そういうわけで、最近いろんな霊的の事柄が出てきたのです。この間は、キリストやいろいろな偉い開祖、教祖などの神懸りのことを言ったけれども、あれは京都のほうの若い女性ですが、今度は熱海にいる若い女の人が、やはり霊憑りでいろいろそういうことを言われたのですが、それが京都の人とよく合っているのです。新しい点もありますからいま読ませます。
(「御報告」朗読)
これをみると、キリストはキリストらしい、バイブルの書き方みたいなことを言われているので、おもしろいと思います。バイブルのいやにくどい所などがよく似てます。そういうわけで、いままでは光を持った人間が現われなかったのです。つまりヨハネが二七五〇年地下<注意 地獄>に苦しんだということは、光というものがなかったからです。それで、光を受けなければ救われないのです。神仏も、つまりこの光をいただきたがって、いま霊界ではたいへんなのです。それで今度奈良に行くについて、あっちの各海、湖水、池などの龍神が次々と京都の人に憑って、その報告が来ました。そういうようなわけで、まあ、光を憧れているわけです。
それで、いま読んだ中に 「神ならぬ神」ということを言ってますが、これは非常におもしろいと思います。実際いままで神といって拝んでいたのは、実は本当は神ではなかったのです。ですから「神ならぬ神」というのは、うまく言いまわしたものです。そういうわけで、「聖夜」といって、キリストの聖歌でしょうが、これはあまりにキリストを讃えたので、かえってキリストとしては苦しんでいるのです。そこで歌詞を教えたのですが、これで非常におもしろいと思うのは、私は、メシヤ会館ができたら、前から言っているとおり、ヘンデルの作った「救世主<メサイア>」という歌をお祭りやなにかのときには歌って、オーケストラもやるつもりで、舞台の下の所にオーケストラボックスをこしらえましたが、歌うその歌詞は、ヘンデルのような外国語では具合が悪いですから、どうしても日本の言葉でなければならないのです。私が作ろうと思っていたのですが、ところが私が作るということは嘘なのです。私は歌うのでなくて、歌われるほうなのですから……。だから讃えるということが、自分が自分を讃えるようなことになってしまうから、どうしてもなにかしかるべき歌詞が欲しいなと思っていたのです。そうかといって、適当に作れる人はないのです。ところがキリストが作ってくれたのですから、実に結構なのです。そこで私も一安心したわけです。この歌詞もなかなか良くできてます。簡単で実に讃える心持ち、気持ちがよく表われてます。ですからこれを採用するつもりです。そういうようなわけで、これからは、ああいう「神ならぬ神」たちが大いに活動始めますから、どんなことがあるか分からないです。いよいよ本舞台になったわけです。今年から表になるということの最初の一つの現われです。