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昭和二十八年十月二十日  京都劇場に於ける御講話

 それからこれはみんな知っていることですからいまさら言うことはないのですが、病気を癒すことだけは断然世界一だということは分かってますが、なにしろ世界中で一番偉いものだとしているのはキリストです。しかし私の弟子はキリストくらいの奇蹟は毎日やっているのです。今度のお蔭話に出ますが、八年も眼が見えなかったのが、浄霊二分間で見えるようになったというのです。キリストに勝るとも劣らないと思います。また一三年間足が立たなかったのが、二〇分の浄霊で翌日は歩けるようになったというのがありましたが、キリストに一つも負けてはいません。ですからキリストが何万人何十万人とできてくると、日本はどんなに偉いか分かります。桁が違ってきます。というのは科学的にいっても分かるのです。キリストが治した力というのは月の光です。いままでいろいろな偉い人が奇蹟を現わしたのは月の光です。今度私が始めたのは日の光ですから、日のほうは月の六十倍の光があります。だからいままでより六十倍の奇蹟ができるわけです。私の弟子がそのくらいの奇蹟ができるのは不思議ではない。当然のことです。そんなようなわけですから、これから救世教が先達<さきだち>になって、日本人の偉さを世界中に見せるという段取りになっているのです。なにもそういう希望でやっているのではないのですが、元々日本人にはそういう優秀さがあるのです。それがいままで押しつぶされていたのです。だからそうなるのがあたりまえです。偉いといっても戦争に勝つ偉さではないのです。むしろ戦争を起さないようにする偉さです。この偉さは自慢しても思っていても決して苦情は来ません。武器の発明の偉さで自慢するのはたいへんな間違いです。武器を発明する偉さというのは、世界を戦争で苦しめる……と、それを防ぐためにそういう武器を造るということにおいては結構なものです。原子爆弾もそうであれば結構です。そうでなく、己の国だけが偉くなろうというのでは、とんでもない偉さです。泥坊する偉さより泥坊をつかまえる偉さのほうが良いのです。平和的の優秀さは、偉ければ偉いほど世界の人たちがありがたがります。日本人の優秀性というのは、文化的平和的の優秀性です。それを現わすのに一つの価値として私は地上天国を造っているわけです。

昭和二十八年十一月十七日

 それからいろいろな平和運動がありますが、それについて書いてみました。この間も仏教徒大会があったり、それから広島ではキリスト教の人たちの平和会議がありました。あの平和会議というのはたいへん結構のようですが、実はあれは共産主義のお手伝いをしているのです。ですから平和運動をする人は共産党と逆のように思いますが、なんぞ知らんソ連の片棒を担いでいるのと同じことになります。それを書いてあります。

 それからいま世の中では天照大御神が一番尊い神様としてありますが、天照大御神がこの間出られて私のことを「主神様」と言ってましたが、「主神様がいよいよお出になってお慶び申し上げたい」と言って「これからせいぜい御守護をお願いしたい」ということを言われてましたが、これは本当のことです。これは神代史<じんだいし>にある通り、天照大御神は伊邪諾、伊邪冊尊から生まれたとなってます。ですからつまり天照大御神は私の子になるわけです。つまり長女です。それからその次に生まれたのが素盞鳴尊です。素盞鳴尊という神様は、私の本にも書いてありますが、物質文化つまりユダヤの祖先になるということにもなってますが、本当はそうではないのです。そういっても良いのですが、とにかくイスラエルの民族というものは素盞鳴尊の子供ですが、それがユダヤになるのです。そこで今日の物質文化というものはユダヤ文化です。要するに素盞鳴尊が造られたものです。そこでつまりキリストは素盞鳴の子孫です。だからキリストは伊邪諾尊より生まれた神を祖先として、その後に生まれたのがキリストですから、私の弟子がキリストと同じくらいの奇蹟ができるというのは当然なのです。そういうことも細かく話しするとなかなかおもしろいのですが、だんだん書くつもりです。

昭和二十八年十二月七日

 最初に時局について少し話してみたいと思います。われわれ国民が直接一番脅威を受けているのはスト問題です。炭労ストに電産ストです。それで今度のはいままでに例がなく、いつまでも解決がつかないのです。まあ彼らはスト気違いです。よくスットン狂と言いますが、これがそれによく当てはまってます。スト狂です。いずれは解決がつくでしょうが、よしんば解決してもそれですんだわけではないので、ただ一時的でいずれはまた次から次へと始まるのは勿論です。ところが、永久にストが起らないようにすることもわけはありません。ストの原因のもっとも中心はなにかというと、労働者のはうは少しでも多く賃金とか手間賃をもらおうとするし、資本家のほうでは少しでも出さないようにする、少なくするようにする、というその衝突なのです。ですからちょうど欲張り同士の喧嘩です。これはちょうど獣が、底のほうに肉の塊りがあるとすると、それを一匹が食おうとすると、ほかの仲間のものが食わせまいとして自分のほうに取る。ですから肉を取る方法で争っているのと同じことです。つまり自分だけが懐に多く入れようとして、人にやるまいとする。それが人間の形をしているから、まさか爪や歯をむき出してやるわけにはいかないから、そこにいろんな理屈をつけてやってますが、根本は同じことです。ですからまだ人間までに進化してないのです。獣性がそうとうあるのです。獣性で、濁っているわけです。それで文明世界といっていばってますが、実にあさましい人間どもだというわけです。それではどうして解決するかというと、これは信仰よりほかにありません。その信仰というものは人間の欲望の制限ができるのです。自己愛という、自分だけ良ければ人はどうでもいいという思想、考え方というものが、むしろ反対になるのです。まず自分の利益を考えないで、人の利益を考えるという利他愛の思想が信仰の根本ですから、その考えでやれば、労働者は大いに働いて良い物を作って、単価を安くして売れるようにする。それから資本家のほうでは、儲かれば彼らに利益を分配するというように考えるのです。それで両方がそうなれば、明日からでもすぐに解決するのです。解決するどころでなく、そのために事業は非常に繁栄します。輸出品というようなものでも、良い物が安くできるのですから世界一になります。そうしてたくさんできますから、税金なども楽に払えるばかりでなく、国家としてもよけいな金はいらないから、国の台所がずっと楽になりますから、税金問題というものもなくなってしまいます。国民のほうでは言われないうちに税金を収めたいということになります。ですから、そういう結構なことにするのはわけはありません。ただ自己愛と利他愛をちょっと向きを変えればいいのです。かえってそのほうが楽で易しいのです。これはストなどのほうがよほど難しくて骨が折れます。どっちもウンスウンス言ってたいへんな騒ぎです。われわれ人間から見ると、人間というと変な言い方ですが、実際がこっちは人間と思っているのです。先方はまだ人間とは言えません。だからわれわれ人間から見ると実にかわいそうなものです。やっぱり道端で犬が噛み合っているのと違いないくらいのものです。ところがそんな結構な信仰というものを、低級だとか迷信だとか科学的でないとかなんとか言って、軽い人やジャーナリストたちが批判したり嘲笑したりしているのです。しかしそれはそうかもしれません。獣から見れば、人間はなんと間抜けな奴だろう、オレたちは山でも谷でも一遍に飛び越えてしまうのに、人間という奴は二本足で一生懸命に駆け出しても、じきに息がきれてしまって情けない奴らだ、と思うか思わないか分からないが、そんなものだろうと思います。だから結局信仰の目的……というよりか、救世教の目的というのは、まだ人間になりきってない動物を、早く人間にしようというその仕事なのです。つまりいつも言うとおり、いまの人間は文化的野蛮人です。それで文化的文明人と文化的野蛮人と両方あります。いまのいろんなものは、それは便利になって文化的です。しかし考え方やすることは野蛮人と同じです。ですから文化的野蛮人です。それで野蛮性ということは獣世がまだ残っているのです。それで上面は文化性になってますが、中身にまだ残っているのです。ですからその濁りを取り去る、取ってしまうというのがわれわれの仕事です。ところが取られるのはなにかと言うと、やっぱり副守護神という生きている霊ですが、これは取られるのが怖いのです。取らなくてもそういった獣性の因が萎縮すればいいので、いばらなければいいのですが、それがつらいから人間を反対させておどらせるのです。いろんな妨害というか、自分をやっつけそうな神様に触れてはたいへんだから、触れないように一生懸命自己擁護しているわけです。それでいままでは自己擁護もできたのです。それで彼らの一番恐ろしいのは光なのです。そこで私が光を神様からもらったので、それで彼らは非常に脅威を感じるのです。だからやっつけてしまおうと思って、いままでいろんな手でやったのですが、だんだん自分たちのほうが負けてきたのです。それで彼らの負けただけはこっちが勝つのですから、それだけ発展していくのです。それでもまだまだ彼らのほうでもなかなか妨害しようと思ってやってはいます。けれどもだんだんそういったように、こっちが勝ちつつありますからいいのです。それで昔からいろんな宗教で、キリストや釈迦とか偉い人がいろいろ出ましたが、つまり光がごく薄かったのです。そのために徹底的な迫害にあって、生きているうちにほとんどやられて、死んでから何年もたってからやっと芽が出るという有様ですが、私の光はつまり太陽の光で強いのですから、生きているうちに勝ってしまうというわけです。それでスト問題なども、いま言ったとおり野蛮性のために自己愛を制御できない、それで解決しないのです。だから結局ストを解決し、人間社会からなくするのは信仰よりほかにない。そういうことをいま書いてますが、この次の『栄光』に出します。だから出たら、そういうことに関係した人に大いに読ませるようにしてもらいたいと思います。

 それで日本が五で、朝鮮が六で、支那が七ですから、この三つがまず救われなければならない。それについて最近台湾に本部がある世界紅卍字会<こうまんじかい>という、これはたいてい知っているでしょうが、あそこで援助してくれということを申し込んできたのです。一昨日五人くらい来ました。もっともその前にも来たことがあります。そこである程度は私も話してやりました。ところが先方の目的はちょっとくい違いがあるので、時期が早いからもう少し熟してからと思って、もう少し待て、急いではいかん、ということを言っておきました。向こうは元満州で非常に成功して、中共以前の溥儀<ふぎ>の時代には要人の間に信者がそうとうできて、それはたいしたものだった。ところが中共になってからは危険になってきたのです。それで幾人かは犠牲で死刑になった人があるようです。そういうわけで急遽台湾にのがれたのです。そうしていま本部をつくろうとしてますが、それを援助してくれというようなことを言ってます。私のほうでは台湾につくってもしようがない。いずれ始まれば台湾は空襲されるかもしれないから「よせ」と言ってやるつもりです。そういうようで、台湾でなんとか旗挙げしようと思ったところが、また具合が悪いことには蒋介石がキリスト教に力を入れるというよりか、アメリカの援助を受けてともかく生きているのですから、どうしてもアメリカの御機嫌を取らなければならない。それにはまずキリスト教を大いに立てなければ具合が悪いので、そこで国府軍のそうとう偉い人でもクリスチャンであるようです。宋美齢<そうびれい>もそうです。それから蒋介石の親戚の汪精衛<おうせいえい>も非常に熱心なクリスチャンだそうです。そういうようで、ほかの宗教を弾圧はしないまでも、宣伝するとか弘めるということは嫌っているのです。そこで紅卍字会も台湾ではどうにもできないので、日本に本部をつくって紅卍字会を大いに日本で発展させたいという考えです。それは「扶」というのに出たのです。それで今度来たのです。その扶で日本の新宗教を土台にしろということが出ているので来たところが、結局新宗教中では救世教よりほかにないのです。というのは、二〇年ばかり以前に紅卍字会は日本に来て、大本教と提携していろいろやり始めたのですが、そのうちに大本教が弾圧をくったので、その後ぜんぜん縁が切れたのです。しかしその時代の大本教の幹部の者はそうとう知ってます。それで生長の家の谷口さんは、大本教の幹部ではあったが、紅卍字会と提携するときはほとんど脱会していました。それでそれを知っているのは、近ごろできた静岡県の三五教<あなないきょう>の会長の中野さんはよく知ってます。そういうようでほかの新宗教にいくらか働きかけたのですが相手にされないので、結局私のほうにぜひという話になってきたのです。しかしさっきから話したように中国の大掃除をやらなければならない。こっちがやるのはつまり建設のほうですから、破壊がすまなければならない。そうして私の目的というものは、中国を救うのに紅卍字会を働かせようと思ってます。救世教の中国救済出張所というようなわけなのです。だからいまのところは先様<さきさま>が日本で紅卍字会を大いに発展させようという考えとは、大いにくい違いがあるのです。しかしそれをすぐに言ったところで分からないから、ゆっくりと彼らに分からせるようにするつもりです。そうして結局破壊と建設ですが、建設するのは大いに建設し、大掃除もしなければならない。それで日本もこの間の太平洋戦争で大いに爆撃されたり、いろんなことでそうとう掃除ができましたから、そこで救世教が日本に大いに発展されるような段取りになったわけです。ですから終戦後ようやく信教の自由ということで宗教的の活動が自由になって、予定どおりになりつつあります。そういうようで中国も大掃除をされるのです。大掃除をされるとすれば、今度アイクが大統領になってから中国を大掃除するという段取りになるのです。それにはどうしても二、三年はかかるとみなければならない。ですから紅卍字会の連中にも二、三年待て、そうしていまのところはつなぎ程度にして、積極的の活動ということはまだ早いからと言ってやりました。そういうようなわけで中国の大掃除が始まるのです。なぜといって、いまのように中共が政権を握っているようでは、宗教宣伝はぜんぜんできませんから、どうしても中共がアメリカの権利になって、日本のように信教の自由を許すということになって、初めて積極的に活動ができるのです。それまで待つよりありません。またそうならなければ中国は救われません。それで神様はちゃんとそういう順序でされます。そう言えばなかなか簡単ですが、それまでは中国全土はなかなかたいへんです。それを待っていればいいわけです。そういうようなわけですから、これから北鮮から満州にかけてそうとう大きな戦争になってきます。といってもこれは第三次戦争にはならないと思います。なぜというと、ソ連はある時期にいくと中共を見放してしまうだろうと思います。それはいま第三次戦争をしてもソ連に勝ち目はありません。それは武器の点からいってもアメリカのほうがずっと優秀ですから、それはスターリンとしても手は出さないというわけだから、結局いま言った範囲くらいでおさまると思います。それは前から分かっていたのです。トルーマンという人が非常に石部金吉<いしべきんきち>でただ堅く消極的で、事なかれ主義をやっていたために後れたのです。しかし後れたりと言えども、まだまだ充分勝てるのです。これは前にも言ったとおり、マッカーサーの案と同じなのです。ですからあのときにやればもっと楽にいったのです。楽にいったわけだが、しかし神様のほうから言うとあのときでは早過ぎたのです。そういうようなわけです。それを頭に入れておけば、これからの時局の見当がだいたいつくわけです。それと日本に対する共産主義の活動ですが、結局、電産問題でも炭労問題でも、奥の奥は共産党の手が動いているのです。そこでいま言ったとおり朝鮮問題が解決するとすれば、その点においても非常に有利だと思います。もう一つは日本の再軍備ですが、来年あたりから大いに積極的になるだろうと思います。あるいは徴兵制度なども布<し>かれるかも分かりません。それから朝鮮に兵隊を送るようにならなければならないかもしれません。これはあらかじめ覚悟しておかなければなりません。それは日本が出兵するとともにフィリピンも出兵し台湾も出兵するでしょう。それで一挙にやってしまおうという戦略かもしれません。アイゼンハウアーという人はその点なかなか勝れた手腕を持ってますから、安心して可なりというわけです。

昭和二十八年十二月十五日

 それからこの間もちょっと話しておきましたが、中国の紅卍字会<こうまんじかい>が非常に困っているのです。それで先方では提携ということですが、実際は救いを求めてきたようです。それも神様がそういう具合にしたのです。それで今度小田原の別院の一部をそれに使わせようと思ってます。ただ紅卍字会は、おもしろいことには神様の在る無しがすぐ分かるのです。ですから救世教のほうでは、お蔭とか、奇蹟とか、浄霊すれば病気がなおる、ということで神様があることが分かります。ところが紅卍字会のやり方はまた別なやり方で神様を分からせるのです。これはいずれ小田原でやりますが、長方形のテーブルの向こうとこっちに人が立っていて、T字形の棒を両方で持っているのです。そうして砂盤<さばん>といって四角の薄いお盆をおいて、その上に平らに砂をいっぱい置いておき、T字形の両方を持っていると、これが自然に動いて字を書くのです。ところがその字を書くのがとても早いのです。両方で示し合わせて書くとしても、ああ早くはいきません。ですから神様が書くということが分かります。そうして持っているほうは軽く持っているのです。そうすると、こっちで見ていて、一つ一つつないでいくのです。そうするとそれが文章になっていくのです。それで最初やる前にはすっかりお祈りをするのです。祝詞のようなものを奏げて、中国人はこういう具合に手が見えなくなるようにして三拝九拝する。これは三回ずつ三度して三、三、九度するのです。そうしてそれから始めるのです。そのときに立派な椅子を置くのです。それにはだれもかけてませんが、そこに神様がおかけになるということになってます。霊眼でみる人もあります。ですからたしかに神様がそこにおかけになるに違いありません。その神様というのは至聖先天老祖<しせいせんてんろうそ>というのです。その神様が指図命令なさるのです。いまはだいぶ変わったようですが、以前はキリスト、釈迦、孔子、観音、弥勒。マホメットはなかったようですが、とにかく七つの神様が代わる代わるおかけになったようです。私は見たことがありますが、二〇年ばかり前に日本に紅卍字会の幹部の人が一八人か来て、私が経営していた麹町の大本教の分所で初めてやったのです。私が行ったときは観音様で、「観世音菩薩、汝らに告ぐ」ということで、それからいろいろなことが出ました。ですからそこに出るのはいろいろな教えとか予言とかです。予言というのは密訓といってますが、それは秘密で公開できないのです。これはよほど前ですが、蒋介石がいばっていた時分の密訓で、蒋介石が亡びるということが出たのです。秘密にしていたのですが、なんでも知れたらしくて、ずいぶん調べられていろいろなことがあったようですが、たいしたことはなかったらしいです。そのときはそういう気振りもなかったが、結局こうなってみると密訓は恐ろしいくらいなものです。それから今度小田原でやるでしょうが、粉だと思いますが、いろいろな絵の具をまぜこぜにしておくのです。それは筆を使うのかどうかよく分からないが、一遍にパッと拡がって絵になってしまうのです。それは実にすばらしいものだそうです。実に神秘です。私が見たときは筆の先で字を書いて、そこに列席した人に配りましたが、そのときおもしろいことは、私に大きな「浄」という字を一字くれたのです。それで横に小さく「岡田茂吉」と書いてあった。それを表装しょうと思って経師屋に出したら、経師屋がなくしたらしく、私もそれきり忘れてました。いまになってみると、私は「浄霊」ということが必要な仕事ですから、そのときに神様が用意されていたのです。その字を書くというのは神様がやられたということは一目で分かります。一字書くとトンといきまた一字書くとトンといく、それが文章になるのです。だからこれも私は、利用というと安っぽくなりますから利用とは言わないが、神様があるということを見せるという、そういう一つのやり方で、これも必要なのです。これはインテリなどが見ると一番よいです。病気がなおるというのは、時節が来たからなおったとか、いま薬が効いた、といえば言えますが、これは目の前ではっきりするのですからこれはいいなと思ってましたが、いよいよそれをやることになるでしょうから、一つの方法として非常にいいと思います。これは分かっているのですが、約二〇年前の昭和五、六年のころに紅卍字会の人たちが、いまの芝の浜離宮の庭で写真をうつしたことがあります。そのときに紅卍字会の信者が一八人か並んで、その隣に大本教の信者が十数人並んでいた。そうしてこれから写真をうつそうというときに、ちょうど私がそこに着いたのです。そうしてヒョッと見るとみんな整列しているのですが、富沢という信者で代議士かでしたが「いまうつすから、岡田さん早く来給え」と言うから、私も「ああ」と言って立ったところが、すぐ写真がうつった。その立った所が紅卍字会と大本教信者が並んだちょうど真ん中の一番前に立ってうつったのです。それで私は、いまに紅卍字会は自分が支配するのだなと思ったのですが、それがだんだん実現する段取りになってきたのです。それで紅卍字会というのは、旗印は赤い卍です。あれは右進左退のほうの逆卍です。それで紅卍字会というのは、二十何年前に中国の済南<さいなん>という所の在で百姓のじいさんが神懸りになって「道院<どういん>」という宗教を作ったのです。これは本当に拝むのが主なのです。そうして紅卍字会というのは、体的の救いをやるために右進左退の逆卍になったのです。それで私のほうは左進右退です。前に金Φというのを作って、最初の雑誌を作ったのですが、その表紙に金のΦを作ったのです。そうして金Φ教会というのを作ろうと思ったのですが、いろいろな事情ができてやることができなかったのです。そうこうするうちにヒトラーが黒Φをつけた。これは逆でなく本当のΦですが、斜めになってます。それに黒ですから、黒は悪です。そうして斜めですから正しくはないのです。黒Φは悪ですからナチスは駄目だと思ったのです。そういうこともありました。紅卍字会というのは、結局将来中国を救うその主力になるわけです。それでやっぱり私が指図しなければ駄目です。そうなると、おもしろいのは扶<フーチ>ですが、扶によってできるのですが、これは一名壇訓と言うが、一般には扶と言ってます。これは支那の古い時代にあったのです。それで巫<みこ>という字がありますが、これはそうなってます。人が二人でこれを持っているという形がこれに出てます。だから支那の何千年か前にあったに違いありません。おそらく漢以前でしょう。漢以後は物質的になったのです。そこで漢方薬と言いますが、漢方薬というのは漢の以後にできたのです。だから漢以前には薬を使わなかったのです。これについてはまだいろいろな話がありますが、時間がないからだいたいを話したのです。来年からインテリ階級に神のあるということを知らせる仕事ができるから、そういう方面に開けるというわけです。

昭和二十八年十二月十六日

 いま問題になっているのは電産、炭労のストライキですが、あれは結局ソ連が糸を引いてやっているのです。その狙ったところはなかなかうまいものです。それは日本の再軍備をなかなか怖がっているので、それを妨害してやろうというのです。それには石炭と電気ですから、そこを狙っているのです。ですから賃金が少ないとか生活がどう、というのではないのです。とにかく炭労の賃金というのは非常にいいのです。だから少しくらいの賃金を上げろとか、そんなことは問題にしないのです。向こうの提出した賃金というのは倍ですから、そんな馬鹿げた上げ方というのは、できるものではありません。最初にできない相談を出しておいて、言ったとおりを一歩も譲らないというところをみても、日本の生産を妨害してやろうという意図がありありと分かるのです。そこで考えてみなければならないのは、どうしてソ連が日本の軍備に対して邪魔をしなければならないかというと、これは分かりきった話なので、日本を軍事的にやっつけようという腹があるからです。つまり武力をもって日本を侵略しようというそのときに、日本の軍備ができるだけ少ないほうが楽ですから、日本にできるだけ軍備をさせないように邪魔しているというわけです。ですから将来日本に対して武力侵略をするということは分かりきってます。ですからいまストライキをやっている人というのは、つまり日本の国民よりもソ連の国民になりたいという望みなのです。そうするとこれが難しいので、われわれは人間がほとんど機械のように扱われているソ連の政治のもとに、というのはいやです。しかし労働者のほうは、たいして違いはないのです。ソ連の政治になっても、やはり働いただけの賃金はくれるのです。そうして、日本のように大いに儲けて贅沢するというような奴がなくなる、そうすればオレたちは働いていても気持ちがいい、というわけです。ですから労働者階級はあえてソ連の政治になっても、さほど苦しみはないのです。あるいは現在よりもよいかもしれない、という考えがあるのではないかと思うのです。さもなければ人間はどんなものでも、自分の不利益になり、自分がいままでよりか悪くなる生活とか待遇を欲するわけはありません。ところがああしたストライキをして邪魔して、日本国民を脱却してソ連の国民になりたいということは、日本国民でいるよりかどこかよいと思うからです。そこを考えなければなりません。ところが労働者以外の一般国民は、日本国民のほうがいいというので、それを取り締まろうとしているのです。ところがソ連の植民地になるよりか日本が独立しているほうがよい、というほうがずっと多いのです。ですからこの間の総選挙でも共産党は一人も出なかったのです。あれをもってみても、日本人は日本の国民のほうがいいという人がずっと多いのです。それでソ連の国民になりたいというほうはずっと少ないのです。そこであれほど一生懸命に命がけで共産党が活動していてもさっぱり増えないのです。それで少数の人間が、できるだけ邪魔してやれというのです。それにはまず第一に生産を邪魔して、日本をソ連が将来武力侵略をするのに都合のいいような国にしたいというだけなので、成功するしないは別としても極力それを一生懸命にやっているわけです。そういうように考えてみるとよく分かります。それでなければ七〇日以上もああして頑張っているということが分かりません。自分たちでも賃金はわずかしかもらってないから、ほとんど食うや食わずで悲惨な生活をしているのですから、それでもああしてやっているというのは、日本を早くソ連の植民地にしたいという念願でやっているのです。おかしな話ですが、しかしその人たちは命がけでやっているのです。そうすると将来武力侵略という危険があるとすれば、日本はどうすればいいかというと、やはり経済の許す限りは、ある程度までの軍備をしなければならないということになるわけです。そうするとそのために政府は、警察予備隊を保安隊にしましたが、ああして着々と軍備を作りつつあるのです。だからそれに反対する側は、いま言う労働者階級、つまり共産階級です。それは絶対に反対する。しかしこれは少数です。それからあとは女子供、つまり自分の家族がこの間の戦争でコリゴリしたというために、大局や先のことは考えないでただ目先だけで、兵隊にとられたり戦に行っては困る、というごく低級な人たちが反対するというわけです。しかし反対するほうは女が多いのですから、そこで憲法改正もなかなかできないのです。改進党あたりが憲法を改正して堂々と軍備をやったらいいだろうということをしきりに言ってますが、憲法を改正するには国民の半数を得なければならない。ところが頭数からいうと女のほうが多いくらいですから、憲法改正が成立するかしないかあぶないので、政府も憲法改正の挙に出ないということは、そういう懸念があるからです。そこで政府としてもなかなか難しいのです。だから機が熟して国民の世論がそこまでいくまではやれない、ということを吉田首相も言ってますが、それよりほかにしようがないでしょう。日本としてはそういうようです。それからアメリカとしては日本が一番肝腎なのです。日本がやられたらアジアは共産国家になってしまいますから、どうしても日本だけは急所なのです。ソ連の側のほうに行ってはいけないというので、いろいろな援助をしているのです。しかしそれに対して今度アイクが朝鮮に行って視察しましたが、結局グズグズしていてはいつまで経ってもきりがないし、片がつかないので、うんと強硬にやっつけてしまおうという考えです。そうかといって戦線を拡げるということは、ヨーロッパ、特に英国あたりは嫌うのです。そこでそれを拡げないで息の根を止めようというので、これはなかなか難しいのです。それでいまだいたい新聞やなにかで知れている点では、現在の戦線は東西二二〇キロあります。それをもう一歩進むと、一番狭い所はだいたい一〇〇キロくらいの戦線ですむのです。そうすると警備の兵隊がよほど少なく、半分くらいですみますから、そこまで進出しようというのですが、これは分かりません。というのは、二、三日中にマッカーサー元帥を呼んでアイクと会談することになってますが、その結果どういうことになるか分かりません。とにかくいまのところ強硬な手段によって息の根を止めるということだけは腹ができているわけです。そういうように計画どおりいくかどうか分かりません。中共やソ連の尻押しから考えても、なかなかそう簡単にいくわけはないのですから、あるいはかなり激しい大きな戦争になるかも分からない。しかし第三次戦争は起らないでしょう。というのは、いま起してもソ連のほうに勝ち目がないのです。それで結局第三次戦争が起らない程度の極限されたもので、転がったところで中国という程度でしょう。アメリカのほうはできるだけ中国のほうに拡げない計画ですが、しかし成り行きによっては中国全土に拡がるかも分からない。というのは、神様のほうでそろそろ中国に救いの手を出し始めてます。それには宗教の宣伝が自由にできるような状態にならなければならない。その見本として日本が終戦前は宗教宣伝をすることができなかったのです。特に私らは終戦前ときたら、まるっきり手が出なかった。その時分は観音様を拝ませましたが、観音様と天皇陛下とどっちがありがたい、とくるのです。観音様を拝むなら天皇陛下を拝めというわけです。病気がなおったら、観音様でなおったのではない、天皇の御稜威<みいつ>だ、という行き方ですから、それでは御真影でもお祀りするよりしようがありません。それも昔からある阿弥陀さんとかお釈迦さんは許されているのです。そこで前に日蓮宗のお曼陀羅に、天照大御神様は下のほうに小さく書いてあって、春日明神、上のほうには大広目天など、と大きく書いてありますが、それは非常に不敬であると訴えた人があります。その判決が、「そういう理屈からいくと、たしかに不敬だ、しかしいままで何百年もの間そうやっていて別に差し支えなかったからよい」ということだった。ですから古いのはいいので新しいのはいけないのです。そこで神様は戦争をやらせて、日本が負けるようにして民主国家にして、われわれのほうで宗教宣伝のやりよいような国家にしたのです。こういうところは神様は実にうまいものです。また徹底した大きなやり方です。そこで民主国家になったためにわれわれは大いに宗教宣伝ができたのです。そうしてこのとおり発展してきたわけです。それでこれを考えてみると、中国もそういうふうにならなければならないのです。ところがいまの中共政府はぜんぜん宗教禁止です。そこでいずれ中共はアメリカに頭を下げて、信教の自由ということになるのです。そこでアメリカに降参するということは、アメリカに武力で大いにやられるということになります。そうすると今度アイクが始めるとすると、結局支那全土に拡がっていって中共がめちゃめちゃにやられて、しかしそれでもソ連は援助しません。スターリンはもっと利巧ですから傍観しているでしょう。最初は条約によってある程度の援助はするでしょうが、第三次戦争は起らないでしょう。それで中共がやっつけられるのです。そうなってから、われわれのほうでも大いに中国の救いをやるわけです。それについて最近紅卍字会<こうまんじかい>が援助を申し込んできたので、こっちも承知し、援助はするがいまのところはまだ時期が早いからもう三年待て、しかしそれまではつなぎ程度の援助はする、と言ってやりました。たぶんそうなるでしょう。紅卍字会のほうはもうしようがないのです。前に天津に本部があって、満州方面でそうとう発展していたのです。ところが中共政府になってから、命カラガラ台湾に逃げたのです。中には幹部の者で命までとられたのがあります。それで台湾に逃げて形ばかりの本部を作ってやっているようです。ところが台湾に行っても、蒋介石の政府のほうでは援助どころでなく邪魔しているのです。なぜというと蒋介石のほうは、アメリカの援助によってとにかくああしていられるのです。そうするとキリスト教でなければ駄目なのです。だから偉方のうちにそうとうキリスト教信者もあるようです。第一宋美齢<そうびれい>もキリスト教の熱心な信者です。そういうようで他の信仰は極力活動できないように、弾圧するほどではないが虐待しているわけです。そういうようで紅卍字会もしようがないし、また扶<フーチ>に日本の新宗教と提携しろということが出たので来るわけですが、日本の新宗教で力のあるのと、紅卍字会をよく知っていることですが、一時大本教では紅卍字会とは提携しましたから分かっているのです。一時は私も紅卍字会の会員になって、大きなメダルをもらって下げていたことがあります。それで紅卍字会の日本総本部ということをぜひ心配してもらいたいというので、小田原の別院にちょうど適当な棟がありますから、そこでやらせようと思ってます。紅卍字会というのはいずれ詳しく話しますが、扶というのは非常におもしろいのです。なにしろ神様がおっしゃることがすぐ字で書けるのです。それは非常に興味があって、神様のあることが手にとるように目の前で分かるのです。ですから日本のインテリなどがずいぶん来ると思います。神様のそういった仕組みなのです。これは来春からやるようになると思います。それでこっちの宣伝にも非常に役に立つと思います。話はそのくらいにしておきます。

昭和二十八年十二月十七日

 それで神様のほうからいっても、そういうふうになるようになっているわけです。どういうわけかと言いますと、今度紅卍字会が私のほうに援助を頼んできたのです。この紅卍字会というのは前に天津に本部があったのです。それで信者は北のほうが多かったのです。特に満州は一番多かったでしょう。ところが中共政府ができてから、ひとたまりもなく追い払われたのです。それもなかなか危険なくらいで、幹都の者でそうとう犠牲になった者があるのです。ですから命カラガラ台湾に逃げたのです。それで台湾で活動しようとしたところが、なにしろ蒋介石の政権はぜんぜんアメリカの厄介になっているので、キリスト教以外はどうもまずいのです。ですから蒋介石の部下で主なる人はクリスチャンになっているのです。ですから他の宗教が運動するということは非常にいやがるのです。そこでどうも具合が悪いのです。そうすると扶<フーチ>ですが、これはみなさんに見せますが、扶によって日本の新宗教と提携してやれというようなことが出たので、いつかも話したとおり、最近静岡県の清水に三五<あなない>教というのがありますが、そこの幹部に前の南京領事をしていた林出という人がいます。その人が紅卍字会とよく知り合っているので、先方から招かれて行ったのかどうか知らないが、台湾に行って話し合った結果、先方でも扶が出たりして、こっちに来て新宗教といろいろ提携してみたところが、だいたい紅卍字会のことを知っている宗教というのが、私のほうと生長の家と、それからいまの三五教です。これは元大本教信者であったからで、ほかにはありません。というのは、大本教は以前紅卍字会と提携して、そうとう行き来をして、日本にも弘めようとしたことがあったのです。そのうちに、あの大本教事件によってそれは駄目になったのです。ですから私も一時は紅卍字会の会員になっていたのです。それで私が麹町で大本教の分所を経営していたので、そこで扶などもしたのです。扶というのは、初めての人にはなにがなんだか分からないでしょう。説明も難しいのですが、いまに小田原の別院でやらせますから、見てもらえば分かります。これは神様の在る無しを知らせるにはもっともよいのです。目の前で神様があるということが分かります。私はこれをいつか日本人にも見せたいと思っていたことがあります。そういうわけで、今度ぜひ私のほうに援助をしてもらいたいという申し込みがありましたが、小田原の別院が扶をやるような場所にちょうどおあつらえになっているのです。それをやるについて、紅卍字会のそれをやる係りの人と、やはり扶によってだれがやれという命令が出るのです。そういう人が三人あるのです。それもこっちに来て泊まる場所が欲しいと言う。ところが小田原の別院にちょうどいい別棟があります。それは神様が用意してあったのです。それは約二〇年ばかり前に、そういうお知らせがあったのです。私はその時期を待っていたわけです。これはいまにもっと詳しく書いて『栄光』に出します。とにかくそういうようで、紅卍字会と提携といいますか、この間先方で三五教の人が二人、紅卍字会の中国人が三人ばかり来て会ったのです。それで私のほうも提携はするが、しかしまだ時期が早いから、もう三年ぐらい先でなければ駄目だ、それまではつなぎの程度に御援助しよう、ということになっているのです。先方は中国のほうはふさがっているのでもう駄目ですから、日本で弘めたいというつもりなのですが、結局において紅卍字会は中国を救う宗教になるのです。それは私の指図によって中国を救うというのが、神様のほうの目的なのです。しかしいまは時期がそこまでいってないから、時期を待つよりほかにしようがない。それはどういうわけかと言いますと、中国は、いまはそういう宗教宣伝などはできないのです。それはちょうど日本と同じで、私が以前から宗教をやりたいと思っても、終戦前はてんでどうすることもできなかった。それでしかたなしに浄化療法という民間治療でやっとやっていたようなわけで、宗教的なことはぜんぜん駄目です。それが終戦と同時に信教の自由が許されるというわけで、宗教団体をつくったのです。いずれ中国も、アメリカが日本にしたと同じように、大いにアメリカの民主政治が施かれるようになるだろうと思います。そうして信教の自由が許されて、それからが本当の仕事ができるわけです。っまり宗教的の仕事ができるということになるだろうと思います。そう考えると、やっぱり結局は中共がやっつけられて蒋介石が政権を握って、それをアメリカが援助するという、日本と同じような形になるだろうと思います。それにはまず三年くらい経たなければならない。早くて二年、とにかく二、三年は混乱状態が現出すると思います。だいたいそういう経路をとっていくだろうと思いますが、とにかく日本もいまの扶によってインテリがそうとう分かってくると思います。これはインテリの無神論者に見せるにはもっともよいのです。われわれのほうではいままで神の在る無しは、病気なおしと奇蹟が一番の武器でしたが、それにはそうとう暇がかかります。扶を見ると、なにもないのにひとりでに棒が動いて字を書くのです。どうしても神様がやるとしか思われません。だいたいそういうような意味で、来年からはそれが大いに役立つと思ってます。

昭和二十八年十二月十三日御生誕祭御教え

 私は今日で満七〇歳になりますが、この「七」という数字は「完成」の意殊です。「成る」という意味です。つまり結んでまわる、ですから伊都能売<いづのめ>です。まわるということは左進右退の活動が起ることです。数字からいうとそういうわけです。それでキリストが言われた「造物主が六日間で世界を造って七日目に完成して一休みする、そのために七日目を日曜日ということになった」という言い伝えになってますが、それはそのとおりで「七」という数はそういう意味です。ですからミロク、五六七ということも、火水土というわけで非常に結構です。それで「八」で開くのです。ですからこれからはいよいよ発展の時期にはいるわけです。ですから京都のほうも来年からボツボツ取りかかるわけですが、やはり京都は「七」ですからしてちょうどそういうことになるわけです。それで五六七の合計は十八になりますから、そこでこれもミロクの数字です。十八という数も結んで開くという数です。

昭和二十七年七月九日 『栄光』百六十四号

明主様 クリスチャン・サイエンスは、自己の想念によって病気を治す、いわゆる自力宗教ですが、世界救世教は信じても疑っても病気が治るので、この点完全な他力宗教と言うことができます。キリストも病気を治しましたが、私は私自身病を治すばかりでなく、多くの人々にもその力を授けることができるのです。ここに集まっておる人たち(そこに集まっている幹部三十余名を指し)はみんなその力を授けられております。もし私が嘘を言ったらこの人たちは私を信じなくなるでしょう。

昭和二十七年七月九日 『栄光』百六十四号 

カルティエ氏 こういうことでございましょうか。キリスト教ならキリストが亡くなって、つまり教会はずっと残っていますが、そうでなく在世中に全部なさって、後はそれを司<つかさど>って行く教会とか教えは必要がないので。

弟子でさえキリストの奇蹟を再現

カルティエ氏 キリストとかマホメットとか釈迦だとか、ああいうような方々は、やっぱり一種の神の使命を受けてこの世に現われたので。

明主様 勿論そうですが、ああいう人たちは神様から与えられた力が少ないんです。弱かった。ですから私の弟子でキリストくらいの奇蹟を表わすのはたくさんあります。ですから私のメシヤ教は宗教じゃないんです。宗教では人類を救えないんです。ただ、宗教は私が出るまで人類が救われる程度のつなぎであったんです。

カルティエ氏 『バイブル』なんかにキリストが、死んで三日目に蘇生させたとあり、信者は固くこれを信じてますが、カトリック信者にそう言わせるようにするには、やっぱり信者の人を蘇生させるようなことを目に見せてやらないと信じないですが、そういうようなことができるので。

明主様 私の弟子で立派にできます。弟子で、いったん死んだ人が生き返るようなことをやってます。ですから、あなた方でも私の弟子になれば、キリストくらいのことはできますよ。

カルティエ氏 キリストのように、食物がなくなると食物を与えるとか、土地をもっと豊富にするという御力は。

カトリック信者にキリストの霊が働きかける

明主様 無論そうなります。それからカトリック信者がいまにメシヤ教信者になります。それはだれがそうするかというと、キリストがそうするんです。キリストの霊がみんなをメシヤ教の信者になるようにするんです。

明主様 そうではない。私がなにもそんなに働きかけなくても、先方でどうしても私に働きかけなければならないようにキリストが霊界から働きますからね。キリストでも釈迦でも、いままで私の生まれるのを待っていたんです。キリストも釈迦も預言者です。キリストは「天国は近づけり」と予言されたが、自分で天国を造るとは言わなかった。釈迦も「ミロクの世が来る」とは言ったが、自分が実現させるとは言わなかった。

カルティエ氏 キリスト教信者は、自分の神様以上のものはないと信仰しておりますが。

カルティエ氏 キリストはメシヤであると。

明主様 それは私が精<くわ>しくお話しすることができないです。私がメシヤの降臨とかキリストとすると、ワーッと来て仕事ができないです。いまいろいろ仕事があるし、書くのもたくさんある。私の『バイブル』ですね。それができるまでは公然と言わないんです。だから、ぼかしてあります。そういう意味ですからね。

明主様 それからいままでの出版物がいろいろありますが、それをみんなあげます。その中には私の弟子で、キリストと同じようなことをした人の手記とかいろいろ出てますから、それをお読みなさい。