神力=火・水の力(火・水=光)=太陽の力={・}(丸にチョン)の力
それが根本だから、それが分れば、浄霊で病気が治るという事も、訳なく分るわけです。それで救世教の信者は、キリストと同じような奇蹟は、毎日のようにやっているという事だけでも、その力たるや、大変なものです。
世界の支配権を握る=国常立尊
力というものは、霊体一致、霊体が結んで力を発生するのです。ところが今までは、釈迦、キリストにしろ、ああいった偉い人は結んでなかったので、片方だったのです。釈迦は霊で、キリストは体、釈迦は経で、キリストは緯ですから、力がなかったのです。
最高の神
仮りにキリストにしろ、天の父の思召しによって、自分は生まれたとか、あるいはエホバがこう言われたとか、そういう事をよく言われてますね。それから天理教祖とか大本教祖にしろ、神様はこう仰言ったとか、ああおっしゃったとか、よく言うんです。そして、そういう神様を始終拝むんですよ。
それは、釈迦でも、キリストでも、マホメットでも、やはり神様を拝んで、お指図仰いだり、色々するんですが、私はそういう必要はないですから、それ丈に力もーーまあ字を書いても、その字が働くという様な訳でね。これは本当言うと、字を書く前に羽織、桍で祝詞を奏げて、神様にお願いして、そうしてやるものです。それは、今までどこの宗教の教祖にしろ、色々なーー御守等作る場合も、そうしているんです。
赦し主
もう一つ例えて言えば、信者の人で色んな奇蹟をやりますが、奇蹟も、やっぱりキリストがやった位の奇蹟は毎日やってますからね。これは、時間があったら読もうと思ったが、時間がないから止したんですが、キリストの奇蹟以上の奇蹟ですよ。これは全然理屈がつかない程の奇蹟です。(中略)
そんな訳で、私の弟子がキリスト位の奇蹟をすれば、やはりキリストも私の弟子になるんです。それをはっきり分かって居なければ、キリスト教信者なんか誤解します。
というのは、もう一つ言っておくことは、キリストは贖罪主(しょくざいぬし)なんです。贖罪主と言うは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなものです。もし会社で色んな過ちがあったとしますと、専務が代表者になって、許してくれと言って社長にお詫びします。贖罪主というのは、そういうものです。万民の罪を御自分が負って、万民になり代わって十字架にかかる。
神直接=エホバ
ところが、今までの宗教の教祖というのは間接なんです。キリストにしろ、自分はエホバの命によって生まれたとか、天の父だとか、何とか言いますが、あれはやっぱり間接的なんです。
一番分かるのは、キリストの奇蹟なんかは、非常に有名になってますが、私の弟子で、キリストと同じ様な奇蹟は盛んにやっているんですからね。それ以上の奇蹟さえあるんです。時間があったら読もうと思ったんですがね。奇蹟以上の奇蹟というんですがね。今度新聞に出しますが。読むのは時間がないから略しますが、(中略)
だから、この奇蹟なんていうのは、キリストでもーーあの時分には電気や何か無かったから仕方がないが、それはキリストの奇蹟以上ですよ。今話した、キリストや何かも間接的の力であって、私は直接的の力であって、私は直接だという事は、これだけを見ても証拠付けられるんです。
東方の光
これは昔から、西洋でのよほど古い・・・キリスト教だろうと思いますが、「東方の光」という事を言い出したのです。
そこで、これはキリストの話しになりますが、キリストは「天の父の霊によって、救いをやる」という事を幾度も聖書で言われています。ですからキリストは、エホバの子になるわけです。
それで私の力は直接の力というわけです。私から言えば、キリストは予供になるわけです。今信者がやっているのは、キリストが行っていた事を盛んに行っていますが、この前も八年とか眼が開かなかったのが、二分ですっかり見えるようになった、というのがありましたが、今度「栄光」に出します。それから十三年位足が立たなかったのが、二十分で足が立って、翌日には立って歩く様になった。というのがありましたが、キリストが行った、聖書にある様に、盲の目が開き、跛(ちんば)の足が歩けた、という事かおりますが、私の弟子が今やっているのです。
伊邪諾尊=主神の代表神
そこでつまりキリストは素戔嗚尊の子孫です。だからキリストは、伊邪諾尊より生まれた神を祖先として、その後に生まれたのがキリストですから、私の弟子がキリストと同じ位の奇蹟が出来るというのは当然なのです。
仏界の救い(一)
そういうようで、次に「救い」と言いましても、まだキリスト教もありますが、順序としては、まず日本から救わなければならないのです。最初日本から救うとしたら仏教です。あとは神道ですが、神道は大した事はないのです。勢力はありませんから、これはついでにと言っては変ですが、しかるべくちゃんと救う事は決まっているのです。まず仏教を救い、キリスト教を救わなければならないのです。
キリスト教を救うとすれば、アメリカが一番良いです。アメリカが救われれば、ヨーロッパの方は随分楽です。キリスト教としてはプロテスタントもありますが、それはずっと小さいのです。何と言ってもカトリックです。ですからこの方もいずれ救う事になります。『アメリカを救う』という本なども、アメリカを救うというのは医学上ばかりでなく、宗教上もあるのです。(中略)
仏界の救い(三)
結局霊的には、そういった神仏という人が支配しているのですから、仏教を救って、次にキリスト教を救わなければならないのです。キリスト教なども、その弟子の偉い人というのは、歴史的にも沢山ありますから、そういう人達も救わなければならないのです。それからマホメットと、この三大宗教です。
事実によって示す
そこで二十二日の日に、浄霊しようとすると、ボロボロ涙をこぼして泣き出して、後から後から涙が出て、なかなか口がきけないのです。しばらくたってから聞いてみると、キリストなのです。
それでキリストが、長い間非常に苦しんでいたのが、その婦人に憑っていて、浄霊してもらったので治ったのです。つまり磔(はりつけ)になった時の傷の悩みなのです。それがすっかり治ったので、非常に有難いと言って、つまり嬉し涙です。
更に、自分のもっとも懐かしい、″天の父様″に御目にかかれたという事は、これほど嬉しい事はないという、この二つの嬉し涙で、それが出たわけです。そうしてみると、あれほどの人でも、そういった一つの肉体の障害を治されなかったわけです。そういうわけですから、これから外国において、キリストも大活躍されると思います。
これは信者の人はよく分かるが、キリスト教信者とか、仏教信者が聞いたら、狐につままれたように思うだろうと思います。自分の拝んでいた目標が、そんなようなわけかと思うだろうと思います。しかしこれは直ぐ分かるわけです。
何故と言えば、今までのキリスト、釈迦、マホメット等は、こうやって(手をかぎして)病気を治す事ができなかったですし、しかも、こうやって病気を治す人を、作れなかったのですから、そこにおいて、力において想像できるわけです。