昭和二十九年三月一日御講話(18)

〔 質問者 〕『地上天国』五六号の記事の隠坊の話で「浄霊を受けた人は苦しまずに素直に焼ける、水商売でさんざ男を欺<だま>した女なんかが一番苦しむ……」ということがありましたが、どういうわけでございましょうか。

【 明主様 】それはその理屈です。つまり、よく焼けない、いろいろ手数がかかるということは曇りがあるからです。

 
〔 質問者 〕霊が完全に抜けてないという……霊が残っているという、

【 明主様 】霊が残っているということは少しの間です。それは、早く出るのと、遅く出るのとありますが、それは問題にはならないです。遅く出るといっても、ちょっと遅くなるぐらいなもので、いつまでもいやしないです。残るのは執着のためですが、焼く間際までくっついているのがあります。どうしても死にたくない、生きていたいという決死の覚悟でついてますが、しかしそれでも焼いてしまえば出てしまいます。しかし執着によっては、死骸のすぐ側にいることはあります。そういうのは死骸の処分やなにかの仕方によって、非常に怒ることがあります。一番執着をするのは、骨を葬らないでほうっておくと、非常に気にするものです。ですから、よくお寺などに預けておきますが、それはいけないので、早く処分しなければいけないのです。いくぶんでもそういう形が残っていると、それにくっついていることができるのです。だから焼いてしまうのは、それはないです。

 
〔 質問者 〕焼けるのが遅い、あるいは、はっきりしないというのは、不純なことをやったからというわけで、

【 明主様 】そうです。曇りが多いからです。曇りを焼くのに手間がかかるからです。花柳界などの者は曇りが多いですが、曇りが多いということは、罪をよけい犯したからです。罪を犯すというか、罪を作っているからです。

▽次節に続く▽

「『御垂示録』二十九号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p65~66」 昭和29年03月01日