それで最近さかんに水素爆弾とか、今度は窒素爆弾というすこぶる恐ろしいのが出てきましたが、これはいよいよこれから世界の切り替えについて、神様のほうで深い考えがあるのです。あれはみんな神様が作ったのです。よくみんな悪魔が作ったように言ったり思ったりしてますが、悪魔にはそんな力はないので、神様が作ったのです。つまり悪魔に作らせたのですが、その悪魔が本当に世の中を浄める働きをするのだから、形は悪魔でも、根本はやはり正義、善なのです。ただ、人間の判断はごく薄ッペラな判断だからそう思うのです。人間の解釈というのは深い所が分からないのだから、救世教信者たるものはその点をずっと深い根本へ気がつかなければいけないのです。それで、原子爆弾が日本にとってはたいへんな結構な発見なのです。原子爆弾に大いに感謝しなければならないのです。というのは、もし原子爆弾がないとすると、あの戦争というものはもっと続いたわけです。なにしろあのとおり、日本人の戦争に対する執着が強いのですから……。有名な話ですが、あのときの阿南<あなみ>陸相が天皇陛下に呼ばれて、「お前、この戦争は勝つ見込みがあるか」と言われて、「見込みがありません」「それでは止<よ>したらよいではないか」と言われて、「止すわけにはゆきません」と答えたのですが、それがあの当時の軍人の心裏<しんり>でしょう。勝つ見込みがなければ止せばよいのですが、「止せません」というのですから、実に、アチャコの言う「むちゃくちゃでござりまするわ」です。それですから、終戦が分かった夜中に腹を切って死んでしまったのですが、それはまったく陛下に対してあまりに申し訳なくて、生きてはいられないからでしょう。そういうわけですから、もし原子爆弾で広島、長崎をやらなかったら、日本の各都市ほとんどが壊され焼かれてしまって、日本に都市というものはなくなってしまったかもしれません。それが原子爆弾のために食い止められたのですから、日本人は原子爆弾に大いに感謝しなければならないのです。たいへんなものです。またそのために人間の死ぬのがたいへんです。ですから原子爆弾のために広島、長崎だけは、はなはだ気の毒ですが、そのために日本人の何百万の生命を救ったかも分かりません。それで日本人は原子爆弾を忘れられないほど怨んでますが、もういっそう考えれば怨むどころではないので、大いに感謝してもよいのです。そういうようなことがたくさんあります。
「『御教え集』三十三号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p315~316」 昭和29年04月05日