昭和二十九年四月一日御講話(18)

〔 質問者 〕墓につきまして、個人名前の墓がいくつかあり、先祖代々の墓がありませんが、

【 明主様 】個人名前というのは戒名ではないのですか。

 
〔 質問者 〕個人に作った墓で、特に良かった時代に立派なのを作ってあります場合に、それを先祖代々のに替えることは……石をけずりまして、

【 明主様 】それはよいです。早くやったほうがよいです。それは非常に間違ってます。自分たちばかり救われて、先祖はないがしろにしているということは、たいへん間違ってます。先祖だけは個人のよりか大きい墓でなければいけないのです。さもなければ真ん中を先祖代々にして、そこに個人を並べて、それでもよいです。

 
〔 質問者 〕そういう場合に、小さい雑なのがありますが、整理してよろしいものでしょうか。

【 明主様 】やり直してよいです。

 
〔 質問者 〕整理して祖先の中に入れましてよろしいでしょうか。

【 明主様 】古い、少なくとも一〇〇年ぐらいたったものは先祖に入れてよいですが、そうでないのは、そうしてはいけないです。それから子供の墓はずっと小さくてよいです。それで大人のほうは石に切りつければよいです。その順序を間違えないようにしなければならないです。

 
〔 質問者 〕ふつうの家では、先祖代々のがあり、あと墓石は別に作りませんが、

【 明主様 】それでよいです。それも墓地の狭い広いで判断するのです。もし広いとすれば新しい仏は祀ってやらなければならないです。それも臨機応変に常識で考えていって、ちょうどよいというやり方でやるわけです。お寺参りに行くときには、御先祖は挨拶に出てくるのですから、そのときにあんまり墓がひどかったり、もっとできるにかかわらず人間の怠慢でしないと、御先祖はおもしろくないから、「こいつはびどい奴だ、ときどき灸をすえてやれ」というので、御先祖が災難を与えたり、病気にさせたり、そういうことがあります。ですから思いもつかない、お寺参りに行った帰りに電車が衝突したりということがあるのです。だからこれはやっぱり人間界と同じで、できる身分でやらないということや、またその人の境遇やいろいろに合わないということは、御先祖としてもおもしろくないのです。また御先祖の中にも、怒リッポイのとそうでないのがありますが、怒リッポイのはお気づけとかそういうことがあります。

「『御垂示録』三十号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p88~90」 昭和29年04月01日