最近霊界がよほど変わってきたのです。変わったということは、いろいろな霊が、だんだん昼間になってきたため、いろいろなことが分かってきた。それで、大いに救われたいというわけで、あわてだしたのです。あっちこっちに神懸り的のことがだいぶ始まってきたのです。それはみんな別に悪い意味でなくて、良い意味のものです。つまらない狐のいたずらとか、そういうことでなくて、まじめな、本当の神懸りなのです。この人は一人ではないので、二、三人ぐらい、若い娘さんにいろんな霊が憑っており、現界の人では、マレンコフ、モロトフ、アイゼンハウアー、毛沢東、ネールなどが憑ってきたのです。これは今度の『地上天国』五八号に出しますが、その中でごく最近、霊界のだいぶ偉い連中が憑ってきて、その興味ある所を選<よ>って、それをいま読ませます。
(「御報告」朗読)
いまの中山みきさんは、その当時話したと思いますが、私が留置所にいるときに、いろんな教祖を呼んで話したことがありますが、そのときやっぱり中山みきさんの霊を呼んでいろいろ話したのです。そのことなのです。それから「明主」とありますが、これは私の代理なのです。つまり私の身代わりです。それがある場合にはこういうことをされるわけです。
これについて、昨日非常におもしろいことがあったのです。それはある若い女ですが、去年少し頭がおかしくなった若い妻君ですが、私が治してやったのです。それでまだ少し頸のまわりに毒が残っているので、ときどきやってやったのです。昨日やってやりますと、いろいろ不思議なことがあるので話を聞き始めたのですが、ポロポロ涙をこぼして、後から後から出てくるので、口がきけなくなり、それで少し待って聞いてみると、キリストなのです。やっぱり、磔<はりつけ>になって長い間それが治らなかったのです。少しずつはよくなってきたようですが、すっかりは良くならなかったのです。私が浄霊してやるのですっかり治ったのです。非常に嬉しいと言うのです。それで「天の父にお目にかかれて、こんな嬉しいことはない」というようなことを言ってずいぶんありがたがっていました。その他二、三話がありましたが、たいしたことはありません。ただヨハネですが、聞いてみると、この間中からヨハネはときどき憑るのです。それでやっぱりヨハネは救われたというので、私に礼を言ってくれということを言っていたそうです。そのうちに、キリストが磔になった、あの霊が見えてきたのです。ときどき部屋のほうぼうに見えるのだそうです。そうこうしているうちに、キリストが、いま言ったようなわけなのです。さっき読んだのといま話したのとはぜんぜん違う婦人です。だからぜんぜん連絡はないわけです。そういうようなわけで、霊界におけるいろいろな偉い人たちというか、神たちというか、いよいよこれから活動するわけです。いま読んだようなわけで、総掛かりでやるわけだから、本当の線に発展して行くわけです。つまり時節が来たわけです。この前には現界のいろんな偉い人が憑りましたが、特に変わっていることは、スターリンは憑らないのです。それで、スターリンは救われないというのです。つまり地獄の下、根底の国に六千年若しむのだそうです。これは霊界の最高の罪がそうなってます。現界で言うと無期徒刑です。それで六千年後に滅びると言いますか、その先ほ必ずしも復活するということではないらしいのです。マレンコフは、神様はいよいよ活動されるということがだいたい分かって、つまり改心したわけです。ああいう人が改心すると、力がありますから、将来良い働きをするわけです。そういうようなことが出ました。勿論しかしマレンコフとか部下の者が良い働きをするようになると、それだけスターリンも救われるわけですから……。またそこまでゆけば、どんな霊でも改心しますから、結局罪一等を減ずというような具合で、だんだんに救われてゆくわけです。これは現界におけるそれと同じようなものです。それでいま霊界では救われたがって、いろんな霊にだんだん分かってくるのです。その現われとして、近ごろになってから容易に得られないような美術品が来るのです。しかもとても値段が安いのです。道具屋がびっくりしているのです。とにかくチョッと不思議なくらいです。それはどういうわけかというと、前にも話したが、名人とか、あるいはそれを持っていた大名という人たちが、一品でも救世教に入れるという、それによって自分たちが救われますから、たとえてみれば、一品が救世教の美術館に出るようになると、その手柄によって霊界において位が上がるのです。位が上がるというと救われたようですが、中には地獄に落ちているのもあるし、八衢<やちまた>にグズグズしているのもあるし、そういうのが一段も二段も上がるのです。ですからそういう手柄を立てたいと思って一生懸命なのです。私のほうでは坐っていて、とても得られないような品物が不思議に来るのです。一昨日は、御舟<ぎょしゅう>の、展覧会の全部の品物にもないような物がパッと来たのです。これは青森県の人がよほど前に手に入れていたとみえて、いま非常に高くなったということをあまり知らないとみえて、金が急にいるというので半分値以下で売りに来たのです。これらもとにかく御舟としては、私はこれ以上の物は見たことがないです。この間の松坂屋の展覧会でも、一〇〇点以上ありましたが、その中にもないほどの良い物です。これもまったく霊界で御舟が一生懸命に運んだわけです。そういうようなことがときどきあるのです。ですからいまに熱海の美術館ができるとびっくりするわけです。絶対に売らないと言っていばっていたようなものが、ヒョロヒョロと入ってくるのです。ですから非常に楽に入るわけです。従って、無論美術館などは、とにかく世界中の話題に上るわけです。いつも話をするアメリカの人たちも、美術館に非常に期待しているわけです。将来なかなか大きな計画をしているらしいです。つまり私のほうを中心として、文化的のユネスコみたいなものを作ろうということを考えているらしいのです。無論そうなるわけです。
二、三日前に私はメシヤ会館を見に行きました。そうとうまわりがぬれたが、足場がまだ取れないのです。しかしだいたいは分かります。足場も今月いっぱいぐらいには取れるわけです。それで私が一番関心を持っていたのは外郭です。ああいう建築というのは、内部はだれがやってもよいのですが、外部が一番難しいのです。横の幅、高さ、縦と横、それが調和してなければいけないのです。それから縦の棒、柱形であります。その太さ、それから出っ張り、そういう点が全体的にマッチして、欠点のないようにするということが、ああいう大きい建築の一番の焦点です。見ますと、私の思うとおり少しも欠点がないのです。まあ大いに満足したわけです。というのは、大きいですから小さいモデルなどでは本当には分からないのです。そうかといって、モデルを実物大に建てるというわけにはゆきませんから、だいたいのカンでゆくよりしようがないです。しかし非常に良くできたと言いますか、良いと思います。あれに足場が取れて、下から周囲に木を植えるとか、芝を植えるとかすると、一個の建築芸術で、芸術品ができるわけです。これはおそらく世界にないでしょう。私は外国の建築の雑誌をとってます。立派な建築はみんな写真でそこに紹介されますが、今度のメシヤ会館ぐらいの建築はまだ見ません。いま流行のコルビュジェ式といっても、みんな実用建築です。勿論宗教的のような物はないです。今度のメシヤ会館は、ごく近代建築に宗教的の感覚を表現したというところに価値があるのです。昔の宗教建築というと、いろんな彫刻をおいたり、屋根をそらせたり、細かい所に絵画的や彫刻的のものをあしらって、いろいろして荘厳味を出したわけです。ところがメシヤ会館は単純きわまるもので、曲線を使わないで、全部直線です。ただ色とか形で荘厳味を出したわけです。ですからできあがったら建築上からの世界的問題になると思ってます。それで横から後ろのほうにかけてぜんぜん窓なしの無地にしたわけですが、これもたいへんな意味があるのです。前から少し横のほうにだけ縦の線で、白と鼠で調和させて、そうして横のほうは非常に広い場面を白色の無地にするということは、一つの建築美から言って、なんと言いますか、新しい一つの、全体調和を破っているようで調和するというところを狙ったわけのものです。ふつうならどうしてもあそこに窓をつけたいところなのです。それで、わざと窓をつけないところにおもしろいところがあるのです。あれはたいていな人は窓をつければよいなと、思うだろうし、言うだろうと思いますが、そういうわけです。それで段々の橋のような手摺や、あの感覚、それからチョット曲線で道をつけるわけですが、そうしてその道のまわりは芝生にするわけです。いろいろなことはいま話しても分かりませんが、できあがれば分かります。
それからもう一つ言わなければならないことは、だいたい一一月出来<しゅったい>で開館式をやるつもりだったのですが、どうも神様のほうではそれはいけないのです。それでまた延びました。来年の三月三日が開館式です。つまり三〇年三月三日で、ミロクです。それで今年の二九年では数字が悪いのです。とにかくミロクというのは数字です。それでいままでのミロクは五六七と書きましたが、これからは三六九になるのです。それで五六七は日月地です。つまり基本的の数字ですが、今度は現界の経綸になると三六九になるのです。あらゆるものが三六九が基本になるわけです。それで熱海の経営というものが、つまり現界のサンプル、模型になるわけです。だから会館もそういう意味になるわけです。勿論展望台も一緒にできます。それから美術館ということになりますが、美術館の建築の設計はもうできてます……と言っても、私の頭の中にです。これはメシヤ会館とはまるっきり違います。勿論箱根の美術館とも違います。これは荘厳というよりか、芸術的の一種独特のものができるわけです。これもアッと言うようなものができるわけです。美術館は来年の秋までに造るはずです。これは大いに楽しみにしてよいと思います。それでそこに出る品物もだいたい見当はついていますが、いくらかは入っています。たいてい見当つけると、なんとかして手に入るようになるのです。ですから「アレ」と狙うと、やっぱり入ってくるのです。そういうわけで、できたら、これこそ世界をアッと言わせられます。
それから、自然栽培について、農林省の役人で会を作ったのです。委員はなんでも八人だそうですが、農林省の役人だからおもしろいのです。本元ですから……。これは上の人ではないそうですが、そう下でもないでしょう。中堅どころという人たちです。もっとも上の人が分かっても、おいそれとはやらないわけです。やはり一つの権威もあるし、特に日本はそうです。面目とか権威というようなものがあるから、おいそれとはゆかないのです。やっぱり全国的に農村が動いてきて、それから農林省の中堅どころが動くというように、いろんな条件が合ってきて、新聞も書かなければならないでしょう。それからいよいよ法規をこしらえるとか議会に出すとか、ということでだんだん実現して行くのですが、それまではなかなか紆余曲折、いろいろなことがありましょう。これもその一つですが、これはもっとも本元、急所ですから、大いに喜ぶべきことと思ってます。「趣意書」を見ましたが、なかなかよくできてます。いま読ませます。
(御論文「自然農法の一大朗報」「農林省自然農法研究会趣意書」朗読)〔「著述篇」補巻三、七四五ー七四七頁〕
いま読んだような具合ですから、非常によいと思います。それとともに農林省の役人がこういう会を作ったというそのことが、自然農法の宣伝のうえに非常な力と言いますか、一つの信頼感がわくわけです。今後各地方で宣伝するうえにおいても、その土地の農事試験場とか、あるいはそういった役目の人たちも大いに信用してかかるという、その効果は大きいと思います。無論神様がそういうふうにしているのです。この間、各地の神様が、さっきのような具合に憑ってきて、自分は自然農法のことについて、これから大いに活動するということがありました。ですから神様も自然農法で活動されているわけです。なにしろこれからは神様が総掛かりで救世教の仕事をやるのですから、思わざる所や、思わざることがドンドン出てきて、すばらしい発展の段階にゆくわけです。つまり新年早々話したとおり、今年からいよいよ表面的になるのですから、大いに張り合いがあるわけです。だんだん「わが世」が近づきつつあるわけです。
(御講話おわり)