昭和二十九年二月十五日御講話(1)

 よく聞かれることですが、「これから世界はどうなるのだ。戦争はあるものか、ないものか。つまり原子爆弾の戦争、これはなくてすむものか、どうしてもあるのか」ということを、ときどき聞かれるのです。それについてザッと話をします。一応は心得ていてよいと思います。これからの世界の動向を見るときに、一番の急所はソ連の考え方です。とにかくいま世界をアメリカがリードしているようですが、そうではないので、本当はソ連がリードしているのです。ソ連しだいで平和にもなり戦争にもなるのです。ソ連というのは世界のダダッ子です。これが暴れるかおとなしくなるかということで、世界中の人間が不安なわけです。では、いったいソ連の考えはどういう考えであるかということを、ザッとお話しします。勿論伝統的に世界制覇が国是のようになっている国です。これは前のロマノフ朝時代からそうなのです。その点は、共産主義になってからも変わりがないのです。ただ手段が違うわけです。これは説明の要はありませんが、だいたい共産主義というものは、マルクスが唱え始めた主義です。そこでそれをレーニンが具体化というか、実行に移したわけです。その根本は世界制覇であって、ただその手段が、ナポレオンとかヒトラーのような暴力でなくて、思想によって世界を制覇しようというわけです。そこでその背景としての軍備であって、どうしてもやむを得ないときには軍備を使うが、しかしそれは損だから、できるだけ思想を使うということになっているのです。その方法として学者と労働者ですが……これは共産党宣言にもありますが……。この学者と労働者をおどらしてやるというわけで、これは日本に一番現われてます。学者というのは学校の教授連です。特に大学の教授が中心になってます。だから学校の生徒を共産カブレと言って騒ぐのは滑稽なのです。生徒は先生しだいです。だから生徒をつるし上げたところでしかたがないのです。つまり学校の教授なのです。これについて一昨年でしたか、いまの木村保安庁長官が、長官にならない時分に箱根の美術館に来て、私は一時間ばかり会って話をしました。そのときに……あの人は共産主義がばかに嫌いなのです。共産主義に対する非常な反感を持っているので、それがあの人が保安庁長官になった一つの理由だろうと思っているくらいです……私は、共産主義をやっつけるのは、結局新聞と大学教授……これだけの頭の切り替えができればなんでもない、ということを言ったことがありますが、そういうようなもので、結局大学教授と新聞、特に大新聞が、共産主義をはびこらせないような頭になれば、そう心配することはないです。いま一番心配するのは大学教授と大新聞の中にいる赤の分子で、これだけを気をつければよいのです。他にはなにも力になるものはないのです。大学では、京都大学に根強いメンバーがあるのです。だから京都大学には、いまもって始終ゴタゴタがあるのです。では、いったい大学教授なるものが、なんでそんな宣伝をするかというと、日本が共産国家になれば政府が変わりますから、その政府になれば、日本をそうするのに骨折った人の論功行賞がある場合に、大学教授は少なくとも知事くらいにはなれるのです。中には国務大臣ぐらいになるでしょう。それが一番出世が早いのです。それでなければ、教授連中が正直に講義して、安月給をもらったところで、たいした出世の道はないのです。大学の総長になるということはたいへんですから、一番手っ取り早い出世は日本を共産国にして、その政府の重要な職になるということなのです。ですから、つまり日本の国家とか国民ということは頭にないので、自己が出世することだけです。それには政府を変えてしまうということが主なる目的なのです。それはすっかり話し合って、通じてやっているのです。それはごく中心ですが、その他に、良い考えでやっているのもあるのです。本当に世の中を良くするというのには、共産主義が一番よいという考えです。これも理屈はあるのです。それは、神はないと、神を無視する無神思想とすれば、理屈よりないから、理屈でゆけば共産主義が一番よくできているのです。「最大多数の最大幸福」というのですから、つまり中以下の下層階級が一番多いのですから、それを幸福にするというのが共産理論の根本です。しかし事実はまる呑みにはできないのです。というのは、中共などが共産国家になったところで、人民全部が菜っ葉服を着て、ああいう着物を着ようとか、こういう着物を着ようという個性は非常に圧迫されているわけです。ちょうど昔の朝鮮が白い一定の形をした服を着てましたが、それを中共がまねしたようなものです。その代わり、食うだけは心配なく、学校はただで行けるし、教科書もただでもらえるし、税金なども日本のようにビクビクすることはないです。だから、大多数の者はそうとう幸福です。その代わり、少し頭のある者や腕のある者は困るのです。どうしても政府の重要な人間にならなければ、個性を発揮することはできないのです。しかし理屈から言えば、多数の人間が幸福になるのだから、理屈はよいです。その点においては、この理屈を壊すということは難しいために、いまもってああいった学者階級、学生というものが共産主義を非常に讃美するわけです。これはわれわれのほうで宗教的に言えばぜんぜん違いますが、物質的にはそうなるのだから、そこでどうしても若い学生などがそれに乗りやすいわけです。そういう意味と、それから労働者階級ですが、これは賃金だけのことです。いままでよりも賃金を増やせというわけなのですが、それには資本家を困らしてウンと賃金を上げる、それにはお前たち共産主義になれというのですから、これはどっちかと言うとたわい<ヽヽヽ>ないもので、根強いものではないのです。しかし、一つの外郭団体として、なにしろ数がありますから、そうとう大きな役目はしているわけです。この間の新聞にも出てましたが、武力革命でそうとう根強くやっていて、以前は密輸してましたが、いまは製造しているのです。どこか山の中に籠もってやっているのでしょう。とにかく武器の製造ということは、だいぶ関心を持ち始めたようです。そうして結局日本の武力革命をやろうと思っているのです。いま話したことは、ごく根本的ではない枝葉的のことで、根本はどうだというと、これはソ連です。共産主義というものも一つの宗教で、これは無神宗教です。だから本山はつまりクレムリンですから、本山の意向というものは、これはスターリン時代からそうですが、アジアを鉄のカーテンの中に入れようというのが大方針なのです。そのキッカケ<ヽヽヽヽ>として朝鮮問題を起こして、北鮮から南鮮を併合してその形勢によっては……アメリカがあれほど腰を入れなければ……日本を侵略するつもりだったのです。急にアメリカがあれほど一生懸命にくい止めをやったので、あれはソ連のほうの見込み違いなのです。あれほどアメリカが急に力を出してくい止めるとは思わなかったのです。釜山まで押し込めて、それこそ海の中に落としてしまって、朝鮮全土はソ連の勢力範囲に入れるということが九分九厘まで成功したので、いい気持ちになっていたところが、アメリカが連合軍を作ってくい止めるばかりか、アメリカのほうで、積極的に中共のほうをやっつけてしまおう、という政策をとったのがアイゼンハウアーで、そうしてアイゼンハウアーは大々的軍備にとりかかって、南鮮、日本とやって、蒋介石は勿論、ついには中共を包囲して大攻撃をやろうとしたのです。それで、中共はいままでさんざんやって疲れているから、大攻撃をやられてはたいへんだから、アメリカの手を緩めなければならないので、あのときの大使マリクが休戦会議を唱え出したのです。そうしてとにかくアメリカの鋭鋒をくい止めなければならないということで、しゃにむに平和攻勢というのをやったのです。だから、アイゼンハウアーなども非常に計画が違ったのです。だからそれを最初のとおりにやろうとしても、なにしろ英国からフランスあたりが、とても戦争を嫌うからして、アメリカに対して猛運動をやったわけです。チャーチルなどもずいぶんやったようです。そのためにアメリカは、世界の世論がピッタリ合わないとしっかり腰を入れてできないから、それではというわけで、ともかくも緩めたわけです。その点はソ連のほうは成功したわけです。しかしいくら平和攻勢をしても、平和にしようというのではないし、平和になったのではないのです。つまり引き延ばしで、時を稼ぐためです。そこで朝鮮会談にしろ、いまやっている四国会議にしても、中共を入れろということをしきりに言ってますが、それは中共を入れないということは分かってますから、それをそういうことを言っているのは、引き延ばしです。そうして引き延ばしをやっていて、中共が疲れているのを回復しているわけです。今回ようやく疲れが治ったので、方針を変えたわけです。というのは、ホー・チミン軍がインドシナを攻撃してますが、それが今度はそうとう強いのです。これには中共がそうとう武器を援助したのです。いままでないような武器を使っています。そこで、たまらない<ヽヽヽヽヽ>のはフランスです。フランスは七、八年あれをやっているので、たいへんな金を使って、将校などを殺し、フランスはいまへトヘトです。だからフランスの内閣が変わるのは、それがもっともの原因ということになってます。そういうわけで、ソ連の目的はインドシナをやっつけて、今度はタイ国をやろうとしてます。ですから最近タイ国は国境線に非常な軍備をしてます。タイ国をやっつけて、今度はインドを狙っているのです。そこでインドは、いずれはやられるということが分かっているから、ネールはよほど以前からお世辞をつかってます。ですから、そうなったらインドとは平和的の条約を結ぶということになるでしょう。そうしておいてイラン、イラク、アラビアのほうに進出するわけです。そこまでゆかないまでも、あるいはインドぐらいまでで一時止<や>めて、今度はふたたび南朝鮮と日本ですが、あるいは南朝鮮のほうは後にして、日本のほうを先にするかもしれません。だから、いまはまだまだですが、いずれは日本は非常に危ないのです。それがうすうす分かっているから、そこで日本の軍備を大いに充実しようと思って、アメリカなどが非常に吉田内閣にやってます。それでしぶしぶながら政府も軍備をやりつつあります。ところが、ソ連のほうが来るそれまでは、日本に軍備を充実させてはいけない、日本を弱らせなければならないというのでやっているのが、社会党左派です。共産党はそうでもないが、とにかく表面立ってやっているのが社会党左派です。しかし左派は、とにかく日本をやっつけようというばかりでなく、日本はソ連にくっつけておこうというわけです。ですから鉄のカーテンの中に入る、要するに第二の中共になれば、ソ連は日本を攻撃することはないのだから、そこで軍備の必要はないと、再軍備反対を一番唱えてますが、社会党左派の方針でゆけばそれには違いないです。ところが、そうすると日本は共産国になりますから、日本人で共産政治のほうを喜ぶ人は、ずっと少ないと思います。やはりアメリカのやり方に賛成する人がずっと多いです。そこで共産主義のほうもそう急いではいないのです。いまこれからやろうというのは、いま言う中央アジア方面をすっかり手に入れておいて、日本と南朝鮮を孤立的の形にして、できるだけアメリカが援助しないような妨害をするということや、なんとしても日本はアジアの急所ですから、肚の中では一番に日本を目掛けているのです。またそれが分かっているから、アメリカは日本を非常に援助しているのです。ところがアメリカが援助しては具合が悪いから、アメリカを非難するような宣伝もだいぶしてます。そういうようで、これからの世界の動きは、そういうふうに動いてくるわけです。これは霊的のことではなくて体的のほうです。むしろ常識的のほうで、ちょうどラジオのニュース解説のような話ですが、だいたいそれだけを知っておけば、これからの見当がつくわけです。神様のほうの、霊的のほうは違うのです。これはだんだん分かりますが、神様のほうは、なかなか神秘明かすべからずなのです。しかし救世教の進み方によってだんだん分かってきます。そしていま言ったことも、結局神様の世界の御経綸ですから、それでよいのです。共産主義というのは、神様の大きな御用をしているのです。大本教のお筆先に「細工は流々、仕上げをごろうじろ」というのがありますが、そういうようなものでしょう。

 次にいま騒がれているのは汚職問題ですが、これについて書いてみました。これは無神連中とすれば、汚職問題が出るのがあたりまえです。神様がないとすれば、できるだけずるいことをして、自分が贅沢したり出世したほうが得です。私でも、もし神様がないと知ったらそういうふうにします。そのほうが得です。ところが神様を知ったらそういうことはできないので、損です。やっぱり神様の言われるとおりやっているはうが得ですから……。信仰を算盤<そろばん>上からゆくようですが、それでも結構です。結局人間は算盤上からゆけば一番よいのです。一番間違いないです。日本が戦争に負けたのも、つまり算盤の失敗です。実に算盤上からいって合わないことをやったのです。しかし、算盤と言うとたいへん卑しく聞こえますが、神様のほうでも算盤です。つまり大中小と比べて、やっぱり神様は大のほうに一番力を入れるのです。ちょうど医学や薬が悪いと言ってますが、それがために失業したりして苦しむ人よりも、病気がなくなって健康になる人がずっと多いですから、多数の人のほうの利益を図ったほうがよいわけです。「小の虫を殺して大の虫を助ける」というわけで、これもやっぱり算盤です。

  (御論文「汚職の母体」朗読)〔「著述篇」第一二巻二二九─二三二頁〕

 これは新しいお説教ですが、汚職問題などで騒いでいるのは滑稽なくらいです。それで、汚職問題の原因は無神思想に決まっているのですから、その無神思想を少しもやっつけないで、結果である汚職だけを騒いでいるのです。これを二一世紀ぐらいになったら、二○世紀の奴らはなんて馬鹿だったろうと……ちょうどわれわれが徳川時代の封建時代のことを見るのと同じような感じがするだろうと思います。いまよく歌舞伎芝居などを見ても、屁のようなことで腹を切ったりしてますが、ナンテ馬鹿馬鹿しいことかと思います。しかしその時分はそれが立派な忠臣として讃美されたわけです。ですから汚職問題も、もう五〇年か一〇〇年たつと、やっぱりそれと同じように見られると思います。

 空から、医学についてもいままでずいぶん書いてきましたが、いままではあんまり思いきって言うのは、誤解したりいやに目をつけられたりするから、こっちもなるべく柔らかくしてましたが、もう時期も変わってきたし、そういうことを言っていては追いつかないから、思いきって医学について批評してみました。

 (御論文「私は告白する」朗読)〔「著述篇」第一二巻二八九―二九二頁〕

「『御教え集』三十一号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p201~208」 昭和29年02月15日