昭和二十九年四月七日御講話(2)

 いま大騒ぎをやっている水爆ということなども、少しも恐れることはないのです。あんなものは神様のほうではわけないのです。水爆を止めようとすることも、破裂させようとすることも、神様のほうでは指一本もかからないのです。しかしあれも神様のほうでの深い仕組みがあるのです。あれは神様がやっているので、悪魔やっているのではないのです。仮に悪魔がやっているとしても、悪魔が神様に使われてやっているのですから、元は神様です。ですからいずれ「アレが良かった、ありがたかった」ということになるのです。その点、日本人として一番分かりやすいのは、広島、長崎の原爆を、日本人は大いに感謝しなければならないのです。アメリカにお礼を言ってよいのです。というのは、もしかあのときに原爆がなかったらどうなるかということを考えてみれば分かります。あれまでは、各都市を順繰りに爆弾で爆破してきたのですが、もしあのときに原子爆弾が出なかったら、日本はなかなか降伏しませんから、結局日本の主な都市は全部やられます。ところが、ただ広島、長崎の二つを犠牲にしただけで、あれで止めることができたのですから、「原爆日本を救う」というわけです。あと復興するにしても、あれ以上もっと壊されて、それとともに人間が何十何百万死ぬか分からないですから、そうなってからの復興ではたいへんなのですから、あの程度で止めてくれたということは、日本を救った第一の功労者は原子爆弾です。あの当時は、とんでもない恐ろしい物を持ってきやがったと言って憤慨もし、いろいろ愚痴もこぼしましたが、それを大局から考えてみると、いま言ったとおりですから、いまの水素爆弾が将来どんなに大きな働きをするか分からないです。なにしろ神様は、もう時期が近寄ってきたので、予想外のことをやります。だから救世教信者ならだいたい分かるが、そうでない人だったらテンデ分かるはずがないです。

「『御教え集』三十三号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p326」 昭和29年04月07日