に驚異的である。ところが多くの人は、何百年前の行り方や、何十年前の考え方が、先祖代々から棒のように続いているから、適確に現在を把握する事が出来ない。これを称して封建とか、旧い頭とか言うのであろう。つまり一切が流転しているのに、御自分だけは泥水のように停滞しているからで、こういう人こそ世の中から置き去りを喰ったり、不幸な運命となるのである。

S26栄光

病原と浄霊の原理

 そこで一体霊の曇りとは何であるかというと、その本質は水素であるが、単に水素といっても純なものと不純なものとがある。それで普通水素とは純なものを言うのであるが、曇りである水素とは不純物が含まれており、この不純物こそ病原であるばい菌の先祖とも言うべき一種のバクテリアであるが、このバクテリアを消滅させる力こそ火素というものである。しかし学問では水素は言うが、火素は余り言わないようであるが、しかし水素があれば火素があるのは当然で、これが右のごとくばい菌源を焼き尽すのであるから素晴しい力を有っている。そうして火素とは火の霊をいうのであるが、火素にも霊と体があって、普通火素とは体であり、これは只空気に熱を与え、乾燥させるだけの力である。ところが、ばい菌源を焼尽すそれは特殊火素であるから、放射するや水素中の不純分子はすなわち分解し、毒分は消滅してしまうのである。すなわち浄霊法とはこの火素の放射をいうのであるから、ばい菌群の根源は絶たれ、純水素のみが残り、漿液(しょうえき)として吸収されてしまうのである。しかしここに注意すべきは、右は、有毒分子が少量の場合であって、多量の場合は喀痰、鼻汁、下痢、その他の固形的排泄物となって、体外へ出されるのである。そうして浄霊の形式としては患者の患部に向って掌をかざすが、この掌から特殊火素が発射されるのである。では何によって此特殊火素が施術者の掌から出るかというと、それはこうである。

S26地上天国

農業の大革命 五ヵ年にして米の五割増産は確実

 今度各地から報告された昨年度の成績をみると、時期が早い為収穫までに到らないものもあって遺憾ではあるが、しかし大体は判ったので、これについて私の感想をかいてみるが、何よりも自然農法は、今まで作物の生命と頼んで来た肥料を否定するのであるから、最初は家族をはじめ、村人等から思わざる非難攻撃を受け、嘲笑の的とされるので、実に血の涙で隠忍自重、黙々と頑張り通して来た事は、読みながら私は目頭が熱くなる位である。全く信仰ならではという感が胸に迫るが、何しろ先祖代々肥料迷信になり切っている人達からみれば、反対するのも無理はない。これについて惟<おも>われる事は、歴史上今日でも、人類に多大な貢献をなしつつある発明発見といえども、その当初は例外なく誤解と迫害を浴び、苦心惨澹(くしんさんたん)押切って来た幾多の記録は、我々の魂を揺り動かさずには措かないものがある。

S27栄光

美術品の集まる理由

 箱根美術館を観た人は分るであろうが、容易に手に入らないような物が豊富に蒐<あつま>っているので、驚かない者はほとんどないのである。これについて最初からの経路をかいてみるが、まず買始めたのが終戦直後からであった。何しろ日本はかつてない世の中の変り方で、誰も知るごとく一挙に貴族富豪、大名、財閥等残らずと言いたい程特権階級の転落となったので、すなわち経済的苦境に陥り、先祖伝来大切に秘蔵してあった書画骨董類を手放さない訳にはゆかなくなった事である。従って珍什<ちんじゅう>名器は随分出たと共に、値段も安かった。

 又私が以前から好きなのは、琳派物と仁清の陶器であったが、これなども時の経つに従い段々高くなるばかりで、近来売物はほとんど影を没してしまい、希望者は歎声を漏らしているそうだ。ところが終戦直後のドサクサ紛れで、値もすこぶる安く、相当数手に入ったので、全く神様の力である事がよく分るのである。そんな訳で私が是非欲しいと思う物、美術館になくてはならないという物は必ず手に入る。その都度道具屋は不思議だ、奇蹟だという。それについてこうういう事があった。私は広重の有名な東海道五十三次の初版のものが欲しかったところ、ある版画専門の道具屋が来て、広重物など見せたので、私は初版の五十三次ならいつでも買うと言ってやったところ、その翌日持って来たので驚いた。すると彼曰く「こんな不思議な事はありません。昨日帰宅するやある人が昨日のお話通りのものを持って来たのでびっくりしました。私は四十年前から心掛けておったのですが、昨日帰宅するやそれを売りに来たのですから、どう考えても分らない」というので、私も余りの奇蹟に感激したのはもちろんであった。よく見るとこれは有名な某大大名の秘蔵していたもので、先祖が作ったとかで、その立派な画帖にも二度びっくりしたのである。且<かつ>値段も非常に安く喜んだのである。

S27栄光