昭和二十九年三月十五日御講話(1)

 今朝の新聞にデカデカと出てましたが、二重橋事件で目が見えなくなったY・Kという一一になる子供に関し、写真なども出して、たいへんな医学の功名のように報じてますが、あれはなんでもないのです。どうも医学だと屁みたいなことでもたいへんなことのようにありがたがるし、こっちのほうのどんなすばらしいことでも、テンで見向きもしないという馬鹿馬鹿しい世の中です。あれは、頭を打ったので内出血して、出血が目の裏に固まったものです。ですからウッチャラかしておくと、一、二年たつと膿になり目脂<めやに>になって出てしまうのです。浄霊ならわけはないです。医学ではそれができないから、脳に穴をあけて血の固まりを取り出したというのだから、別にたいした理由はないので、簡単なものです。清水健太郎という博士で、そのほうの権威としてあるのですが、これは最初やったのはポルトガルのモーニスという教授です。それが最初脳に穴をあけて、そういう手術をしたのですが、それを日本でまねをしたわけです。つまりいまの文明……(だいたい科学ですが)というものは、ごく幼稚なものなのです。科学といっても、ちょうど台所道具を作るようなものです。それでこっちの浄霊というのはお座敷のほうのを作っているわけです。台所道具に慣れた目にはお座敷の立派な物が分からないというわけです。それについて書いてみました。

 (御論文「私は宗教科学者だ」朗読)〔「著述篇」第一二巻二五八ー二六二頁〕

 いまのは学校の勉強時間のような話ですが、これが本当に分かればなんでもないのです。逆のほうの教育を受けたために非常に分かりにくくなっているわけです。つまり救世教というものは高度の科学を教えるわけです。だから宗教ではないと言うのはそういうわけです。宗教というものは全体から言うと大きなものではないので、限られているものです。だからある範囲内のものです。というのは、精神的教えによって精神的に分かる……分かるというものは因果律です。善因善果、悪因悪果という因果律を教えて、魂を善に向かわせるというわけです。精神的のものですから、高さはありますが広さはないのです。そこで広さにおいては科学にはとてもかなわないのです。その代わり科学には高さはないです。やっぱり台所道具ですから、床の間の置物などはできないのです。そこで広さの科学をもっと上のほうに上げて、高さの科学という科学を作らなければならないという、それが救世教なのです。だからいままで台所道具の目に慣れた人間にはチョッと分かりにくいのですが、これは美術にも当てはまるのです。いま大騒ぎをやっている油絵というのは、いつかも書いたとおり、家具のほうです。それを日本人は一生懸命にまねてますが、それは実に滑稽なのです。これは実用品なのです。ところが日本の芸術というのは非常に高いのです。そのために私は美術館を造ったのです。かえって外国の人のほうが分かっているのです。日本の芸術というものは、とにかくたいへんなものだと、外国人も分かりつつあるわけです。本当にはまだ分かってないのですが……。一番分かってないのは日本人です。手前の側にあっていて一番見えないのです。

 今日の午後アメリカの人が、グリリという人の案内で来るのですが、その人は日本画の研究家です。日本の明治以来の絵を研究しているのです。明治以来の絵では栖鳳<せいほう>が一番良いというのです。ですから栖鳳の研究家です。日本人で栖鳳の研究家というのはないのですが、外人に栖鳳の研究家というのができたのです。それで栖鳳の良い物を見せてもらいたいというので用意しました。ですから、とにかく日本人がボンヤリしている間に、向こうの人がドンドン日本の絵やそういうものを研究し始めているわけです。それで、明治以来の勝<すぐ>れた画家としては、たしかに栖鳳が第一人者です。ですから私は栖鳳が好きで、いままで新画としては一番蒐めました。掛物だけで三十何幅かあります。その中の傑出した物は五、六点です。

 とにかく日本人というものは美的には実に勝れたものです。私はよく仏像を見る場合に、支那の仏と日本の仏とは、こうも違うかと思うくらいです。これは支那の六朝<りくちょう>時代が一番さかんだったのですから、一五〇〇年ぐらい前です。それで支那でもその時代が一番良かったのです。その後の唐<とう>、明<みん>の時代になると落ちます。六朝は唐の少し前ですが、六朝の物が唐の時代になってから日本に入ってきたのですが、それが推古<すいこ>です。推古仏と言って、日本人の手にかかると俄然としてすばらしい物になったのです。推古から飛鳥、天平<てんぴょう>にかけてできた日本の仏はすばらしいものです。それは支那が師匠ですが、弟子のほうがテンデ上になったのです。それから絵画は宋元<そうげん>で、北宋、南宋、元ですが、やっぱり南宋時代に一番良い物ができたのです。これが日本に入ってきて、足利義満と義政が非常に好んで取り寄せて、俄然として日本の絵画ができたのです。その第一人者としては、雪舟などが一番偉かったです。そうして近代に来たが、結局宋元時代の絵をモデルとしてできたのです。それを破ったのが宗達<そうたつ>、光琳<こうりん>です。そういうようなわけで、とにかく支那では宋元、日本では琳派、それからいまではだいたい琳派を近代化したというのが美術院です。これで日本の絵画というものは明治以来に一番飛躍したのです。そこにいまは油絵が入り込んで来たのですが、これは邪道、横道に入ったわけです。これももう長いことはないので、もう一息と思います。というのは、いま日本でありがたがっているのはピカソ、マチスですが、ところがフランスではピカソ、マチスは非常にすたってきています。『朝日新聞』かに出てましたが、今度三〇代ぐらいの絵描きが俄然として出て、フランスの絵画界を風靡したのです。その絵描きの絵は、画くとすぐ売れてしまうのです。ですからフランス絵画界というのはそのほうに集中されてきたのです。その画き方は「ピカソ、マチスとできるだけ離れろ、できるだけ違ったものを画け」というのが方針だそうです。だから写生の新しいもののほうになってきたのです。非常に良い傾向です。マチスはそうでもないが、ピカソはたいへんな間違ったものですから早く撲滅しなければならないです。ところがいまのフランスの若い画家が叩<たた>き始めて成功したわけです。そこで日本人もここで目が覚めて、そのほうにまねを始めるだろうと思ってますが、このほうのまねは、良いほうのまねだから結構です。そういうわけで、日本人の美術に対する偉さというのは、いまの美術家というのはぜんぜん忘れ去っているのです。お座敷の道具を作るのが台所道具を作るのを一生懸命にまねしているわけです。床の間に手桶やなにかを上げるようなものですから、これは早く叩かなければならないと思っているのです。

 私は最近御舟<ぎょしゅう>の絵を注目し始めたのです。私はこれはそれほどとは思っていなかったのですが、最近松坂屋で御舟の展覧会があって、それで分かったのです。というのは、いままであった御舟は偽物だったのです。ですから、ちょっとは変わった所があるが、それほどでもないと思っていたのですが、二、三カ月前に道具屋が持ってきたのを見て「これはたいへんだ」というわけです。これは宋元画に負けないです。今度松坂屋の展覧会に行ってみて、御舟の偉さがよく分かったのです。そうして、御舟の絵をよく見ると、いままでの世界の絵画では一番です。だいたい最初宋時代の黄筌<おうせん>という……一昨年の美術館に花鳥の巻物を出しましたが、今年も出します……これが御舟の最初です。それから光琳とか油絵とかを取り入れてあったが、とにかく大天才です。今度箱根の美術館にも三点出しますが、これはすばらしいものです。この中で特に桜の絵がありますが、これはよく見ると、実に人間業とは思えないくらい良く画いてます。この画き方というのは、徽宗<きそう>皇帝と銭舜挙<せんしゅんきょ>をもういっそううまくしたものです。それにつけても、日本人のそういった美術の才能というのは実にたいしたものです。今度の箱根美術館の明治以来の名人の近代名品展というのがありますが、いまの御舟の絵なら宋元物より勝れてますから、世界一です。それからこの間芸術院の会員になった板谷波山<いたやはざん>という陶芸家がいますが、この人がまた名人です。この人の青磁の花瓶を今度出しますが、支那の青磁よりも良くできてます。青磁というのは支那が一番のもので、一番できたのが唐時代です。私は青磁は支那のより以上のものはできないと思っていたのです。ところが波山のは支那のより良くできているのです。今度出しますが、実に驚いているのです。日本人のそういった美術の才能というのは実にたいしたものです。それを日本人に知らせるのが一番大事だと思います。それを美術家が知らないのです。だから西洋のまねをするのです。つまり台所のまねをするのだから始末が悪いです。いろんな名人の物も出ますが、とにかく明治以来の日本にこんな良い物ができたかと驚くだろうと思ってます。
 いまあんまり固いものを読んだので、今度は柔らかいものを読ませます。

 (御論文「感じの良い人」朗読)〔「著述篇」第一二巻二七三ー二七四頁〕

 それから来月の一日から三越で古九谷焼の展覧会があり、私のほうでもいくらか出します。それが一一日まであって、九日からがこっちの浮世絵展が始まることになってます。東京は三越で、大阪、福岡と次々に開く予定になってます。肉筆浮世絵展というのですから、肉筆ばかりなのです。これはいままでやったことはありません。いままでの浮世絵展というと版画です。それで浮世絵展というと版画のようになっているわけです。ところが今度は肉筆ですから、その点は非常に新しい企画です。というのは、肉筆はいままでみんなそうとう有力な人たち……金持ちとか華族……そういう所に蔵<しま>われていたために、あんまり世間に出なかったのです。それで第一、外人がそういう物を見る機会がないし、従って版画を日本から買っていって、それが評判になって、むしろ日本人はそれによって知らされて、版画の浮世絵を近ごろ大騒ぎをやるようになったのです。そういうようで、肉筆というのはみんな知らなかったのです。そこで私が目をつけたというわけです。なんとしても、版画というものはつまり印刷で、何枚もできるのですから、作者の魂が抜けているわけです。肉筆こそ本当に作者の魂が籠もってますから、まるっきり違います。そこで今度の肉筆を見ると、いままで見たこともないような物がたくさんありますから、びっくりするだろうと思います。「なるほど、浮世絵はやっぱり肉筆が良い」ということになるに違いないです。そこで大いに効果があると思います。

 とにかく最近になってよほど変わってきたのは、いままではデパートの展覧会というと、仏教に関係したお寺展覧会です。お寺が順々に出品するのですが、もうそれには飽きたです。またお寺の美術品ではおもしろくないです。お寺美術に感心したりいろいろするのは少ないです。私もずいぶん仏像を研究しましたが、時代とその作者、それに非常に「いわれ」があるのですが、それを見分けるにはそうとう研究しなければならないです。だからあれを一般の人に見せるというのは無理なのです。それからまた一度見れば二度と見たくないし、どこの寺でもたいした違いはないです。「何寺」「何寺」と言いますが、結局彫刻の対象と言えば、阿弥陀様、観音様、お釈迦様、あとは地蔵とか不動とか、そういうものです。ですからいずれすたると思っていたら、近ごろすたったとみえて、近ごろは美術館の展覧会です。この間松屋で大原美術館の展覧会がありました。油絵ですがずいぶん入ったそうです。そこで今度の松坂屋の御舟展覧会は、御舟の妻君の兄貴が、御舟の物をウンと持っているのです。吉田某という人ですが、その人の持つ品が大部分なので、あと他の人のは少しです。ですからこれは個人一手でやったわけです。これからは以前みたいに各金持ちとか、そういうものはできないわけです。そうするとやっぱり税金などの関係で、出すのを嫌がるのです。それからもう一つ厄介なのは、特別の良い物は近ごろ非常に人から尊ばれてきたのです。それで一級品というと個人ではなかなか出さないのです。それからまたいままでずいぶん良い物を持っていた人はみんな手放しました。一番は財産税のためです。これが払えないために昔から持っていた物をずいぶん手放したのです。それが私のほうの手に入った動機です。そういうために、そういった展覧会をやろうと思っても、むずかしいのです。それからまたデパートはそういう展覧会をやると、ばかに客が増えるのだそうです。二、三カ月前に白木屋で春信の展覧会をやりました。わずか二、三十枚の錦絵<にしきえ>の版画ですが、そういうようで、その味が忘れられないで、今度またやるそうです。歌麿とか豊国とか、五、六人の版画ですが、私のほうでも頼まれたのでやります……。歌麿を博物館に頼んだが出せないで、私のほうに補充してくれと言ってきたのでやります……。それが今年いっぱいとかで、非常に長くやるそうです。いろんな物を次々変えてゆくのでしょう。デパートがそういった美術品の展覧会をやるというのが、一つの流行のようになってきたようです。そうなると箱根美術館が一番です。私のほうは種類が多いですし、しかも品物はみんな一級品ですから、私のほうは、まず十回や十何回かの展覧会をやれるだけの種類があります。そのために箱根美術館の宣伝には大いになるわけです。だから将来は美術品と言えば救世教というようになるだろうと思います。アメリカの新聞記者は「箱根美術館」「熱海美術館」というようにしないで「救世教美術館」としたらよいだろうと言うのですが、しかしアメリカなら宗教を軽蔑しないからそれでよいでしょうが、日本では新宗教というと軽蔑するから、まずいからと断っているのです。そういうわけで、日本の新宗教というのは厄介な見方をされているわけです。救世教はそれを大いに消しているわけです。

「『御教え集』三十二号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p255~262」 昭和29年03月15日