今日はいろいろお話ししたいことがありますが、時間が非常に少ないので、ごく要領だけをお話ししようと思います。
まず、いま世界中の人間がもっとも関心を持っているのは、知られるとおり水素爆弾の出現です。原子爆弾のときもずいぶん驚きましたが、原子爆弾のほうは、まだなにかと免れる工夫がありそうなものだ、という考えがだれにでもありますが、今度の水素爆弾に至っては、逃れることができないと、いまでさえ広島に落としたあの原爆の一〇〇倍とも言うし三〇〇倍とも言うし、六〇〇倍とも二〇〇〇倍とも言われているので、正確な数字は分からないのです。とにかく、少なくとも何百倍ということは、だいたい見当はつくのです。そうすると、いったい世界はどうなるかということです。しかもそれで止まったのではない、まだ進んでいるのですから、あるいは一万倍にもなるか分からないです。そうしたら、いったいこの世界はどうなるか、人類はどうすればよいかという、つまり底知れない不安な気持ちがだれでもするのです。おそらく人類始まって以来、これほどな恐怖と、これほど深刻な問題はないわけであります。ところが、では「いったいどうしてこういう気味の悪い恐ろしいものができたか」「いったいこの世の中に神様があるのかないのか。神様があるとしたら、どうしてこんな恐ろしい物を作ったのだろう」「なんのためにこんな物を作らなければならないのだろう」という問題は、特に信仰のある人は一番にそういう観念が起こらなければならないわけであります。つい最近もアメリカの(日本で英字雑誌を発行している)『アジア・シーン』という雑誌社の人と、ラジオ東京の係の人たちが私に面会を求めてきたのです。というのは、私の『アメリカを救う』という本を読み、それから「原爆恐るるに足らず」という論文をいつか書きましたが、それを読んで、アメリカの人からぜび調査をしてもらいたいという、表面は別になんとも言いませんが(結局アメリカのそうとう有力な筋だろうと思いますが)、それから調査を依頼されたという意味で会いたいと言ってきたのです。私は一四日に帰りますから、一五日に面会するつもりです。
それについて気がついたのですが、このことについては信者の人も知っておく必要があると思うのです。というのは、この水素爆弾というものは、考えようによっては良いほうと悪いほうと両方にとれるのです。この間アイゼンハウアー大統領が、たしか今月の一日ごろと思いますが宣言をしました。それは「水素爆弾というものはたしかに恐ろしい。しかしこれは使う人の目的によって恐ろしい物にもなれば、またさほど恐れる必要はない」ということを世界に向かって宣言しました。あれはまったくそのとおりです。つまり武器として使ったら、それこそさっき言ったとおり一大恐怖です。どのくらい人類に、被害……どころではない、もうほとんど人類の絶滅と言われるほどの恐ろしいものです。けれども、そういった戦争のような武器という意味で使わなければ良いのです。では、戦争の道具に使うということは、善悪とすれば結局悪に使うから人類に災害を与えるのです。これを善に使えば良いのです。いまのところ善に使うという工夫はできていませんが、これは研究すればたいして難しいことはないのです。いずれにせよ、結局火力ですから、つまり強い、いわば太陽です。「太陽を取られた」と言われてますが、太陽の熱のごく集中されたものです。熱の一つの大きな固まりを作るわけです。それを善いほうに使えばたいへんな良い働きをするわけです。勿論それは動力です。これが発達すれば、わずかな手数と費用でどんな大きな動力でもできることになると、それこそいま一番多く使うのは電気ですが、その電力などもアレによって非常に簡単にできるわけです。ですから結局悪に使わないようにするということなのです。そこで悪に使わないとすれば、悪の思想、観念を人間から抜けばよいのです。しかしぜんぜん抜くということはできませんが、悪より善のほうが勝っていればよいのです。いつも言うとおり、悪が四で善が六ならよいのです。悪の制御です。その制御の力がないから恐ろしいのです。すなわち水素爆弾が恐ろしいというよりか、人間の悪を制御することができないというほうが恐ろしいのです。悪を善にする力はどうすればよいかというと、そこにつまり宗教の価値、生命があるわけです。だから悪を淘汰するというよりか悪を弱らせる力が必要です。それが宗教の役目です。しかしてそれだけの力ある宗教は出なかったのです。出なかったからこそ悪のほうが淘汰されないで、思いきってやるとそこに水素爆弾ができたからして、いよいよ危ないということになったのです。悪を弱らせる力がないとすれば、ここに宗教家の役目というのが一番重大な問題になってくるわけです。そう見てきますと、その力のある宗教はあるかというと、私はあると言う。一つあるのです。それは、口はばったいことを言うようですが、それが救世教です。悪の力を抜く宗教、悪を制御する宗教、悪を弱らせる宗教、それは救世教より他にないのであります。では、いったい救世教というものはどういう方法でそういうことができるかというと、それが光です。つまり光のある宗教、光のある教祖なり宗教家というものは、いままで地球上に出なかったのです。その出なかったということは、なにによって分かるかというと、これもはなはだ大きな話ですが、ちょっと信じられない話です。けれども、本当のことですから言わなければならないわけです。救世教の人たちは分かりますが、そうでない人が聞いたら「ああいう大きなことを言うのは、あいつは山師か、頭がどうかしている」と言うでしょうが、これは本当です。それはなにかというと、最近キリスト、釈迦、マホメットという偉い人たちがみんな私に救ってくれと言ってきているのです。
その一例をあげますと、最近キリストがある若い婦人に憑ってきて、この間私は浄霊をしてやったのですが、浄霊するかしないうちに、涙を潸然<さんぜん>と流して、実に感謝に堪えない態度です。長い間霊界で非常に苦しんだのです。しかし「今度はお救いいただいてありがたい、嬉しくて嬉しくてしょうがない」と言ってシャクリあげて泣くのです。しばらく話ができないので、その間待っていたのです。そういうことが二度ありましたが、聞いてみますと、キリストが憑ったときには、やはり磔<はりつけ>の苦しみがあって、そうしてよくキリストの磔の像で、こういうように首を曲げておりますが、やっぱり首を曲げるのだそうです。どうも首をなにかで押さえられたような、非常に苦しいそうです。それは、つまり磔に遭ったから苦しいのです。つまりその苦しみがすっかり取れないのです。取れないということはなぜかというと、光がないからです。それで、この婦人は去年頭がおかしくなって私が治してやったのです。それでまだ固まりがあるので、ときどき来いということで、ときどきやってやったのです。するといつの間にかキリストがそれに憑って、いつの間にか良くなったというのです。それからマリアですが、マリアは、自分の息子が救っていただいたというので二、三度出てきましたが、非常に感謝してました。それから順々に出てくるのです。ヨハネも出てきましたが、ヨハネは二七五〇年霊界で苦しんでいたが救われたと言って、非常に感謝してました。最近はキリストの弟子でなかなか偉い人でヤコブというのが憑ってきました。そういうわけで、マホメット、孔子、お釈迦さん、日本では弘法だとか親鸞などが憑りました。続々憑ってくるのです。そしてなにが欲しいかというと、光が欲しいのです。私がちょっと浄霊をしてやると、光を受けますから救われます。だから光を求めて世界中からやってきているみたいです。光を受けることによって悪を制御することができるのです。そういうわけで、いまのような偉い、人たち……でもないですが、神たち……でもない、そういう聖者たちが救世教のために大いに働くというのです。いままでも働かしていただきたかったけれども、穢れがあるので、曇りがあるので働けなかったが、今度曇りを取っていただいたから大いに働けるというので、みんな勇んでいるのです。ですからそういう、つまり八百万の神様と言いますか、束になって活動しますから、いかに世界中に大きな発展ができるかということがよく分かるのです。
そこでいま話した悪ですが、水素爆弾を恐れるという根本を言うと、つまり、作ったのはアメリカですが、アメリカがなんのために作ったかというと、ソ連に対する脅威で、これを恐れているのです。知っているとおり、世界はアメリカとソ連との戦いみたいです。そのために水素爆弾というものができたのです。ソ連が恐ろしいということは、ソ連の世界制覇とか世界を共産化するという、そういう考えを抜けばよいのです。けれどもこれもおかしな話ですが、そういった死んだ霊ばかりでなく、生きている霊、生霊が霊界でみんな一々呼ばれて、私の代理の神様が呼んで一々説得したわけです。ところが霊のほうは知っているのです。もう自分は考え直さなければいけないということで、マレンコフなどはつまり改心したのです。これから心を入れ変えて、救世教の目的の、人類の救いのために大いに働くからということを宣言してます。その他世界の偉い人たち、アイゼンハウアーとか、東洋特にインドのネール首相などが呼ばれました。その他いろいろとたくさん出てきましたが、これは順次『地上天国』に出ます。そういうわけで、死んだ霊、生きた霊両方とも、救世教の神様と言うとおかしいですが、これはキリスト教のエホバです。それから「東方の光」と言う人もありますが、それによってみんなきれいに掃除をされて、そうして清浄で働くわけです。これはよほど偉い人はみんな知っていまして、キリストの「天国」とか、いろいろと予言されたのを待っているのです。いよいよ待っていた本当に世界を天国にするという事業が始まったというので、我勝ちにやらしてもらいたいとて集まりつつあるのがいまです。だからして不思議なようなことで不思議はないのです。当然来たるべきことが来、時節が来たというだけの話なのです。それがためにあなた方が光を分け与えられて、たしかに人を救うという確信を得られるという、こういういままでにないようなことも、それがためだということが納得ができるわけです。そういうことを知ってこれからやると、またいろいろな説明やなにかの場合に、先方を分からせ納得させるというのに、たいへんな大きな力になります。ちょうど、前にも言ったとおり、中京という所は神様のほうでも非常に重要な所です。西と東の真ん中で中京と言ったのですが、私のやっていることは、伊都能売<いづのめ>の働きですから、東と西の働きです。その真ん中の働きです。救世教のバッジが十文字で、真ん中が赤いのは日本です。昼間の世界です。中の黄色いのは、本当は金です。救世教になるわけです。それで、十の、緯<よこ>は体的文化で、経<たて>は霊的文化であり、その経と経とを結ぶというわけです。アメリカと日本を結ぶということが根本です。近ごろアメリカの新聞記者とか、そういう人がだんだん増えてくるのです。そして話がよく分かるのです。だから信者でなくても私の仕事に働かしていただきたいという、そういう人がアメリカの知識階級の中にも増えつつあるのです。それもやはりいま言ったことの一つの現われです。
(御講話おわり)