私の「光」は
【真山氏】 先ほどの御守りの科学的根拠というのはなんでございましょうか。
【 明主様 】 「光」という字を書くと、その中に光が入って行くのです。
【真山氏】 それは教祖だけがおやりになられるわけで。
【 明主様 】 そうです。それだけの能力を神様から与えられているのです。
【真山氏】 その神様というのは。
【 明主様 】 主神<すしん>と言いますが、最高の神様です。最近のことですが、ある人にキリストが憑って、この神様によって救われてます。
【中村氏】 「光」という字ですか。
(御守り様をお見せになられ)
【 明主様 】 これを一枚六秒で書くのです。ですから、とても早いです。これを懐に入れた刹那から病気を治せるのです。
【真山氏】 そうすると、いつも神様が教祖の体に宿っているわけでございますか。
【 明主様 】 そうです。ここにいるのです。
【真山氏】 教祖の「光」というのは、世界的には教祖お一人ということになるのですか。
【 明主様 】 そうです。昔からないのです。人類始まって以来初めてです。
【真山氏】 しかし教祖がなくなられると、後、救世教はどういうことになりますので。
【 明主様 】 霊界から働きますから、なんでもないです。
【真山氏】 「光」の字を書く人はいなくなるわけですが。
【 明主様 】 その時代になると、穢れのある人がなくなるから、必要ないわけです。
【真山氏】 では、その時までは教祖も生きられるというわけですね。
【 明主様 】 そうです。
スターリンは地獄に落ちている
【真山氏】 先ほどのお話に、キリストにお会いになられたそうですが、それはキリストがしゃぺるということは分かりますのですか。
【 明主様 】 よく分かります。自分で名乗ってくるのです。
【真山氏】 外国人の場合は言語上の問題がありますが。
【 明主様 】 それは日本語になるのです。霊界で翻訳する係があるのです。それは現界と同じです。
【真山氏】 そうすればだれでもしゃべれるわけですね。歴史上の人物などにお会いになられたことは。
【 明主様 】 あります。しかし必要がないと憑れません。
【中村氏】 いまの霊のそれは教祖であるから来るのですか。
【 明主様 】 そうです。私が助けたからです。
【真山氏】 キリストの他には。いろいろお会いになりましたか。
【 明主様 】 ええ。おもしろい話があります。スターリンが地獄のドン底に落ちて、非常に苦しんでいたのです。ところがさっきの話では、スターリンがやっと地獄の下から少し上がったそうです。
【真山氏】 どういうところから改心したのですか。
【 明主様 】 いままで自分は間違っていた、非常に悪いことをしたというのです。それで地獄のドン底に落ちたのです。その地獄のドン底というのは、キリスト教では煉<ママ>獄、仏教で言う最低地獄、神道で言う根底の国で、光がなく真っ暗で、光も熱もなく、それはたいへんなものです。どんな者でも改心します。私は地獄のそういった霊をいくども救ってやりました。スターリンは難しいだろうと思っていたのです。これは、私が静岡の、四、五年前に留置所に入ったときにそういった連中をみんな呼んだのです。それは生霊といって生きた人を呼べるのです。それでスターリンを呼んで共産主義の間違っていることをいろいろ言ったが、どうしても駄目だったのです。毛沢東などは素直に言うことを聞きました。
【真山氏】 毛沢東はいま、現存の人間ですね、もう死んでますか。
【 明主様 】 神秘ですね。
【真山氏】 死んでますか。そういう話があるのですが。
【 明主様 】 危ないですね。
【真山氏】 断言はできないですか。生きているか死んでいるかは。
【 明主様 】 断言はできないです。
【真山氏】 戦争中の東条英機にはお会いにはなりませんか。
【 明主様 】 東条英機としては話さないが、やはりたいへんな意味があります。それはいま言えませんが、とにかく善悪というものは人間には分からないです。つまり、すべて世界は神様が経綸しているのですから、戦争も平和もいっさいは神様の経綸によって出るのです。
汚職は浄化作用なり
【真山氏】 新聞で御承知と思いますが、政治汚職が毎日の新聞を賑わしておりますが、これはいかがなものでございましょうか。
【 明主様 】 あれは浄化作用というわけです。そういった悪いこと、間違ったことをすると曇りが溜まるから、その浄化があるわけで、病気と同じです。
【真山氏】 そうしますと、必然的なものでございますか。
【 明主様 】 無論そうです。借金するから返さなければならないようなもので、自分で作ったものです。借金を返すには苦しみがありますから、そこで苦しむわけです。ところがこの信仰は苦しまなくてやるというわけです。
【真山氏】 浄化されておりますいまの日本の政界というものは、治りますでしょうか。
【 明主様 】 治ります。しかしあれを治す方法は救世教以外にはありません。
【真山氏】 救世教はその手段としてなにか方法をとっておられますか。
【 明主様 】 日本に信者が増えつつありますが、これがその現われです。ところがああいう偉い人は体的には敏感ですが、霊的にははなはだ鈍感なのです。だから分かりかけが遅いのです。というのは要するに学問を受けたり、社会で偉くなった人というのは科学迷信の根強いものに囚<とら>われてますから、そこがふつうの考えとはアベコベになってます。
貧から解放されるには
【真山氏】 いろいろな問題がありますが、病気から離れて貧を救うということは、どんなものでございましょうか。
【 明主様 】 その前にもういっそう根本的に言えば、人間は霊<れい>と体<たい>との両方で成り立っているのです。ところがその霊を認めないのです。医学というのは体を根本にして研究しているのです。しかし私のほうでは霊主体従<れいしゅたいじゅう>と言っているのです。つまり、人間一人ひとりの中心は魂ですが、魂というのは霊界に属していて、体は現界に属しているのです。この霊界というのは現界と同じで層になっていて、その層は一八〇段ありそのどれかに魂は属しているのです。たとえて言えば地獄にあれば、貧乏、争い、忌まわしい悪いことばかりがあり、だんだん上に行くに従ってだんだん良くなって、真ん中の中有界というのは、良いこともあるし悪いこともある中位の所です。それを越すと天国になりますが、ここは良いことのほうが多いのです。良いことばかりが流れているのです。そこで人間に曇りがあると、罪によって、下の地獄に行きますから、地獄のすべての影響を受けます。そこで貧乏で苦しむということも、そういった下段のほうに影響されているわけです。籍が下にあるからです。そこでその籍を上にすれば、そういう忌まわしいことが少なくなるから、貧乏やいろんな苦しみはずっとなくなるわけです。だから籍を上にすれば、嫌でも良いことばかりが来て、悪いことは来ないというわけです。そこはそういうようなことになっているのですから、しかたがないのです。貧乏もそういうわけです。いまの人間はみんな地獄にいますから、それをだんだん上に引き上げなければならないのです。ですから救世教の信者はみんな貧乏をしなくなります。
【真山氏】 では救世教の信者はみんな、病気もないし貧乏もしてないわけですか。
【 明主様 】 しかし最初はありますが、だんだん年限が経つとそうなるのです。
【真山氏】 それは、どういうようにして引き上げるのでしょうか。
【 明主様 】 魂の罪が減ればよいのです。つまり、罪の重荷と言いますが、その罪を取れば軽くなるから上がるのです。
【真山氏】 どういたしましたらその罪が取れましょうか。
【 明主様 】 浄霊によることと私の本を読むとかすることです。それは光が出るからです。私のほうで発行する新聞の活字から光が出るので、それを見る人があります。
【真山氏】 そうしますと私どもは当分の間は貧から救われないわけですね。
【 明主様 】 あなたしだいです。救われたいと思えば信者になればよいのです。そうすればドンドン良くなります。しかし、うまいことを言って信仰させようとするのだろうと思うでしょうが、思っても思わなくても、「信じろ」と言うのは嘘です。ものは試しだ瞞<だま>されたと思ってやって「なるほど、これだな」と思えばよいし、思わなければ御守りは捨ててもよいのです。
【真山氏】 私も救われたいとは思いますが……それはやはり罪が多いわけでしょうか。
【 明主様 】 人を苦しめるというのは罪になりますが、自分が仕合せになろうというのは本当の欲求です。人をいじめてオレだけというのはいけませんが、人も良くなりオレも良くなるというのは良いです。共存主義です。
【真山氏】 私どもは、経済的に心配がないほうだからと思うのですが、
【 明主様 】 そうではないのです。いま地上天国というのを造ってますが、その金はみんな信者が寄付するのです。それも、金がある人が寄付するのではないので、自分が信者になって得た金を献<あ>げるのです。
【真山氏】 ははあ、そうですか。では救世教自体も貧から抜け出ているわけですね。
【 明主様 】 まあ、そうですね。
【真山氏】 われわれのように貧に追われてきますと、もうあまり考えないようになってきますが、これも貧ゆえというわけですかね。
【 明主様 】 しかし貧というものも必要ですよ。
【中村氏】 疑問に思うことがあるのですが、教祖はさっきから、暑い暑いとおっしゃってますが、われわれはあまり、
【 明主様 】 それは光の関係です。
【中村氏】 やはりわれわれは貧の関係で……というわけでしょうかね。
金に対する執着と言いますか、いまの人間は本能的なものがあるようですね。
【 明主様 】 執着はかまいませんが、その手段です。金は結構なものであり、これほど重宝なものはないから、いくらでも得てよいのです。ただ、それを正しい方法で得ればよいのですが、正しくない手段がいけないのです。
【真山氏】 やる仕事はどんなものでもかまいませんですか。
【 明主様 】 と言っても、罪になることはいけません。
恋愛はよいが罪を作らぬこと
【真山氏】 少し柔らかいところで恋愛につきましては。
【 明主様 】 私のほうでは、恋愛は神が与えた恵みだから大いにやりなさいと言うのです。
【中村氏】 教祖御自身おやりになりましたか。
【 明主様 】 大いにやりました。
【中村氏】 教祖も人間であったというわけですね。
【 明主様 】 そうです。
【真山氏】 そういう話も聞いておきませんとね……。われわれの勉強になります。
【 明主様 】 大いにやってもよいですが、罪を作ってはいけないです。
【真山氏】 教祖は罪をお作りにはなりませんでしたか。
【 明主様 】 少しは作ったでしょうが、たいしては。
【真山氏】 われわれの唯一の教祖的なことは恋愛をしているということだけ、ということになりそうですね。
【 明主様 】 負けおしみを言うようですが、それが無駄にはなってないです。それは、社会の裏を知るうえにおいて、そうとう必要があったわけです。ですから神様にやらされているのです。
【真山氏】 そういうときには神様が「いけない」というようにはなさらないのですか。
【 明主様 】 それがあるのです。それは信仰に入ってからですが、どうにもならなくなって、私はこれは神様のお試しだとみたのです。オレの信仰に対する熱烈さがあるかどうかということを試しているのだ、ここで及第しなければならないというので、ピタッとやったわけです。
【真山氏】 それでは自然に逆らったようなことになるのではないですか。
【 明主様 】 そうなりますが、私は特別な使命がありますから、そこがふつうの人間にはできないことと思います。
【中村氏】 私は宗教の教祖に会ったのは先生が初めてですが、お会いしたところ、われわれが思っていた方とは違いますね。庶民的ですね。
【 明主様 】 それはそうです。宗教家というのはそれが本当です。
【中村氏】 白足袋をはいてもっと……と思ったのです。白足袋というと吉田茂ですが、教祖のお名前の岡田茂吉というのは、吉田茂の名前をはさんでしまっていますが、私はこれになにかをこじつけようと思っているのですがね。とにかく、一応われわれの考えでは、鉄のカーテンではなくても、少なくとも竹のカーテンぐらいはやられるのではないかと考えていたのですが。
【 明主様 】 私はそういうことは嫌いなのです。そういうことをすると、こっちが窮屈でしようがないです。だから、普通人としてやったほうが気楽でよいです。また、そう気取る必要はないです。
【中村氏】 保全の伊藤教とは違うというわけですね。伊藤のほうがよほど教祖らしいですね。
【 明主様 】 最近は森脇教ということになりますかね。
【中村氏】 一つの線まで行くと教祖になってくるのですね。アメリカに行って帰ってくるとみんな教祖になるのですね。
これからの世を救うものは
【真山氏】 話は変わりますが、例えば強盗殺人をしたような、どんな悪い奴でも、信者になってそれを克服することはできますでしょうか。
【 明主様 】 そこですが、悪だから救う必要があるので善人なら救う必要はないわけです。ですから悪が強ければ強いほど救う必要があるわけです。親鸞の言った「善人すら救わる。いわんや悪人に於てをや」というのは、その消息を言ったものです。これを文字通り解釈したらおかしなものになりますが、これは悪人でも救われるというので、悪人ほど救う必要があるのです。そこで浄霊は善悪無差別に病気を治すことができるのです。
【真山氏】 浄霊というのは魂を浄めるわけですか。
【 明主様 】 魂というと少し違います。魂というのは霊の中心です。霊というのは体全体です。
【真山氏】 他の宗教にもそういう考えのものはありますでしょうか。
【 明主様 】 いくらかはありますが、救世教ほど徹底してないです。
【真山氏】 璽光尊とかいろいろありますが、ああいうものについては、いかがお考えでしょうか。
【 明主様 】 あれはあれでよいのです。しかし私のほうとは違います。いままでの時代の程度においては、ああいう救いが必要だったのです。しかしこれからは救世教でなければ駄目なのです。時代においてもそうです。
【真山氏】 理想とするところは世界人類の者が救世教の信者になればよいということですね。
【 明主様 】 まあ、そうです。
【真山氏】 いままでは認めるが、これからは救世教でなければならないというのは、どういう段階がそうさせたのでございましょうか。
【 明主様 】 そうさせたのではなくて、神様の目的、神様の経営がそうなっているのです。例えば子供が育つようなもので、子供、青年、老年と、年によって考えも違ってくるわけですが、そういうようで世界がだいぶ成長してきたわけです。そうするとそれに適当したいろいろなものが出るわけです。
【真山氏】 そうすると、他の宗教の教祖というのも神様の御教え、霊感を感じているに相違ないと思いますが、神様の意志が救世教に集まるということならば他の教祖たちが、われわれの宗教は終わったということを考えないものでしょうか。
【 明主様 】 それは分かりません。いずれは分かりますが、やはり時です。
【真山氏】 霊を通じて教祖同士の話はできないものでございましょうか。
【 明主様 】 私のほうでそうであっても、向こうが。
【真山氏】 電話みたいなものですね。
【 明主様 】 そうです。向こうが受話器を外しっぱなしなわけですから。
【真山氏】 たいへんおもしろい話でした。こういう話はいままで聞いたことがありません。