昭和二十七年四月二十日 『御教え集』八号(9)
それで、今度熱海のほうを少し話しますけれども、これはどなたもチョイチョイ見られるでしょうが、ツツジ山ですね。そういう所も最初は小さくするつもりだったのが、どうもおもしろくないので、だんだん大きくした。山の形状やなにかも、植木屋やなにかも、あんなものをこしらえたことがないからね。うっかりすると、自分の思い通りにすると、私の考えに違うことがある。で、私が直させて山の高さ、ふくらみ、周囲ですね。それを直させたり変えたりしてやっていたところが、やっと形だけはできあがりましたがね。最初は二〇〇〇本植えるつもりだったが、二〇〇〇本じゃとても足りない。それで、六〇〇本植えた。ところがそれでも足りない。今度は一〇〇〇本買いましたがね。三六〇〇本ですがね。そうするとミロクになるんですよ。一山にツツジを三六〇〇本なんていうのは、断然日本一ですね。他にありゃしないですね。これは二、三年経つと、すっかり土が見えなくなりますからね。それから花が咲いたらすばらしいものですね。日本中の一つの評判になりますね。そうしてその上に展望台も造りますけれどもね。展望台は最初半円形にするつもりだったんですが、土地が最初の予定より拡がりましたから、半円形より、小判を切ったような形になります。展望台が拡くなければね。そうして、硝子も曲線硝子……いま硝子を曲線にするのは、わけなくできるんですからね。ですから、曲線硝子にして、細い金で継ぎ合わせてやるつもりです。ニッケルのような……ジュラルミンですね。ああいうもので、繋ごうと思う。これもずいぶんいろいろ研究したんですが、最初……もし風のために割れたりするといけないと言うんで、幅三尺のつもりでしたが、考えてみると、風がいくら当たっても、滑っちゃうと思うんです。平たいからね。六尺くらいにするつもりです。硝子工業というのは非常に発達して、いま硝子は長さ三〇間までできるんですからね。これは、最近ロンドンのデパートで、なんでも三〇間……じやないが、十何間という一枚硝子でやったデパートのショーウインドウができたそうですがね。そんなような具合で硝子でして、天井は真っ平らで、下を赤い絨毯で敷きつめちゃおうと思う。まわりが青い所に赤いのでね。そこから二、三間離れて……線をコンクリートで作って……四季の草花を作ろうと思う。それが展望台です。その四季の草花の先にツツジがいくんです。ツツジも低く刈り込ませる。そうして、会館も、だいたいこの間技師に図面を引かせたところが、私の言った通り引かないので、どうもああいった商売人は、素人がなに言うかという具合で、決してこっちの言う通りやらないものですよ。それがあたりまえでしょうがね。素人というのが変わっているのかもしれないがね。で、私が……向こうが商売人というが、こっちも商売人だと言った。私が説明しても分からないんですよ。終いに先生のほうで画いてくださいませんかと言う。じゃよろしいというので、他の製図屋を呼んで画かせた。製図屋はお気に入るまで何回でもやりますと言うので、思うようにできると思いますがね。ところが建築屋のほうでは、いまほうぼうでやっているのしか頭がないんですね。そんなわけで、間口二一間、奥行三〇間の六三〇坪ですがね。ちょうど……椅子で計ってみると二〇〇〇人入って、そのまわりに立たせると一〇〇〇人入って、三〇〇〇人は入りますね。それからお祭りで多いときは、まわりの敲の所……そこにぐるっと立たせると、二〇〇〇人は立ちますから、五〇〇〇人は収容できますね。その代わり外側は六尺幅にして、前の方は三間ですがね。横のほうは一間のコンクリートの廊下……回廊ですね。外側の廊下です。そこに、雨でも降ったときに濡れるから、三尺出した。つまり九尺の廂を作るつもりですがね。硝子の廂です。硝子が結局五一間です。網硝子ですね。真ん中の玄関のほうは、今度図面ができたら良く解りますがね。ただ話だけじゃ、ちょっと解らない。ですから、雨が降っても、そのまわりは濡れないようになりますからね。鉄の丸い細い柱で、それを支えようと思ってね。中なんかもなかなか難しいんですよ。というのは、劇場じゃない。舞台を作ると劇場らしくなる。宗教的なものですからね。そうかといって、キリストの教会堂のようでもおもしろくない。勿論、寺院ではないしね。そこで私は古い所を取って、ごく新しくしようと思ってますからね。ですから、新しい形式を作るようなものですからね。中の天井なんかもいろいろ考えて、だいたい案はできましたがね。こっちは余興の舞台にも使うんですからね。舞台であり、神床ですね。ふだんは拝むんですね。それがすむと舞台になるんですからね。そこのところの調和が、よほどうまくやらなければならない。そうかというと、下のほうはオーケストラがやる。オーケストラは六〇人用意しますけれどもね。歌はヘンデルの「救世主」をやるつもりですからね。あれは、メシヤ教のためにヘンデルが作ってあったんです。ですから、あれは「救世主」と言うんですね。ですから、こっちがあれを使わなければいけないんですよ。ですからいまあれをやっているのは、こっちで貸してあるようなものです。まあ、神様が稽古させてあるんですね。だいたいそんなような具合で、その展望台の後ろにすぐくっついて、いろいろな部屋を作るつもりで、それはいろんな……みんなの会議室だとか、いろいろ……お祭りのときの仕度部屋だとか、余興のときの芸能人の仕度する所とか作って、二階に小さい展望台を造る。お供えみたいになるですね。そこは、私が行ったときの休憩所になる。そこから会館までトンネルになる。外からぜんぜん見えないで行ける。そうすれば、信者さんと一緒に行かないことになるし、天気の悪いときでも平気ですしね。約四〇間以上ですね。あの地形がまたうまくできているんですよ。とても……やっぱり神様ですね。巧妙にちゃんと用意してあるんですよ。まだ、いろいろな話はあります。美術館の話もしたいが、時間があまりないですから、このくらいにしておきますが、というのは、お祭り中は浄霊はしないつもりだったんですが、昨日ぜひしてもらいたいと、当てにしている人がたくさんあるというので、じゃしかたがないので……どうも頼まれれば嫌ということは言えない性分ですからね。やっぱり、神様の慈悲ということもありますし、江戸っ子の義侠心と言うか。そんなものでね。ですから、これから浄霊しますからね。
昭和二十七年四月二十日 『御教え集』八号(11)
箱根はそのくらいにして、熱海のほうは、いまどなたでもみんな見ているでしょうが、ツツジ山ですね。あれはだいたいできましたがね。あれも最初ツツジを二〇〇〇本植えるつもりだったところが、二〇〇〇本じゃとても足りない。あそこに取ってあったのが六〇〇本あったが、それでもまだまだ足りない。それで今度は一〇〇〇本買いました。三六〇〇本ですね。やっぱりミロクですね。箱根のツツジも三六〇本。こっちが三六〇〇本。それから梅が結局三六○本になります。やっぱり、ミロクにどうしてもなっちゃうんですね。だから、三六〇〇本一山に植えると言うから、とうてい日本のどこにもないに決まっているからね。あれは将来日本の名物になって、一遍は日本中の人が必ず見にきますですね。それからメシヤ会館ですが、会館もこの間技師が図面を持ってきました。どうも気に入らないのです。どうもああいう人たちは、これ(鼻)がありますからね。だから、こっちが言っても、その通りに、なかなかやらないです。やっぱり自分の個性を出そうとする。その人は芸術院の建築のほうの受賞者になった吉田五十八という人です。とにかくあの人は柔術学校の教授で、今度の美術賞をもらうくらいですから、設計家としては日本一ですが、けれどもこの人は日本建築を研究しているんです。その点に私とちょっと食い違う。私はずっと新しいところを狙ってますからね。外国よりか新しいものを狙っている。だから食い違う。でもあの人は新しいほうです。日本の新人でね。歌舞伎をやっているくらいですからね。私のほうが異っているので、先のほうが異ってくるんですね。私はどうも解らないから、先生一つ画いてくださいと言うので、よろしいと言って、今度図の専門の者を呼んですっかり命じましたからね。お気に入るまで何回でもやりますからと言うので、今度は気に入ったものができますがね。そうしたら見せます。これは、そうとう良いと思うんです。で、メシヤ会館はだいぶ拡くなったので、結局椅子席が二〇〇〇人はできます。それからまわりの廊下に立ったのが一〇〇〇人くらいできますから、三〇〇〇人くらいは大丈夫、収容できますね。それより多くなったら、外の回廊が六尺幅で、ずっとコンクリートになりますから、そこにもそうとう立てますから、なんだかんだと五〇〇〇人くらいは収容できますね。その代わり、外に廂を作らなければならない。屋根がなくちゃいけない。そこで硝子の廂でずっと取りまく……四十何間の硝子の廂ができる。しかしいま硝子は非常に進歩してますから。間数の長いのは平気ですよ。どのくらいでやれますか……とにかく長さ三〇間までやれるんですからね。新しい硝子の設備は最近できたんです。網硝子ですがね。玄関は三間四方くらいの天井にするつもりです。硝子の廂でね。いろいろの点は……なかなか難しい点なんです。そういうのは、いままでだれもやったことがないんですからね。宗教建築じゃないからね。耶蘇教式……キリスト教式のものをやるなら、いままでできているからわけないんですがね。こっちは余興もやらなければならないから、舞台の設備もやらなければならない。舞台というのは娯楽で、拝むというのは宗教ですから、なかなか苦労がいるんです。外郭も、いまの吉田という人のは、ちょうどいまの……現代人の感覚なんです。私のほうはもっと先ですからね。先方のは、いくらか劇場的気分があるんです。私のことを言うと、私のは銀行式になっちゃうと言うんです。そんなような具合で、銀行式とか官庁式とか映画館式と言う、それを避けなければならないので、外郭が難しいと言うんですがね。それもちゃんといくつもりです。それから展望台なんか、いろいろお話がありますが、これはこの次にして。
昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号(1)
そこで、私の神様……と言うのは変ですが、はっきり言ってみると、いままでの教祖とか、そういう人たちと違うんですよ。違うということは、位が違うんです。仮にキリストにしろ、天の父の思し召しによって、自分は生まれたとか、あるいはエホバがこう言われたとか、そういうことをよく言われてますね。それから天理教祖とか大本教祖にしろ、神様はこうおっしゃったとか、ああおっしゃったとか、よく言うんです。そして、そういう神様を始終拝むんですよ。私は拝まないんです。というのは、私の腹におられる神様は……私が言ったりしたりすることは、神様が直接するんですから私が拝むことはない。それから、拝むという必要はないんです。私のお腹の中におられる神様は最高の神様ですから、拝まれるのはあたりまえですが、こっちで拝む神様はないんです。みんな下の神様ですから、私の思うままにやっていれば、それが最高の神様がやられているんですから、そこで私は、神懸り的な……私が御神体に向かって礼拝しないと言うのは、そういう意味なんです。これはいままでの宗教には一つもないんです。それは、釈迦でもキリストでもマホメットでも、やはり神様を拝んで、お指図仰いだり、いろいろするんですが、私はそういう必要はないですから、それだけに力も……まあ字を書いても、その字が働くというようなわけでね。これは本当言うと、字を書く前に羽織、袴で祝詞を奏げて、神様にお願いして、そうしてやるものです。それは、いままでどこの宗教の教祖にしろ、いろいろな……お守りなど作る場合も、そうしているんです。私は、裸でアグラかいて書くこともあるし……それで良いんだから、別に面倒なことを言わなくてもね。そういうことを知ってもらえば良いんですね。だから、他に神懸りなど出ても、問題にはならないわけですね。こういうことは、いままであまり言いたくなかったから言わなかったんですが、そうでないと、他の神懸りをたいそうありがたく思いますから、それでお話するわけです
昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号(2)
もう一つ譬えて言えば、信者の人でいろんな奇蹟をやりますが、奇蹟も、やっぱりキリストがやったくらいの奇蹟は毎日やってますからね。これは、時間があったら読もうと思ったが、時間がないから止したんですが、キリストの奇蹟以上の奇蹟ですよ。これはぜんぜん理屈がつかないほどの奇蹟です。
それから、原子爆弾で助かったお蔭話ですね。これも、七つばかり来ましたからね。私は、それを発表するように言ってあるんです。これも、今度良く説明をつけて、この次あたりに読ませますがね。そんなわけで、私の弟子がキリストくらいの奇蹟をすれば、やはりキリストも私の弟子になるんです。それをはっきり分かっていなければ、キリスト教信者なんか誤解します。というのは、もう一つ言っておくことは、キリストは贖罪主なんです。贖罪主というのは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなものです。もし会社でいろんな過ちがあったりしますと、専務が代表者になって、許してくれと言って社長にお詫びします。贖罪主というのは、そういうものです。万民の罪を御自分が負って、万民になり代わって十字架にかかる。贖罪主とは別に、社長……すなわち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。私は許し主なんです。ですから、そういう点は非常に……主人と家来ほど違うんですね。こういうことも、いままでも言いたかったんですが、あまりかけ離れているから、誤解されますので言わなかった。明主様は、誇大妄想的な脱線だ。と、未信者は言いますから、言わなかったんですが、もうソロソロ言っても良い時期になったので、言ったんですがね。そういうことも知ると、よけいいろんなことがはっきり分かるわけですね。そのくらいにしておきます。
昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号(3)
それからこういうことを知らなければならないんですがね。それは、昔から宗教の教祖とかいう人が、なんでも一々神様にお伺いするんですね。そうすると御託宣が出て、神様がこうおっしゃった、とか言うんですがね。そうすると、それを聞いた人はたいへんありがたがるんです。ありがたく思うんですね。ところが私はそんなことはしないですね。ただ、その場その場で簡単に言ってのけるので、有難味がないんですね。だから、ともすればそれを軽く思って聞き逃しちゃうわけですね。で、なにかあると、こういうことを以前にお聞きした。これだということに気がつくんですが、初めはなかなかそう思わないんです。それですから私の言う通りやらない人もずいぶんあるんですよ。それはどういうわけだと言うと、私は神様に聞く必要はないんです。私のお腹におられる神様は最高の神様です。自分が言うことやることが、そのまま神様がやっていることと同じですからね。つまり直接なのですね。ところが、いままでの宗教の教祖というのは間接なんです。キリストにしろ、自分はエホバの命によって生まれたとか、天の父だとか、なんとか言いますが、あれはやっぱり間接的なんです。で、私におられる神様は、エホバと同じなんですからね。そこで、私は神様を拝んだことがないですね。どこのどの宗教でも、お祭りだなんていうと、やっぱり神様に、教祖が恭しく礼拝するものなんですがね。私はやらないんです。というのは、私が拝む神様はないんですよ。もし神様があるとすれば、私よりみんな下だからね。だから、神様のほうで私を拝んで良いんですよ。それですから、御守りを一つ書くにも、ふつうは斎戒沐浴して、羽織袴で恭しく書くんですが、私は夏なんか裸でアグラかいて書く。だから知らない人は有難味はないんですがね。私はなんでも無造作にやってのけるんです。難しくする必要がないからですよ。ですから、かえってその点を逆に考えられるんですね。逆に思われるんですね。誤解されるんですね。しかしそれは、だんだん分かってくれば良いと思っている。だから一時的誤解は私はなんとも思わないですがね。こういうこともあまり生神様らしく思わせることになるので、私は好かないのであまり言わなかったんですが、そのために私の言うことを軽くみる場合がよくあって、そのために間違いがよくありますから、そのために言っておいたほうが良いと思ってお話しするんです。だから、その点を良く心得ていて、他の宗教や、教祖と較べればはっきり分かるんですよ。一番分かるのは、キリストの奇蹟なんかは、非常に有名になってますが、私の弟子で、キリストと同じような奇蹟はさかんにやっているんですからね。それ以上の奇蹟さえあるんです。時間があったら読もうと思ったんですがね。奇蹟以上の奇蹟というんですがね。今度新聞に出しますが、読むのは時間がないから略しますが、百姓夫婦で、最初田んぼに入って、電線が切れて落ちたのを、うっかりつかんだんです。六〇ボルトで……感電してびっくり返って倒れたんです。それを見て、亭主が、これはたいへんだと入ってつかんだところが、またひっくり返ったんです。電気のほうでは、水に入ると五倍の電流が流れると言うんですね。ですから、その電流を食って、身体が仮死状態になった。ところが良いあんばいに助かったと、本人が書いたものなのです。これは、ぜんせん学理で理屈のつけようがないんです。精しく書いてありますが、新聞に出てみれば解ります。
それから原子爆弾のお蔭話も、そういったので七つばかり集まりました。これも、新聞に出しますがね。これなんかも、ずいぶん奇蹟がありました。ほとんど、信者で……御守りを受けたのは、一人も被害がなかったんですからね。だから原子爆弾も恐るるに足らずですよ。必ず助かります。また、原子爆弾で半分死んだような人でもなんでもない。やっぱり浄霊で治っちゃうんですからね。だから、この奇蹟なんていうのは、キリストでも……あの時分には電気やなにかなかったからしかたがないが、それはキリストの奇蹟以上ですよ。いま話した、キリストやなんかも間接的の力であって、私は直接だということは、これだけを見ても証拠づけられるんです。時間が来ましたから寸鉄を。
昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号(11)
そういうわけで、京都のほうぼうのお寺にあるいろんな仏様ですねや結局はメシヤ教が現われるのを、みんな待たれたんです。それで今度私が来たことについても、いろんな仏様は霊界でたいへんな喜びなんですよ。そういうわけですから、その仏様たちが、自分の宗旨の人をだんだん分からせるんですね。そういう時期が非常に近寄ってきている。この間私は日比谷の公会堂のときの話に、釈迦、キリストは私の弟子に相応するということを言ったわけですが、ずいぶん大きなことなんで、知らない人は驚きます。信者の人は別に驚く人はないんですが、そうすると仏教のほうで、法然、親鸞、伝教、日蓮、弘法……ああいう人たちが、私の孫弟子になるわけですね。だからいよいよ親父が出てきた。これはなんでも働いて、いろいろ手功をしなければならんということになるんです。そういうことについても、これからだんだん京都に地上天国でも造るようになりますと、そういう仏様たちがみんな寄ってきて、大いに私の言う通りに働くようになりますから、そうするとこっちのほうも大発展をするということですね。だから非常に期待した時期が近寄ったわけです。
昭和二十七年六月十五日 『御教え集』十号(7)
この中に日本は白の色ということが書いてあるが、これはおもしろいんですよ。日本の天皇の皇の字ですね。それから、日本は「天皇」の国とか、「皇」とかいうことは、各々白の下に王と書いてありますね。日本は白の国ということは……太陽の光線の色をグルグルまわすと、白になりますね。あれと同じ理屈です。だから日本は各国の色を全部取り入れるんです。そこで日本の文化をみれば良く分かります。日本くらい各国の特徴を取り入れた国はないですからね。世界中の人種で、各国の文化を理解できるのは日本人だけだ。これは外国の識者でも、そういう説を唱えているのもあるようですがね。誓えて言えば、同じ東洋人でも、西洋音楽は日本人しか解らない。支那……中国人には解らない。勿論朝鮮人もそうです。日本だけです。それから外人……白人種のほうは、いろいろな方面にはずいぶん頭が良いんですが、日本の芸術……それは解らないですね。近ごろだいぶ歌や俳句を研究しているようですが、なかなか解らない。ところが日本人は外国の詩でも文学でも容易に理解できるんです。だから日本人くらい多方面に能力がある国民はないです。そこで日本は日の本ですね。太陽の国というのはそういうわけです。講和以前ですと、あんまりこういうことを言うと具合が悪いですが、もう言っても良いから言うんですが、そんなようなわけでメシヤ教にもそういうことが当てはまるんです。またいままでの宗教でも、メシヤ教くらい、いろんなことをやる宗教はないです。たいていいままでの宗教は、教えとか……まあ教えが根本です。美術館を造るとか、農業を改造するとか、あるいは医学を排して病気を治すとか、お祭りの余興にいろんな芸能人にいろんなことをやらせるとか、メシヤ教という名前からしてキリスト教向きであって、そうかというと観音様があったり御神体があったり、仏教的で……実に多方面にわたっているんですね。これはいまいう太陽の白の働きですね。ですから昼間の世界ということは、白の世界ですからね。それでいろいろな色を取り入れて、コントロールして白色ということになる。それで私は寸鉄に白光生という名前をつけたのはそういう意味からです。そういうことを知って日本の国をみると一番良く分かるんですね。だから日本にはいろんなものがあるんです。だから日本の思想にはアメリカの思想もあるし、ソ連の共産主義もあるし、イギリス、ドイツ……いろんな……各国の思想があります。またそういったふうの色の人間も日本人にはあります。東洋でもいろいろ……支那、朝鮮、南洋……そういうのがあります。実におもしろいんです。それで、日本にはすべてのものの種類が一番多いですからね。食物でも、日本くらい魚の種類が多い国はないそうですからね。そういうことを言うときりがないのですが、いま言ったような……日本は白ということはそういう意味です。そういうことをお話したんです。
昭和二十七年六月十五日 『御教え集』十号(8)
今度『結核信仰療法』ができあがったのでこれから印刷にかかります。さらにおもしろい本を書こうと思って書き始めたんですが、それは『私物語』という本です。これは、私というものはふつうの人間と違いますから、いろんな神秘なことが多いんですよ。そういうことをただ想像したりするよりか、明からさまに書いたほうが良いと思って、将来私というものを知りたいという人がたくさんできるに違いないですから、それに考えてみると釈迦、キリスト、マホメットという人は、教えだけは書いたり説いたりしましたが、どうも個人的の日常生活とか、自分の内面ですね。そういうことをほとんど言わなかったですね。あるいはあんまりなかったかもしれないですが、それでただ生き神様然としちゃって、はなはだもの足りないわけですね。私はそれとは反対に、思いきってそういった面を書いて残しておこうと思うんですよ。それが、いまの『私物語』という本なんですがね。いま書き始めたので、まだまとまっていませんし、まだ直す点もありますが、ちょっと読ませます。
昭和二十七年六月十五日 『御教え集』十号(9)
それから、よく熱海や箱根を見て……これはまあ、未信者の人でそうとう偉い人ですが、先生はちょうど秀吉みたいです。と、よくみんな言うんです。それで秀吉みたいな点もあるが、根本がまるっきり違う。秀吉があれだけのことをしたのは、もとはと言えば殺人強盗の大きいのと同じです。それであれだけのことをしたんです。つまりあのために人を何人殺したか分からない。ところが私は人を助けてやっているんだから、その点をみてもらわなければならない。と、こう言うんです。なるほど家康も偉いが、殺人強盗をして物にしたものを、また物にしたんだから、たしかに偉い人で功績はあるにはあったが、根本が違うからそれだけ知ってもらえば良いということをときどき言うんですが、そんなような具合でいままでの世の中は、いろいろ英雄とか偉人とかいう人は、そうとう罪を犯したんですね。そうして立派なものを作ったり、天下に覇権を握ったんです。それからいっぽう、人を助ける……救うという宗教家は、私から言うと意気地がなかったですね。なるほど教えとかそういうことは、なかなか命懸けで説いて、救おうとしたけれども、結局その時代の……時代も悪かったに違いないが……今日と違ってね。いろんな圧迫をされたり……まあ、お釈迦さんなんかは出が出ですから、それほどでもなかったが、それでも理想に偏って現実的な救いはあんまりやらなかったですね。たくさん教えを説いたり、お説教はしましたがね。例えば、病気の原因を知らせるということはなかった。なかったというよりか、病気の原因が発見できなかった。それから、農業も、芸術も……これが一番不足したと思うんです。キリスト、釈迦、マホメットでも芸術は無関心だった。で、中にはバラモン的に、そういった美なんていうのは罪悪のように思って、粗衣粗食小さな家に住むことを、かえって良いというような説き方をした者もずいぶんあった。そういうような点で歴史に残っている人としては聖徳太子だけです。もっとも、やはりああいった位の高い所から出たですから、そういう影響も多分にあったわけですね。ところが私は本当のどん底から出て、そうして美術を大いにやるんですから、この点も大いに変わっているわけですね。そういうようなわけで、これからやることも……いままでのいろんな偉い人は非常に間違っている。そういう点なんかもこれから書こうと思ってますがね。そこで、私がそんなような、美術でもなんでもやるのは、それは私がやるのではなくて、神様がちゃんとそういう案ができていて、私がやっているようだが私が指図を受けてやっているんですね。要するに神様の番頭みたいなものです。だからさっき読んだ通り、奇蹟でどんどんできていくというわけです。だからその点においては非常に楽ですね。いままで何年も苦労したようなことを、私はなんでもなくやっていくというわけですから、そういう点も、それを心得て見なければ見当がとれないというわけですね。そのくらいにして。
昭和二十七年六月十五日 『御教え集』十号(10)
いままで世界でいろんな大きな仕事をした……偉い人は、大ざっぱにみるとおもしろいんです。それについて、私の仕事をみる人は、よく……ちょうど秀吉と同じようですね。ということをよく言われるんです。いままでおおげさにやった人はなかったですからね。それで私はいつも言うんですよ。なるほど見ただけの目ではそう見えるかもしれないが根本が違う。つまり秀吉はなるほど偉いには偉いが、結局、あの仕事をしたのは、遠慮なく言えば大きな殺人強盗ではなかったか、つまり殺人強盗の親玉ですよ。石川五右衛門が千鳥の香炉を盗ろうとして捕まったときに秀吉が、貴様はずるい奴だ、なんて太い泥棒だ、と言うと、冗談じゃない。俺よりか太閤殿下のほうがずっと大泥棒だ。天下を盗ったじゃないかと言ったそうですが、それは決して間違っていないですね。だからいままでの英雄豪傑というのは、大量殺人……とか、人の物を盗るとか、実際殺人強盗のすこぶる大きいのですよ。だから大きいためにそれを褒められることになっちゃったんですね。また徳川家康も偉いには偉いが、結局秀吉が盗ったそれを、やっぱり自分が盗ったんですから……だから物にしたものを物にしたというわけなんだから、根本を考えてみれば、全般的には表面だけですね。ただ仕事の結果は偉いということは言えるけれども、根本はあんまり褒めるわけにはいかないんです。けれどもそれは、そういう考え方は小乗的見方なんです。大乗的に言えば、やはりその時代にそういうことをしなければいけなかったんですね。やはり神様の御経綸の一つだったんです。ですから、要するに善悪の批判はできないわけなんです。そういった、道義的に正邪善悪を正してみれば、そういう理屈になるわけですね。ですから、これは日本に限らない。外国でもそうですが、偉い事業をした人はとにかく悪でやったですね。悪の手段ですね。で、悪を用いない本当に慈悲や善で救おうとしたのが、みんな宗教家ですが、宗教家は善をすすめ悪をするなというだけの話で、仕事はしなかったですね。つまり物質面のそういうことはやらなかったですね。だから結局いくら人を救おうとしても、そういった英雄や政治のために押えつけられて、結局目的を達することができなかった。それはそうとうの功績もあげましたけれども、本当に救うことはできなかった。ただいままではそういう具合に、事業をする英雄と、そういった形のことをしないで、政治をする。そういうふうに別れ別れになっていたですね。私がこれからだんだんする仕事は両方兼ねでいるんです。いっぽうで救いながら、また仕事も大きな……いままでの英雄やなにかのやる、それ以上の形あるものをしようと思ってます。それも、別に私がやるのではなくて、神様が私を使ってやらせるんですから、自惚れることもできないですよ。明からさまに解剖してみればそんなわけですね。ですから?まり聖徳太子という人は、日本的に規模が小さくそういったことをやられたんですね。であるから、いままでの歴史をみてもこういうふうに思われるんですね。どうしても偉い人とか偉いことをするのは、善では駄目だ。善というやつは、要するに意気地なしだ。だから意気地のない奴が宗教にこもったり、宗教人になったりするということを言われますが、それも間違っちゃいないですね。どうもいままでの宗教家というものは、意気地なしの点が非常にあったですね。だから悪に負けて、どうすることもできなかったということなんです。もう一つはこういう点も大いにあるんですが、それは力ですね。いままでの宗教でいろいろ偉い人がやるのは力がなかった。譬えて言えばキリストにしろ釈迦にしろ病気を治すことは……キリスト自身はちょっとはやりましたが、弟子にやらせるということができなかったばかりでなく、病気というものを知らなかったんですよ。だからお釈迦さんなんかは、ぜんぜんいまのお医者さんと同じで、病気は薬で治せと、『薬草彙本』なんてお経を説いたんです。ですから病気は浄化作用ということは、ぜんぜん知らなかったんです。そうしてみると本当に救いということはできなかった。できなかったから悪人に負けたんですね。というのは、それだけの力を与えられていなかった。結局悪人に頭を下げさせるのは病気です。どんなに力のある悪人でも病気にはかなわないですよ。いくらいばっても病気だけはしようがないですよ。ですから結局病気を治すということは、悪に勝るわけですね。ですから私の仕事で、病気を治すということが根本です。それで、あとの貧乏とか争いとかいうのは、その枝葉というくらいのものです。話はそのくらいで。