昭和二十九年三月一日御講話(6)

〔 質問者 〕御浄霊により、先天性後天性にかかわらず、病気あるいは片端というものを、命があるうちに治すことができるものでございましょうか。

【 明主様 】できるのもあるし、できないのもあります。片端というのは、たいてい死ぬときの状態のまま生まれ変わってくるのです。これはなにかに書いてあったと思います。霊界において充分治らないうちに生まれ変わってくるのです。ということは、母親かなにかが、怪我したりいろいろして死んだ子供が惜しくて、早く生まれ変わるということを……知っている人はそう思うし、知らない人でも、もう一度子供がほしいとか、またはあの子に会いたいとか、いろいろな執着のために、霊界に長くいられないために早く生まれ変わってくるのです。だから、災難で落ちるとか、なにかにぶつかるとかして、それが死因になって、治りきらないうちに生まれ変わってくるというのがほとんどの片端の原因になるのです。それで、その死んだ片端の状態と、霊界に長くいなかったために、生まれ変わってきても片端が重いわけです。それで、重いのを治す場合に、親なら親の執着が早くとれるとか、あるいは善いことをして、その功績によって救われるとか、そういうことがチャンと合理的になっているわけです。それからこういうのが多いです。片端になって生まれて、それを医者にかかっていろんなことをしたために、どうしても助からなくなるということがよくあります。それもこれも、そこの家なり親なりのメグリが多いために、それ相応の恵みなり御守護なりがあるわけです。それが、プラスよりマイナスのほうが多いというときには助からないわけです。ですから、その理屈が分かれば、子供が片端とかいろんな場合には、親ができるだけ徳を積むということが、治る一番の原因です。

 それからまたこういうことがあります。どうしても助からない子供は、一生を不幸に終わり、子供が生きていると親も不幸だ、という場合には、神様は早く死なせます。そうすると親は悩みがとれるから非常に楽になります。それはたいへんな御神徳になるのです。この子供は治るか、さもなければ命がなくなるか、どっちかにしてもらわなければ、親がたまらないわけです。そういう場合に、医者が手術したり、いろんなことをしたために、どうしても助からないと、決まった子供は、早く霊界にやってくださるのです。そうすると、親が、決まりがつきますから……そういう御神徳もあります。ですから、治るか駄目か、どっちかという片づき方が早くなるわけです。

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「『御垂示録』二十九号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p43~44 説明:」 昭和29年03月01日