本教と文化革命
従ってこの様な本教の構想が、全世界に知れ渡るにおいては、全人類特に有識階級の人々はいかに大いなる嘱目<しょくもく>を払うかである。なるほど昔から今日までその時代時代先覚者が現われては、文化に稗益するところの革命的偉業も幾度かはあったが、それはある範囲に限られていて、かつ永遠性に乏しかった事は、現在の世界を観てもよく分るであろう。只しかしともかくその中での立派な業績を挙げた者としては、釈迦及びキリストの宗教革命であろうが、これとても精神面が主で、物質面にはほとんど触れていなかったといってよかろう。しかも範囲においても東洋とか、西洋とかに、大体限られていたのであるが、その当時としては今日と異い、文化も甚だ幼稚で、交通その他の条件も具備していなかったから止むを得ないとしても、二十世紀の、前半を過ぎた今日の文化に至っては断然進歩しているとしたら、私によって今や行われんとする一大革命も、決して夢でない事が肯かれる筈である。そうしてその課程としてはもちろん破壊と創造であるが、破壊といっても他動的のものではなく、神の審判による自己清算であると共に、一方新文化の建設であろう。これは好むと好まざるとに拘わらず、今やその時期が刻々と迫りつつあるのである。言い換えれば善なるものは残され、悪なるものは潰滅するのである。としたら大体神の御目的も想像出来るであろう。
神様が発展の調節
そうして本教は地上天国を造るのであるから、何よりもまず自分一家が天国にならなければならない。それにはまず自分自身の心が天国になる事で、心の天国とは心に苦悩のない状態である。という訳で焦るのも苦悩なら、思うようにならないと煩悶する悩みも地獄であるから、少なくとも苦悩から脱却する事である。それには感謝によって苦悩を打ち消すのが一番いい方法で、つまり心の中に地獄を作らない事である。それについて心得べき事は従来の凡ゆる宗教は信仰の苦しみを可いとしている。中にはわざわざ苦しみを求める信仰さえある位で、世界的大宗教であるキリスト教ですら、歴史をみれば、ほとんど苦難で開いている。そういう事が一般人の頭にあるので、本教信者になってもそれがつきまとって離れ切らない。
力
この理によって最高級の神様の事を、神道では幽の幽とか、又は幽幻微妙などとも言われるのは全くそれを表現した言葉である。この理によって私に与えられている神力は、最高級の神霊であるから、絶対力といってもいい位のもので、この力は本当に揮<ふる>われた者は、昔から一人もなかったのである。彼のキリストにしろ、言い難い話だが割合弱かったのは事実がよく示している。すなわちキリストの行った奇蹟といっても御自分だけのもので、弟子達にまで分け与える事は出来なかったのである。その他の聖者にしても、ことごとく限られた力であった事はその事蹟が示している。
伊都能売の身魂
右の意味において、今日釈迦やキリストの時代と同じように思って、その教えや行り方をそのまま実行しても、現代人の魂を掴む事は到底出来ないのは言うまでもない。既成宗教の振わないのもその点にある事を知らねばならない。要するに伊都能売の働きこそ、一切の根本的真理である事が分ればいいので私が常に伊都能売の意義を説諭するのもその為である事を、信者諸君は充分心得て貰いたいのである。
神人合一
よく昔から神人合一という言葉があるが、実際からいってそういう人は、今までに一人もなかったと私は思っている。なるほど釈迦、キリスト、マホメットの三大聖者にしても、神人合一のごとく見ゆるが、実は神意の伝達者であって、判りやすく言えば神の取次者であったのである。という訳で世人は神人合一と、神の取次者との区別を知らなかったのである。すなわち神の取次者は神憑りや、神の命によって行動するのであるから常に神や仏陀を祈り、その守護を仰ぐ事にしているのである。
従って私に在られます神霊は、最高の神位であるから、これ以上の神様は世の中にないのであるから、他の神様に頭を下げる意味はないので、何よりも信者が日々顕わしている奇蹟がそれを証拠立てている。その奇蹟たるやキリストの顕わした奇蹟以上の奇蹟が、常に顕われているので、私の弟子でもキリストに比べて何等劣るところはないのであるから、この一事だけでも私の神格は想像つくはずである。
舌に代えて
そもそも我メシヤ教は、御存知の通り最も新しい宗教であります。それと共に最も大きなスケールの下に活動しつつある宗教であります。それは何かというと病貧争絶無の世界、すなわちこの地上に天国を造るというのであります。もっともこの説はキリストの天国は近づけりとか、釈尊の弥勒の世の未来成就説などを始めとし、幾多の聖者は同様の予言をされている事は、誰も知る通りでありますが、私はその予言を実現する。すなわち理想世界を如実に造るのであります。という訳でいずれは誰かが造らなければ、右の二大予言は造る人が出なければ空言<そらごと>となってしまうでしょう。とすれば釈迦、キリストは嘘を吐いた事になり、二千有余年間人類は騙されていた事になりましょう。それでは聖者どころか大嘘吐きとなるので、その様な虚偽が二千年以上も長い歳月、暴露しない筈がないでしょうから、この事だけにみても、我メシヤ教が出現すべき理由と、その時期の来た事は、何等不思議はないのであります。
赤痢流行について
これについては結核も同様であって、近来のごとく浄化停止に効果著しい新薬が続出するとしたら、なるほど一時は固まるので患者は小康を得死亡率も減るが、その後に到って必ず猛烈な浄化発生し、悪性結核氾濫時代となり、短期間に死亡する者数知れずという事になるから、赤痢その他の伝染病と相俟<あいま>って、空前の恐怖時代が出現するのは間違いないので、私は今筆に口に警告を与えているが、実はこの予言が的中しないよう望んで止まないが、それはまず不可能であろうから、その時になって、今更のように目が覚めて、救いを求めにきても手遅れであろう。従って命の惜しい人は一日も早く本教へ入信し、いかなる恐怖時代が来るとも、ビクともしない信念と体質とを作りおくべきで、それより外に方法はないのである。この事はむしろ原子爆弾どころではない。原爆の恐怖は戦争当事者のみであるが、これは人類全般に渉っての浄化作用である以上、一人も漏れる事は出来ないからである。キリストの曰った「世の終り」とはこの事でなくて何であろう。
死後浄霊十分にして蘇生させたこの大奇蹟
本教信者が顕わす奇蹟の素晴しい事は、今更言うまでもないが、左の御蔭話〔略〕は心臓が停止していたのを、十分間の浄霊で蘇生させたという奇蹟である。こんな素晴しい起死回生的事実は、未だかつて世界に例がないであろう。もしこれが医学上での成果とすれば、世界医学界の大問題となり、その報道を受けた日本の新聞などは、一号活字でデカデカに発表するであろうが、日本で日本人が行った事、特に宗教界から出たとなると、テンデ見向きもしないという不可解な事実である。そうしてこれ程の奇蹟は、キリストの奇蹟以上といっても、あえて誇張ではあるまい。とすればこれを公平に見て、一体何と評したらいいであろうか、恐らくこの事実を公平に見たら世界的大問題であるのは固より、全く神業というの外あるまい。
宗教と妨害
昔から宗教に妨害は付物とされているが、その中の一番大なるものは、かのキリストの受難であろう。その外釈迦に提婆なども有名なものだが、日本においても法然、親鸞、日蓮等の受難も衆知の通りであるし、近いところでは天理教、大本教、人の道等もそうであったと共に、本教も御多聞<ごたぶん>に洩れず、今までにも何回となく弾圧され新聞を賑わした事は、新宗教中の有難くもない王座を占めていた訳である。そうして面白い事には、その宗教が将来性があり、価値の高いもの程正比例的に、妨害も強い事実である。というのはどういう訳であるかをかいてみよう。
言うまでもなく、宗教なるものは霊主体従の法則により、霊界における神々が主神<すしん>の命に従って、時と所と民族に適応する救いを行うので、キリスト教、仏教、マホメット教の如きは、その最大なものである。もちろん宗教の建前<たてまえ>は善を諭<おし>え、人類社会を天国化するにあるので、人間からみれば結構ではあるが、邪神の方では全然反対である。というのは邪神は悪の人間を作り、苦悩に充ちた地獄社会を作るのが目的であるから、絶えず正神と闘っている。これが霊界の実相であって、そのまま現界に映るのであるから、見らるる通りの地獄世界である。
米国に於ける驚くべき病者の氾濫
今私は世界の文明諸国を見渡したところ、ともかくキリスト教を以て立国の方針とし、一般国民が神を信じ、正義の行われている国としては、まず米国を以て第一と見てよかろう。それが又米国繁栄の基礎ともなっており、偉大な国家としての原動力ともなっているのは争えない事実であろう。今日世界の平和を維持している国の王者としてはもちろん米国であるとしたら、何よりもまずこの国を救うのが、平和と幸福に対する最大条件であろう。この意味において一日も速かに同国における病気増大の根本原因を知らせ、解決方法を教ゆる事こそ神の大愛でなくて何であろう。従って、私は統計の順に一々の病気について、その原因と治す手段と、予防の方法とを詳しく明示して小冊子となし、同国大統領始め、各方面の識者、医学関係者に配布するつもりである。