昭和十年九月二十一日 御講話
最近発行した『観音運動』という宣伝用の小冊子、これはずいぶん変わったことが書いてある。予備知識があればそうでもないが、初めて読んだ方はびっくりする。二、三の批判を言えば、この岡田仁斎という人は葦原将軍みたいな人じゃないかという人、要するに誇大妄想狂だというのです。私は葦原将軍よりもっと大きい誇大妄想だと言ったのです。また、ある有名な坊さんに本を奨めに行った人に言ったことは、阿弥陀やキリストは非常に間違っていることが書いてある。それは怪しからん、そんなことをちょっとでも言おうものなら、無間地獄へ落ちると言ったそうです。で、私はなんと答えたかと聞くと、どうもその返事のしようがまずかったんで、こう答えたらいいと言った。実はキリストや阿弥陀が無間地獄へ落ちるんで、今度観音様がそれを救われるんだと言ったのです。なぜならキリストも釈迦もこういう世界、ミロクの世、天国ができると言って予言して、手形を発行しただけで、一つとして実現できなかったのは、人類を欺したことになる。手形を発行した限り決済しないわけになる。人間社会でも手形を不渡りにすれば破産するわけです。それでキリストも釈迦も破産するわけで、それを破産せぬように、観音様が私を使ってするからありがたく思わなければならんくらいで、そういうとかえって本当に出来難かろうと、あの本も非常に小さく言ってある。
昭和十年十月十一日 御講話
人間は向上すれば神の子だし、堕落すれば罪の子になる。一日の中でも神の子にもなり、罪の子にもなっている。これはしかたがないので、ただある範囲を越えなければそれでいい。美しい女を見て無感覚でいる人はない。アア好い女だ、妾にでもしたらとだれしも思う。これは私も思う。これはキリスト教ではそう思っただけでも罪になるという。実に野暮な話であります。そういう心を起さす心を造ったのは、やはり神様であります。金持ちの子などを見ると、うまくやってやがら、ぶっつぶしてやりたいと貧乏人ほどそう思うのはしかたがない。ただそれを行いに表わさなければいい。罪の子の部分より神の子のほうが勝てばよい。あるものはしかたがない。賀川豊彦が言ったことに、善悪は電信の符号のようなもので、良心が切れるとまた悪が続き、また切れては続く、ちょっと切れては繋がる。これはたいへんよくできている。これによれば、繋がったときが神の子で切れたときが罪の子になる。ただその切れたときが短ければいい。
昭和十年十一月二十一日 御講話
いつもお話する通り、観音運動は病気治しが根本でありまして、宗教が病を治すということにつき、世間は未だはっきり判っていない。これは無理のないことで、いままでの宗教は病気を治さなかった。キリスト教などほとんど治さない。最近では天理教などもそうとう治したが、近ごろは治さぬ。いままで多数の宗教によって治したのは、実はお説教や御祈祷で治すのもあり、治したんではない。
昭和十一年五月十五日 御講話
種々の運動の方法など、今後もできるであろうが、これは私がやるんでない。観音様がやる。ただ一つの道具に使われるようなものである。去年あたりは夢にも思わなかった。しかし時期が来ると、どうしても造らねばならぬこととなった。だから発展するにきまってる。だいたい、健康協会の目的は、無論病気をなくするというのだが、観音会だけですと非常に狭い。例えばキリスト教、天理教の人などは、観音様というと躊躇する。また、科学一点張りの人は迷信臭いとして触れようとはしない。そういう点から救われない人がたくさんできる。いままでは、救われる門が一つしかなく狭かった。今度はもっと広い。入りいいものが、も一つできたことになる。
これは、観音様のお知らせになってることだが、東京に一〇カ所、全国に一〇〇カ所、全世界少なくとも一〇〇〇ヵ所できる。そのうち病人がなくなり寿命が延びる。世界中の人民は一〇〇以上生命が延びる。まるで夢のようなことだが、決して架空でもなんでもない。現にいま、やりつつある。いま、小さくやってる。大きくやればその通りになる。このことを考うれば、いままでのキリストや釈迦のやってることは、小さなことと思う。実に全人類が救われる時が来たというよりしかたない。
今日までの文化は月と地で、今度日が出て日が加わる。日すなわち日本である。いままでは日が下で地が上になっていた。地がアジア諸民族、アフリカの土民など、白人は月の系統の人種だから、いままでは月の文化と土の文化だった。キリスト教は月の宗教だった。いままでは月と地だった。数からいうと、月は六、地は七ゆえ、六と七であり、月と地……その上に日が乗るのである。日は五である。それで五六七となる。五六七をミロクともいう、すなわち完成世界である。
昭和十五年五月四日 特別講習会御講話
どんな人でも罪を犯さぬ人はない。なにも悪いことをしないという人も、どんなに罪を犯してるかしらぬ。キリスト教など、女をよしと思っただけで姦淫の罪を犯したことになるという。つまり心の罪だが、これはいくぶんか罪になって溜まるが、いっぽうで非常に良いことをすれば消せる。悪いことをしなくとも良いことをする人は少ない。そういうのがなかなか曇りとなって溜まる。そういうのは霊界で浄化される。
昭和十五年十一月九日 御講話
われわれが日々使っているものは七つしかない。これはキリストが言った、この地球は七日目にできたと、それで七日目には休息するというので日曜を造った。
火の洗礼……霊で霊を浄める。神様の約束によって私がさせられた。世界中でいまにあわて出す。キリストの書いた「世の終わりは近づけり、汝ら悔い改めよ」といい、また最後の審判、あるいは火の洗礼というが、正にこのことである。霊で霊を浄める、すなわち火の洗礼である。
五六七教会小田原別院における御講話
キリスト教では、七日間で天地ができたという。それで七日目に日曜を造った。ナルとか、まとまるということ。
昭和二十三年十月二十八日(2) 光録01
【 明主様 】支那の戦線もたいへんな大浄化ですね。日本のは没落というふうな浄化だが支那のはたいへんですね。朝鮮の浄化もたいへんです。……しかし私はいろんな予言はしませんよ。どうも問題になって困る。私の言った通りならいいが「おまけ」がついて、「いまに大審判が来て観音教団の人だけ助かる」なんて言うので、地方の新聞なんかうるさいんです。新しい宗教の予言は世間がやかましくてしかたない。キリスト教で言う「世の終わり」ということなんかはだれもなんとも言わないが、……とかく新しい店というものはなんですよ、評判がうるさいものですよ。
昭和二十三年十一月八日(6) 御講話 光録01
【 明主様 】それは考え方の違いですが、南北の極は両横と考え、また霊気は赤道の面を上下していると考えたらよい。……地霊が出るときは晴で吸うときは雨です。これを気象上は高気圧、低気圧といっているのです。……日が長いとか短いとかいうがこれは太陽が地球の中心、赤道の面に沿ってまわる時日が長く、端になると短くなるのです。……いまは学者は地動説を唱えてますが、これは嘘で不動説が本当です。天動説はキリスト教から出ているのですが、初めてガリレオが地動説を唱えたとき異端として獄に投ぜられ拷問にかけられようとしたが、もう七十いくつの年なのでそれは免れたということです。このころは封建的だったのですね。
昭和二十三年十一月八日(7) 御講話 光録01
【 明主様 】七は完成の意味です。言霊でも「ナリナル」などと、できあがることです。だいたい『聖書』に限らず、一は初め、独一真神、二は陰陽、そこへ子が生まれて三、四は四方へ拡がる。そこへ熱、火ができる……五、火によって氷が溶け水になる……六、今度は土ができて完成するのです……七、だからキリスト教では七日目に創成されたというわけで、七日目を安息日としているのです。これは本当です。それから八は開ける、九は「つくし」といって極点です。十は経緯結ぶことでこれが本当の完成です。いまは九の世でありこれから経緯すなわち東西文化を融合するのが観音教団の仕事なのです。みんながつけているバッジの〇に十はそれを表わしているのです。十一は結んで始まる、二十一世紀というのは経緯が結んで始まる世紀というわけです。二十で王となり、その上に最高の神様がお乗りになって世界を御経綸になるのです。また、七は土が本当で片仮名の「ナ」も土になるのです。……「ア行」は基音といって基本でありまた霊になるのです。従って「ア行」には物質的な働きはないが、音としては最高です。例えば「タカアマハラ」、「アタマ」などです。