昭和二十九年三月十七日御講話(1)

最近新聞やラジオで伝えている二重橋事件で目が見えなくなった、Y・Kという一一になる子供が、清水健太郎という博士の手術によって見えるようになったと、写真入りでデカデカと出てますが、あんなことはくだらないことです。あれは内出血が目の裏の視神経に固まって、それで見えなくなったのです。ところが頭蓋骨に穴をあけて内出血の固まりを取ったので見えるようになったのですが、これはほったらかしておけば、せいぜい一年ぐらいのうちに膿になって目脂<めやに>になって出て、それで治ってしまうものです。浄霊なら一週間か一〇日で治ってしまいます。それだけのものなのです。それを大騒ぎをして、頭蓋骨に穴をあけて出すというのですから、実に野蛮といってよいか、馬鹿馬鹿しいといってよいか、こっちからみるとお話にならないです。それをたいへんなことのように新聞などで大騒ぎをやってますが、こっちからみるとかわいそうなものです。それで手術ですから、消毒薬をたくさん使いましたから、その悩みがいまに出ます。それは、頭に消毒薬が染みて、それが毒になって、いまに必ず頭痛があります。ウッチャラかしておけばきれいに治るものを、そういった頭痛<ヽヽ>の種を作って、頭蓋骨に穴をあけてやっているのですから、実にかわいそうなものです。文化的野蛮人と言うが、それを教育しなければならないのですから、なかなか厄介な話です。

 医学は科学だ科学だと言いますが、本当から言うと科学ではないのです。科学まで至ってない、手前のものです。つまり「もの」というのは、本物の出る前には仮の物が出ます。また言い方によっては、偽物のほうが先に出ることがあります。これはバイブルにもありますが、本当の救世主が出る前には偽救世主が出るというのですが、そういうようなもので、医学も本物が出る前に偽が出たというわけです。科学も本物が出る前に仮のものが出たのです。それを書いてみました。

 (御論文「私は宗教科学者だ」朗読)〔「著述篇」第一二巻二五八ー二六二頁〕

 自然農法も着々と拡がりつつあり、むしろ予期以上な成績になってます。新聞もいままでにずいぶんできましたが、無論それだけでは足りないので、二〇〇万も出したいと思います。そうすると全国の農家を六〇〇万として三分の一です。それで、ふつうの新聞では一枚で五人読むとなってますが、これは特殊の新聞ですからもっとかもしれないが、内輪にみて五人としても一〇〇〇万人が見ることになりますから、そうとうの成果があるわけです。それについて最近聞いた話ですが、去年の「特集号」に出たY技官という人が首脳者になって、農林省の中に「自然農法研究会」という会を作ったそうです。いまのところはまだ十数人なようですが、ドンドン増える見込みなのです。来月の二日に発会式をやるというようなことを聞きましたが、これはたいへんよい話です。とにかく農林省と言えば国家的に一番の本元ですから、ここが分かれば急所が解けたようなものですから、非常に結構だと思ってます。いまのところは農林省の上役のほうではないのだそうですが、それでも結構です。とにかく上役階級の人はこういうことに対しても一番慎重を期しているのでしょうが、遅れるのに決まってます。ちょうどそれと同じような理屈で、新聞がちょうどそうです。最近九州の各地で、熊本、福岡、大分という、ほうぼうの展示会の報告が来ましたが、驚くべく成績がよいのです。各地の新聞がみんな紹介して書いてあり、それもみんな好意を持って、よい書き方です。これらも以前とはぜんぜん違ってきたです。しかも『夕刊フクニチ』などは約半頁ぐらい書いてあり、見出しがまたいいので、「肥料こそ農作物の敵」とかと大きく書いてありました。そのくらい地方新聞は大々的に扱っているのです。けれどもこれはあたりまえの話です。ところが東京あたりの新聞には一つも出てないのです。これはあたりまえでないです。放送局などもそうです。私は毎日「農業講座」を必ず聞くようにしてますが、このごろはぜんぜん肥料には触れてないようです。これも少しおかしいのです。放送局にも『栄光』を三年前から毎号五部配布しているのですから、読んではいるはずです。また『朝日新聞』などは暮れあたりに、だいぶ調査して歩いたようなことを聞きました。ですから百も承知しているのですが、出さないのです。これはちょっと不可解なようですが、勿論理由はあるのでしょう。ただ遅いのでしょう。以前から「新聞は社会の木鐸<ぼくたく>」とか言って、指導者だったです。ところが近来新聞はだんだん指導されるほうになったです。だから新聞のいろんな扱い方をみると非常に遅れているのです。社会のほうが早いです。新聞の編集などがおそろしく慎重になりすぎて、ぶちまけて言えばお上品になりすぎているのです。これは英国の新聞をまねたのだそうですが、特に『朝日』などがそれを建前としているのです。だから実に慎重なのです。『ロンドン・タイムズ』などはそれで大いに売ったのですが、それがあんまりすぎると、民主的文化の発展ということが遅れてしまうのです。私はよくは知らないが、アメリカの新聞などはもっと大胆に堂々とやっています。だから米国はあれだけ発展するのです。ところが日本の新聞はお上品になってしまっているのです。どの新聞もみな同じで、三大新聞といったところでみんな同じです。それから中新聞もたいてい同じで、特色というのはなくなってます。そういうものには、私のやることはなんでも新しいことですから、どうもお気に入らないのです。「救世教というやつはどうも物騒なやつだ」というように見ているのではないかと思うのです。そこで、私のほうで新聞に広告を出そうとしても引き受けないのです。三大新聞は申し合わしたように、救世教の広告は引き受けないのです。しかし他の、美術館とか、そういうことは喜んで出すのです。しかし私の書いた本は「とんでもない、物騒なやろうだ」というわけです。それからまた薬屋とか、肥料屋などもそうでしょうが、そういう方面の手もだいぶまわっているらしいのです。だから文化の発展、進歩とか、そういうことは二の次三の次で、オレの所の新聞が問題を起こさないように、なるべく無事太平にして、少しでも儲かったほうが得だというのでしょうが、これはそういう考え方も無理はないのです。新聞社はみんな株式会社ですから、ある程度利益を上げなければ、株主が怒りますから、それにはなるべく問題を起こさないように、信用を傷つけないように、ごく慎重に構えているのです。それはごく利口なやり方です。しかしそれだけ新聞の生命というものが薄れてくるのです。日本はこれからまだ大いに発展しなければならないという国なのに、そういうふうにオサマってしまってはしようがないです。これがやっぱり政治上でも同じようです。民主的の、進歩的の、そういう気分が薄れてきたのです。政治界なども、国民とか日本の国ということは第二第三で、とにかくわが党、自分たちの持っている主義を立て通すという、つまり小乗的の考え方です。けれどもしかし、いくらガンばってもなんといっても、日本の農民層が自然栽培のほうにだんだん増えてゆき、すばらしい成績を上げて行きますから、そうなれば国民多数が新聞や政府の主義を叩きます。じっとしてはいられないわけです。ちょうど半分中風のようなもので、手を引っ張るか腰を持ち上げれば、歩かなければならないというようになります。それでもよいのですが、ただ遅くなるだけです。そこにもっていって、私が学者だと早いのですが、宗教家であり、しかも新宗教というと「ナンダ、戦後の国民が迷っているところにうまく便乗したものであり、新宗教の中ではとにかく頭を持ち上げ出した。岡田という奴は利口なのだな、銭儲けがうまいのだな」というように見ているのでしょう。「しかし言うことはなかなか間違ってはいないようだが、あれとても一時的のもので、たいして長いことはない。もう少し様子をみて、それからでいいだろう」というように至極暢気<のんき>に構えているのです。もっとも、いままで宗教家が宗教以外のことになんとか言ったり、乗り出したりするということはなかったのですから、それも無理はないです。だから私は宗教ではないということを言っているのです。宗教というのは教えですから、教えだけでは、少なくとも昔の未開人ならよいですが、いまの国際的の生きた世界で、そんなことで人を救えるものではないです。つまり宗教ではなくて救いの業「救世の業」です。だからとにかく救世教というものは違うということを、認識させるのがなかなか容易ではないのです。美術館などもそれと同じようなわけで、いままで宗教で美術館をこしらえたものは世界中にないのです。しかしこれはすばらしい神様がやられているのですから、ドンドン成績を上げて行きますから、気をもむ必要はないのです。

 それについて一昨日、アメリカの、日本で言う文化委員会といったような一つの団体の派遣者で、婦人が来ましたが、なかなか立派な人です。いまアメリカで一番注目しているのは日本美術だそうです。それでいままでだいたい分かっているのは徳川期までで、明治以後のはぜんぜん分かってない。明治以後の日本の美術を調査研究しろというので、二年間の予定でその人が日本に来て、いまその仕事をやりつつあるのです。その着眼がなかなかよいのです。なんといっても絵画だろうから、絵画を最初に取り上げて研究するということになったところが、明治以後で一番の絵の名人は栖鳳<せいほう>だということに気がついたのです。これは正確です。いま京都の大学院に留学生という名義で来て、栖鳳研究に没頭しているのです。ところが栖鳳を一番持っているのは、日本では私なのです。また私は栖鳳が一番好きで、一〇年ぐらい前から栖鳳だけを蒐<あつ>めていたのです。それがうまく役に立ったわけです。そこで、栖鳳をいろいろ見せてもらいたいと来たわけです。それについてちょうどよいのは、栖鳳の息子(といっても五〇以上の人で、フランスで、美術の研究をしたようです。無論イギリスもアメリカも研究して、英語が非常にできるのです)が来て、栖鳳の説明と通訳をしたのです。すべてお誂<あつら>え向きというわけです。三分の二は私の所で見せましたが、後は箱根にあるのです。そこで非常に喜んで、いま自分がもっとも研究しているところにピッタリしたわけです。それでとても熱心に一々書いて、あっちに報告するのだそうですから、無論あっちの雑誌かなにかに出すのでしょう。そういうわけで、熱心にやってました。もう一度箱根にある物を見せる約束をしました。米国でも、日本人の芸術的感覚、そういうことが非常に勝<すぐ>れているということをだんだん認めてきたのです。特に去年、各地で日本美術品の展覧会を開きましたが、あれらが大きな刺激になって、いま非常に日本美術を国民的に見たがり、日本熱といったようなものが、非常にさかんになってきたそうです。そういうようなわけで、私もちょっと話をしましたが、日本人の美術に対する勝れた感覚、そういうものは世界で一番です。それがアメリカ人にもよほど分かってきたようです。結局、これはまだ具体的には言えませんが、世界の文化連盟というようなものが作られて、日本を本部として、ユネスコみたいなような機関ができそうなのです。これは神様のほうではチャンと……できるのです。それで、その本部を熱海の美術館ということになるだろうと思ってます。実は、日本美術を大いに研究するには、泊る所などの設備をぜひほしいというようなことを言ってましたから、そういう設備は私のほうでするからと言っておきました。そういうような具合で、文化連盟の本部が熱海の美術館ということになるでしょう。アメリカなどの意向というのは、こういった美術をさかんにすることは、平和のための一番力強いものだ、ということを大いにやろうとしているのです。それでこれがアメリカの平和主義に対する大きな事業というわけです。だんだんアメリカのそういった識者、そういう面と密接な関係になってくると思います。それで「日本の外務省はぜんぜん駄目だ」と言っているのです。「そういうことになにも関心を持ってない、どうしたものでしょう」と言うから、「とにかく政府でやっていることはぜんぜん駄目だから、これから私のほうで、政府でできないことをやりますから」と言っているのですが、政府は看板として、仕事はこっちでやるというわけです。これも地上天国を造るすばらしい要素になって行くわけです。

 それから来月の九日から三越で「肉筆浮世絵名作展」をやりますが、いままで浮世絵というと版画で、版画は世界的に拡がって、これはむしろ日本よりかアメリカのほうがよけいあります。アメリカのボストン博物館にあるだけでも日本にある版画の一〇倍あります。ですからたいしたものです。ところが肉筆というのはほとんどないのです。これはいつかも言ったとおり、肉筆を見る機会もないし、手に入る機会もないのです。そこに私がうまく目をつけたのですが、日本人はやっぱり西洋崇拝ですから、浮世絵は版画というようになっていたのです。そこで版画は高いが肉筆は安いのです。私はそこに目をつけて、二、三年前から蒐めました。その肉筆の展覧会をやるのですが、これは初めてですから、みんなびっくりするだろうと思います。「肉筆とはこんな良いものか、とても版画どころではない」と、とても評判になるだろうと思います。九日から一八日までです。それから白木屋でも、もうじきやるでしょうが、浮世絵版画展です。これは私のほうと博物館と、もう一カ所で、歌麿、写楽といった浮世絵としての一級品をやることになってます。そういうような具合で、デパートがいままではお寺展覧会でしたが、お寺はもうすっかりやってしまいましたし、これはあんまり感心しないです。ただ珍しいだけのものです。それでこれからむしろ庶民的展覧会が流行になるだろうと思います。そうすると一番品物があるのは私の所ですから、デパートを介して箱根美術館というものは非常に有名にならざるを得ないということになると思います。まだいろいろ話したいことがありますが、時間が来ましたからこのくらいにしておきます。
(御講話おわり)

「『御教え集』三十二号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p270~276」 昭和29年03月17日