さっぱりとした江戸っ子

 私はよし子さん(二代様)とは女学校の同窓ですから、ずっと親しく交際しておりましたが、ご主人の岡田さんを知ったのは結婚されてからです。たしか槇町時代だったと思いますが、一度訪問したことがあります。そして、おふたりのご案内で、夕食のお伴をしました。

 岡田さんは、初めてお目にかかった時から、とてもさっばりした明るい江戸っ子で、そしてお話ずきなおもしろい人だと思いました。気安くご商売の話やら、美術の話やらをして下さいました。

 大森へ移られてからも、時々伺いましたが、それ以前、庚塚にいらっしゃった時も何回かお訪ねしました。

 この庚塚は、大森と大井の中ほどのところで、一番上のお嬢さまは、そこでお生まれになりました。岡田さんが大本へはいられたのも、庚塚のころで、それから急に信仰というものに熱心になられたようです。

 庚塚から大森へ移られて、岡田さんはますます信仰に熱中されて、私の主人にも大本への入信を勧められました。

 ご夫婦の意気がぴったり合っていて、よし子さんが、翌朝のおみそ汁のお菜など聞くのを忘れると、岡田さんのお店へ電話して、それを伺っておいででした。ですから、「なにも心配しなくていいし、あなた、幸せね」と、
私はよし子さんに言ったことがありました。

 岡田さんは、美術を熱心に研究しておられたせいか、目が非常にきいていらっしゃいました。いつか箱根美術館で、宗達の本物と偽物を見せてもらい、『こちらが偽物だよ』とおっしゃったことがありますが、たしかにその鑑識眼はたいしたものだと感じ入りました。『湯女の図』も本物と偽物(複製)とふたつ持っていらして『こっちが本物だよ』と教えて下さったこともありました。

 大正十三年の冬から十五年まで、主人が外国に行っていました時、私は大森のお宅に一時お世話になっていたことがあります。

 そのころ、岡田さんは、毎日十一時ごろお起きになり、よし子さんと私を相手に揃って食事をされますが、それからすぐ店へ出かけられて、夜の九時ごろ帰って来られます。そして、夜おそく一時ごろまでカンザシのデザインをしておられましたが、起床、お出かけ、おかえりの時刻など、そのころも、まるで判で捺したように正確な岡田さんでいらっしゃいました。よし子さんのお話では、後年、吉住(慈恭)さんもよく言っておられたそうですが、「明主様にはみんなよく叱られているけれど、拝見したところ明主様は時計みたいに正確な方だから、決められた通りにやりさえすればいいんで、ほんとうは一番扱いよいお方だと思います」と。

 それから、明主様は、お花をお活けになるのがお上手で、花を切りにいらっしゃる時、よく桶を持ってお伴した記憶があります。そして、その切り方の早いこと、スパッと切ってそのままお活けになるんですが、たくさん切って来られて部屋々々の床に分けてお挿しになると、あとに一枝も残らないのです。なかなかああはゆかないものです。