今度の奈良行きはお天気都合が非常によかったのですが、ほうぼうの龍神さんが大いに喜んで出迎えたわけです。それで一生懸命にお天気都合を努力したとみえて、そういう点がよく現われています。それから京都方面の信者がだいぶ増えたとみえて、帰りの見送りはこの前の倍ではきかないと思います。これ以上増えると、京都駅の収容が難しいのではないかと思われたぐらいです。それは実に多かったです。いま霊界では非常に進んできて、いろいろな霊が御礼やらお頼みやら、いろんなことが出てます。霊界の霊の一番多いのは、救世教の仕事に使ってもらいたいという希望が一番多いです。順に『栄光』や『地上天国』に出します。いま、出ただけのを読みますが、これは熱海の婦人と、京都の婦人と両方ですが、龍神も日本だけのように思われるけれども、世界全般到る所にいて、今度の救世教についてのいろいろな、まあ働かしてもらいたいことやなにかを頼んで出てきてますから、それを読ませます。
(「御報告」朗読)
それから龍神がしゃべるということはなかなか難しいのです。それでまた外国の龍神ですと外国語を使う龍神もあるが、日本語を使う龍神というのは外国の龍神にはないのです。そこでこれは日本の龍神に頼むのです。といっても、龍神の話というのは言葉ではないので、たいてい目で話をするのです。それで早いのです。いま読んだだけのものなら一分もかからないでしょう。そうすると、日本の龍神でも言葉ができる龍神があるし、また龍神から人間になったのもたくさんありますから、そういうのに目で話をするのです。そうすると日本語でいくらでもすっかり話ができるわけです。
それからよく狐だか祖先だか分からないことがありますが、あれは、人間に憑って話をする場合に、狐は実にうまいのです。狐は言葉はどんなのでも分かるので、人間と同じに話ができるのです。そこで霊が狐に頼むのです。その場合に、霊が祖霊に話をして祖霊が狐を使うのですが、そういうことが多いのです。ですからよく狐だか人間だか分からないことがあるのです。審神<さにわ>していて、狐と思ってしまったり、狐に瞞<だま>されるものかと一生懸命に用心しますが、そういう必要はないのです。人間の霊に頼まれて狐がしゃべる場合には、狐が本性を現わすことがあるので、そこで狐に見えるのです。私は以前そういう霊を扱ったことがあります。古い本に出ているかもしれませんが、「さようでございます」「はい」と言って、女なのですが、「オイ、そんなことは知るもんかい」と言うのです。「貴様は狐だな、引っ込め引っ込め」と言うと、また人間の言葉になるのです。そのうちにまた狐が出てくるのですが、ちょうど狐と人間と半々になるのです。それで龍神が一番人間の言葉が使えないのです。ですから私に一番最初憑った霊が、唸<うな>ってばかりいて口がきけなかったのですが、一月ばかりいて人間の言葉が使えるようになったと言って非常に喜びましたが、そういうことがありました。ですから外国の龍神もそういうようなわけです。
それから次はいろんな霊が出てきたのですが、これをもってみてもいかに霊界では、私に頼んだりいろいろな礼を言ったり、感謝の気持ちということがよく分かるので、いま読ませます。
(「御報告」朗読)
日蓮──日蓮上人は狐になって、狐の親分になったわけです。それを私が救ってやったのですが、前にちょっと話したことがあります。日蓮宗の信者はみんな狐が憑くのです。いまでもやはり狐がやっているのです。一時は非常に発展しますが、それは本当の発展ではないから、結局いろんな問題が起こったりするのです。いまでも日蓮宗の内部にいろんな派があって、だいぶいろんな軋轢<あつれき>があるようですが、そういうわけですから、いずれは狐が……狐といったところで、みんな人間が畜生道に落ちて狐になるのですから、ふたたび人間に返るのです。そこで日蓮上人は非常に感謝してますが、これはときどきそういうことがあるのです。というのは、つまり人間になるということが一番嬉しいことなのですから。
それから、つまり龍神もみんな人間が龍神になったのです。だから人間の言葉も使えるし、人間の感情、智恵、そういうものがあるわけです。そこでその救いというものは、畜生道に落ちたものを人間に復活させるということは、畜生道に落ちるべき罪穢れ曇りが溜まってそうなるのだから、光に会うとそれが消えますから、消えると霊的に位が上がるのです。ということは人間の位になるわけです。
救世教の救いというものは人間ばかりでなく、霊界が救われるのです。やっぱり霊界が根本だからして、どうしても霊界が救われなければ人間界は救われることはないのです。しかしいままでのいろんな宗教はそういうことができなかったのです。人間を救うことさえなかなかできなかったのです。というのは、霊主体従<れいしゅたいじゅう>ですから、霊が救われなければ体は救われないのです。体だけ救われて大いに苦しんでいて、表面だけの救いで、根本ではないから駄目だというわけです。
今宮神社──今宮神社というのは熱海のこっちの奥のほうですが、立派なお宮です。
事代主命というのは大国主命の長男です。つまり神武天皇に征伐されたときに一番早く降参した神様です。この弟が建御名方命<たけみなかたのみこと>といって、これは暴れやで非常に強くて、これが抵抗したために、追いかけられて、とうとう信州の諏訪に逃げて行って、諏訪湖に飛び込んで龍神になったので、それがいまの諏訪神社です。
良寛──これが良寛の面目がよく出てます。あれは始終子供と遊んでいたのですから、「子らと鳥と風と遊ばん」というのは、実に良寛らしいことを言っているわけです。
金毛九尾──金毛九尾の改心ということは重大事なのです。つまり世界の人間を堕落させる一番の親玉なのです。今度の汚職問題にしろ、金毛九尾が一番活躍したでしょう。と言ったところで、みんな眷族ですが、眷族が何億といるのです。これは、一番の急所を狙って虜<とりこ>にしてしまうのです。そうして金を使わして賄賂をとるようにさせるのです。パンパンというのは金毛九尾のごく下っ端のほうです。だから金毛九尾が改心するということは、つまりそういった面が大いに良くなるわけです。これがやっぱりミロクの世が近づいたために、霊界が明るくなったためです。光が一番怖いのです。そこでいままでの世の中では光というものがなかったからして、夜の世界だったから、いろんな好き放題なことをさかんにやったのですが、いよいよ光が出たので、どんなやつでも改心するよりしようがないのです。いままでどおりにやれなくなったのです。
これはまだ読まないが、二、三日前にスターリンがだいぶ改心しかかってきたのです。スターリンのいる所が少し明るくなったのです。彼は一番最低の地獄にいますが、そこで「自分はいままで非常に間違ったことをしたから、どうか赦<ゆる>してもらいたい。いくらか楽になったが、まだ苦しみがあるから、それを少しも早く赦してもらいたい」ということを言っているのです。もう一息で改心するようになってきたのです。非常によいと思います。そうすると共産主義というものは近き将来ガタガタになってしまいます。このことは私はスターリンが死んだ後に、必ず共産主義はだんだん萎<しな>びてしまうということを言っておきましたが、やっぱりそのとおりに、だんだん早くなってくるわけです。
それから、『アジア・シーン』という雑誌がありますが、これは日本の文化をアメリカに紹介するという雑誌です。この間見ましたが、立派な雑誌で、おそらく日本にはないくらい立派な雑誌です。アメリカが本社で日本は支社になっているわけです。そこの記者と、ラジオ東京からも二人来て録音をとって行きました。ラジオ東京に出るかもしれません。そのときの目的は、私の『アメリカを救う』という本と「原爆恐るるに足らず」ということについて、アメリカのほうから問い合わせが、つまり調査の依頼、それはアメリカのどういう方面から来たか分からないですが、聞いてみると読者ではないらしいのです。そうとうの所から来たのだろうと思います。それでいろいろな話をしてやりましたが、ラジオ東京の若い男はずいぶん熱心で、実によく質問してました。その熱心さには感心しました。いろんな話をしましたが、なにしろ私の言うことは聞いたこともない珍しい話なので……それはそうでしょう、あの人たちは私の言うような意味の話は聞いたことはないに違いないです。そこで、できるだけ分かるように話してやりましたが、勿論全部は分かりはしないが、三分の山や五分の一は分かったと思います。それだけでも結構です。そのときに話したことですが、水素爆弾については……これはその人に話したために言うのではないので、一度は言うつもりだったのです。つまり原子爆弾は防ぐことはできるのです。いままでのお蔭話にもありましたし、「原爆恐るるに足らず」とも書いたのですが、「水素爆弾恐るるに足らず」ということは書けないのです。これはたいへんな違いなのです。では神様がどうしてそんな恐ろしい物を作ったのかというと、これはまたたいへんな意味があるのです。というのは、例えば原爆などですと、地下に防空壕式に、何メートル下に掘って、そうしてそこに市街を作ってもよいし、要するに避難することができるのです。あるいは鉛は原子核で破壊できない、防ぐことができるのですから、鉛の家を作れば逃れることができるのです。原爆の資料はみんな鉛に包むのです。ところが水爆はそうはゆかないのです。例えば水爆一発放つと、地面が掘れてしまうのです。いまのところはそうなのですが、これがまだまだ発達するのです。そうすると、いくら深い穴を掘っても駄目です。何メートル何百メートル下まで掘れるのですから、ぜんぜん駄目です。そうすると逃れる道はないのです。そうなると人類の破滅です。この間のものは広島に落とした原爆の六〇〇倍とも言われてますが、それも正確には分からないのですが、しかし一〇〇倍としてもたいへんなものです。そうすると防ぐ道はないのです。そういった人為的のこと、科学的の方法も駄目ですし、国際協議とかをいまやらんとして、水素爆弾の協定、国際協定をして防ごうとしても、それはぜんぜん駄目です。こうなった以上、製造を止めることはできます。しかし自分のほうで止めても相手のほうで止めなければなんにもならないから、どうしても両方で作る競争をしなければならないです。この間アイゼンハウアーが「水素爆弾の製造、増産は大いに必要だから、ますます馬力をかけろ」という指令がありました。アメリカでは水素爆弾をドンドン作っているわけです。そうするとソ連のほうでも負けずになってやるというわけで、そういった方法ではぜんぜん駄目です。ですから新聞にも出てましたが、「それは根本的の方法ではない、だからもっと根本的の方法を探さなければならない」ということを言ってましたが、根本的の方法というのはわけないのです。これも一日のアイゼンハウアーの水素爆弾についての演説で、「水素爆弾そのものは少しも恐ろしいものではない。つまり使用目的によって恐ろしい恐ろしくないが決まるのだ」と言っているが、まったくそのとおりで、つまり人間の心、魂が「そういった破壊や人を殺すということはいかん、だからそれはやめる」という心になればよいのです。それを平和のほうに使おうと、平和に使うべき研究を大いにすればよいのです。そこで心ですが、心というと、いまアメリカはあんなに一生懸命に水素爆弾を作っているが、結局世界を破壊するためではなくて、敵が攻めてきたときに負けてはいけないという、根本は防備の精神からで、積極的の手段に作ったのではないのです。もし積極的の手段に出るとするとソ連です。これはどんなことをしても世界を制覇しなければならないということなのですが、スターリンが立派にお手本を見せているから間違いないです。それではたいへんだからそれを防がなければならないというのがアメリカの根本です。そこで一番良いのはソ連の一番の幹部、スターリンの衣鉢をついでいる、言わば一握りの人たちが改心すればよいのです。「もう、そういう世界制覇の目的は放棄する、そうしてお互いに仲良くする」として、それでソ連が一番に水素爆弾の製造やそういうことは放棄するということを世界に宣言するのです。それでそういうことのいっさいを信じられるだけの行動をすればよいのです。たとえてみれば、南北朝鮮ですが、これはソ連が始めたのだから、北鮮の軍備を撤廃させて手を握らせるのです。それから中国も、全部蒋介石に返すこともできないから、半分に区切って、北のほうは中共、南のほうは蒋介石というようにやるのです。中国は大きいから二つに分けてちょうどよいです。朝鮮はアンナ小さい所だから一つにしてよいです。それでソ連も中共も軍備を止<よ>してしまって、アメリカと握手するのです。そこまでゆかないと駄目です。そうでなければ、いつなんどき暴れ出すか分からないです。また、鉄のカーテンなども撤廃しなければならないというようになればよいです。それ以外は水素爆弾の製造ということは、破壊の道具としての製造は止めるわけがないのだから、どうしてもソ連がそこまでゆかなければならないのです。そこまで必ずゆくのですが、ただ時の問題です。しかし霊界の動きを見ますと、割合に早そうです。なにしろマレンコフの霊は、とうに改心しているのです。それで、スターリンでさえそういうような具合ですから、とにかく霊界に平和が実現するとすれば、現界は無論そのとおりになるのだから、いよいよミロクの世になるわけです。
それについて少し書いてみました。
(御論文「恐るべき科学迷信」朗読)〔「著述篇」第一二巻二九三ー二九六頁〕