春の大祭も、来年は新しくできる会館でやることになりますが、会館は前にも話したとおり、今年の秋の予定だったのですが、神様のほうではどうも、春でなければいけないというお知らせがあったので、落成式は来年の三月三日ということに決まりました。第一に数字上の関係があるのです。今年の二九年というのは、どうも数字が一番悪いようです。それで、ミロクということは、いままでは五六七で、火水土がミロクの基本的条件と言いますか、根本的の意味だったのです。火水土ということは、世界をミロクの世にするということの、あまり直接的ではなかったのです。そこでこれからは三六九という数字になるのです。そうすると、これは直接世界の経綸という数字になるのです。というのは、あらゆるものが三六九になってゆくのです。いまにそういうことは書きます。つまり世界の新しい文明がそういう組織になるわけです。そういう意味で、熱海の経綸、地上天国というものは、世界の現界の経綸の雛型になるわけだから、開館式もそういう意味になるわけです。
それから最近霊界が非常に変わってきたのです。つまり霊界におけるいままでの神様や仏様、そういう霊たちが、だんだん救世教のことが分かってきて、みんな、お手伝いしたいということと、それにはできるだけ自分が浄まらなければならないというわけです。神様仏様というと浄いお方のように思われますが、なかなかそうではないのです。神様や仏様がたくさん罪を作りもし、犯してもきたのです。けれども、ただ人間と違うのは、ああいう方たちは意識が悪ではないのです。根本、動機は悪ではないので、善です。しかし本当のことが分からなかったために誤ったのです。善いと思っていたことが善くなかったということが、神様仏様の罪なのです。だからその罪をお詫びして、救世教のために大いに働きたいという気持ちにだんだんなってきて、それで霊界においてはそういう働きが非常にさかんになってきたのです。それで現界においていま活動している人たち、アイゼンハウアーとかマレンコフとかネールとか、そういう人たちの霊も霊界でいろいろ動きましたが、それは生霊です。それで私の生霊も大いに活動したわけです。それで私の生霊というのは、私の代理をやる神様がいろいろあるのです。それでその神様がやられたわけです。そういう記録が出たのです。これは今度の地上天国にもそうとう出しますが、その中で特に深い意味と興味と両方あるようなところを選<よ>って、いま読ませます。
(「御報告」朗読)
こういうような具合で、これからそういう霊たちが大いに働き出しますから、よほどおもしろくなってきたわけです。それについて一昨日、ある信者の若い妻君で、去年精神病的なようになって、私が治してやったのです。それでときどき浄霊してやっているのですが、一昨日来たときにキリストが憑っていたのです。いままで磔<はりつけ>になっていて、それを治す神様がなかったのです。それでそうとう長く苦しんでいたのです。いくらかずつは良くなっていたが、なかなかすっかりは良くならないのです。ところが私がときどき浄霊するためにすっかり治ったのです。それで、非常に嬉しいということと、キリストが言うには「懐かしい天の父にお目にかかれた」というようなことを言って、ポロポロ涙をこぼして嬉し泣きに泣くので、口がきけなくなって、泣き止むのを待っていたぐらいです。そういうような具合で、いまの神懸りとチャンと合っているわけです。そういう時期が来たわけです。私が前に歌で「神や仏を救わなければならない」ということを始終言いましたが、そういった救われる時期がいよいよ来たのです。やはり神様仏様が元ですから、神様仏様が救われなければ、人間は救われないのです。つまりいままでの神様や仏様というのは本当のことを知らなかったために、間違った教えや事を説いたわけです。バイブルにしろ経文にしろ、ずいぶん間違った所があるのです。そのためにいくら研究しても本当のことが分からないからして、覚りを開けなかったわけです。またそのために、人間が本当のことを知らなかったのです。つまり文明というものが間違って、それで人間が苦しみ抜いてきたわけです。例えば医学にしろ、ぜんぜん間違ったことをやっていたということなど、そのために人間が病気で苦しんだり、早死にしたりするということなども、元は本当のことが分からなかったためです。ということは、本当のことが分かってはいけなかった主神<すしん>の経綸なのですから、それでよかったわけです。それをもう本当に分からせて、本当の文明を作らなければならないという時期が来たということも、やはり主神の経綸なのですから、やはりそれでよかったのです。これからの人類、人間は、本当の幸福というものを得られるわけです。その役目が救世教です。ですから「来たるべきものが来た」というわけです。いままでの間違った世の中が続いてはいけない経綸からそうなったのです。だからそれがどうこうということは人間には分からないのです。いまちょうど、いつも言うとおり、夜の世界が昼間になる、その分かれ目なのですから、実に重大な時期であるとともに、その役目に選ばれたる救世教の人たちは、まずたいへんな仕合せなわけです。人類始まって以来ない幸福と言ってもよいわけです。そういうようなわけで、著しい霊界の変わり方が最近非常にはっきりしてきたわけです。
そのことについて、よく分かることは、最近美術品のすばらしい物が安く入ってくるのです。とうてい手に入らないような物がパッパッと入ってくるのです。それはどういうわけかというと、霊界において、いろいろな名人とか、あるいはそれを集めた大名とか、権力者という人たちがだんだん分かるにつれて、救世教にそういう良い物を納めたいというわけで、大いに活動しているわけです。これは実に気の毒な話ですが、仮にこういう物ならこれを、私が欲しいと思い、美術館になくてはならないと思うが、なかなかそれを手放さないのです。そうすると手放さなければならないように、財政を苦しくしたり、売らなければならないようにさせるのです。それはその人の祖先がそういう美術品を珍重していたとか、こしらえたとかという意味で、私に売らせようとして活動します。そこで金に困るようにするのが一番ですから、金に困らせるのです。しかしそのために金に困って売ると、そこの家は本当の良いことをすることになるから、それからはそこの家は本当に仕合せになるということになるからして、困るというのは一時的のものです。そういうことが近来非常に著しくなってきたのです。近ごろ買う物は、道具屋より安く買えるのです。道具屋が驚いて、それなら自分も買いたいというのがたくさんあるのです。それは事情がそういうふうになるのでしょうがないです。そういうわけで、今度できる熱海の美術館も、天下に得られないような品物がそうとう出ると思ってます。この間も光悦のある物が手に入ったのですが、そうすると「あれは絶対に売らないことになっているから、そんなはずはない」「しかし入ったからしかたがないではないか」と言ったのですが、その人も長い間欲しいと思ったが、どうしても売らないということになっていたのだそうです。だから「不思議だ、不思議だ」と言ってました。そういうことがよくあるのです。そういうわけですから、無論この美術館は世界的のすばらしいものになります。東京からも、見たがる人が非常にありますから、神様は便利なように、これから熱海、小田原間の道路は改正になります。拡げて、いままで熱海、小田原間は一時間半かかりましたが、半分ぐらいでよいことになりましょう。そうすると東京から一時間半ないし二時間で来れますから、美術館だけを見に、日帰りで来られます。それでその道路が美術館に行くようなことになってきて、私のほうでもだいぶ手伝いますが、神様のやることですから寸分隙がないです。時期に応じてチャンとそういう具合にやってゆくのです。それで駅からも、もっと広い道路になってバスが自由に行けるようになります。そういうようで、熱海の地上天国ができるとなると、それを見物するために来る人がたいへんなものだろうと思います。
それから、あなた方は見られたでしょうが、会館はやっと外郭ができたのです。ああいう建築は外側が非常に難しいのです。初めてああいう様式をやるについて、あれだけ高い大きなものですから、見本をこしらえるということは、なかなかできないのです。小さい物しかできないです。そこで私は、横の寸法と縦と、それから柱形、柱の太さ、柱の厚さ、そういうことが全体的によく調和したもの、それから、なにしろコルビュジェ式というのは、世界でも実用的の建築ばかりです。無論宗教的のものなどはなかったのです。そこであの式を宗教的にというと荘厳味ですが、荘厳な感じを受けるような、そういうものにしようと思ったところが、できたのを見ると私の思うとおりにできたのです。それで私も非常に満足しているのです。ですから建築界の話題にもなると思ってます。私は世界的の『国際建築』という雑誌を前からとってますが、外国の新しい建築は写真で紹介してます。無論会館のような、ああいう様式というのはぜんぜんないです。いままでできた様式とはぜんぜん離れている様式ですから、いずれ世界に知れたら、世界の建築界での問題となるだろうと思ってます。それで、外の前のほうの柱形の様式から横のほうに白い壁で大きくとりましたが、あれはふつうならどうしても窓をつけなければならないものです。私は窓なしの広い場面を白の無地にしてしまったのです。ああいう大胆さも、いままではあまりなかったわけです。しかし近代はずいぶん大胆な建築はありますが、それとは少し意味が違うのです。それから、足場は今月いっぱいにすっかり取れるそうですから、取れたら、周囲に木を植えたり、下は砂利を敷いたり芝生を植えたりして、全体を調和するようにします。それから展望台から行こうとする、曲がった所に、チャボヒバという木を二本植えてありますが、あれは見本に取り寄せたのです。あれが会館のまわりにずっと植わることになってます。それで段々からずっと向こうに道がつき、そのまわりが芝になって、その周囲に丁字<ちょうじ>を丸くしたものを植えます。そういうのがすっかりできあがると、それこそ「なるほど」と思うような景観ができます。それから美術館のほうも、いま、行く道路を拡げました。非常に大きな道路ができて、あそこがこれからまだ非常に変わるのです。これはいまチョット想像もつかないほど変わります。そこの美術館の設計も、会館とはまるっきり違った様式にするつもりです。これはなおさら世界にないと思ってます。建築の色から様式から、それは西洋と支那と日本の三つを調和させたようなデザインです。ですから今後大いに楽しみにしてよいと思います。だいたい美術館は来年の秋あたりまでに造るつもりです。もし遅れればその翌年の春になります。それに陳列する物も、持品と、他から借りる物もそうとうあります。そのほうは神様のほうでチャンと手をまわしてありますから、できたら、とにかくたいへんなものができます。だからアメリカの『トリビューン』の記者などは非常に待っていて、できたら一番先にアメリカに紹介すると言ってウズウズしてます。それから、いずれアメリカのロックフェラーなども来ることになってますが、無論アメリカにもこういう物をこしらえてもらいたいということを言うに決まってますから、そうしたら、私が設計してアメリカにこしらえてやろうと思ってます。金は余っているから、ウンと金をかけてやります。アメリカの各都市に地上天国の模型というものをこしらえてやろうと思ってます。そうすると、それを見たヨーロッパのほうでも負けずになって、イギリスでもドイツでもイタリアでも、こしらえてもらいたいと来ますから、それだけでも救世教というのは世界的になります。そういったお手並を見せておいて、そうして医学とかいろいろな間違い、文化的の間違いを指示すると、非常に楽にゆくわけです。つまり腕前を見せておいてやるわけです。日本でもそうですが、いまの世の中は、理屈でも、理屈でなくてそうとうなことをしても、分かるのになかなか骨が折れて簡単には分からないのです。そこでああいったような地上天国という、物で見せるのが、一番早いです。日本も地上天国でまず度肝を抜いて、大いに感心させて、そうしてそれからやってゆくわけです。もっとも自然農法はそれほどでなくて、もうじき分かりますが、一番難しいのは医学です。それもだんだん、そういうものから分かるようになるわけです。
来月の二日に発会式がある由ですが、農林省の役人の中で十数人の人が「自然農法研究会」という会を作ったのです。これは一番よいと思います。なにしろ農林省の役人がそれほどに認める、しかも十数人の人が認めたということは、「これはたしかに立派なものだ、信用おける」ということになりますから、これからの農民に分からせるうえにおいてたいへんな力になると思います。その「趣意書」を読んでみると、なかなかよくできてますから、読ませてみます。
(御論文「自然農法の一大朗報」「農林省自然農法研究会趣意書」朗読)〔「著述篇」補巻三、七四五ー七四七頁〕
いま読んだようなわけで、非常に結構な企てだと思っています。
それから、さっきの霊の話で言い忘れたことがあります。キリストが憑った婦人がこの間中、キリストの磔の像、そういうのが部屋の所々にときどき見えるのだそうです。ですからはっきりしているわけです。その前にヨハネが漁ったのです。いずれヨハネのことも聞くつもりですが、一昨日のことですから私も急いでいたので、ただヨハネということだけを聞いたので、それ以上は聞かなかったのです。ヨハネとキリストとは切っても切れない関係で、『旧約聖書』はヨハネが言ったことで、『新約』のほうがキリストです。それでヨハネはキリストが現われるという一つの予言が一番の中心です。このことなども別にたいして詳しく知る必要はないが、いずれ知れたら『地上天国』に出します。そういうようなわけで、ヨハネとキリストが本当に霊界で働き出したら、外国のほうが分かりだすのが早いです。神様は抜け目なくやっているわけです。
それから世界紅卍字会<こうまんじかい>というのが、近ごろ私のほうでも関係して、月に一回ずつ集まりがあります。紅卍字会の主宰者の神様は至聖先天老祖<しせいせんてんろうそ>という神様ですが、この神様は、いつかも話したとおり、扶<フーチ>といって不思議なことをやって字を書くのですが、そのときに文字を書かせるのは老祖さんの指図によって、キリスト、釈迦、孔子です(そういった七人か八人かですが)それを指図して書かせるのです。扶は私は一度見たことがあります。そういうわけで、つまり私がこれから至聖先天老祖の役をするわけです。ですからその指図で働く神様たちが、さっき読んだとおり現われて、さっき読んだとおりのことをしゃべったわけです。これは支那を救うためのごく基本になるわけです。西洋はキリスト、マホメットがこれから骨を折って、東洋はいま言ったような釈迦、マホメット、孔子というような霊が働くということに、これからなるわけです。そのために今度憑って、それで憑った人は娘さんが二人です。それですからそういうことにぜんぜん無関心で、知らない人がかかるのですから、かえってよいです。そういうことを知っているような人だと、やっぱりその人の腹で作ったように思われますが、神様は如才<じょさい>なく、そういうことをぜんぜん知らない人を選んでやるわけです。
(御講話おわり)