〔 質問者 〕キリスト教の信者であった夫婦が本年一月一一日に奇蹟集を見てまいり……胸部疾患でございますが御浄霊にて元気になっております……。三〇日に私不在中、御浄霊御礼を「御浄霊御玉串」「御浄霊御礼」と二つ書きますと、向かって右側に同じ文字が白く現われたそうです。その人は肩上がりの文字ですが、現われた白の文字は肩下がりになっております。教会の奉仕者にも同じように見え、私にも見えますが、私のは「御玉串」とだけ見えます。どういうわけでございましょうか。
【 明主様 】きっとキリストが書いたのでしょう。キリストもよく分かっているから、つまりキリストとしての奇蹟を見せられたのです。
〔 質問者 〕弟もキリスト教信者で、米国のキリスト教の大学に在学中だそうです。救世教の話をすると、弟を呼び学校をやめさせると勢い込んでおります。
【 明主様 】やめさせてもよいです。ただ語学がうまくなるくらいなものです。しかしやっぱりキリスト教信者はキリストが守護するのです。キリストは私の弟子なのだから……つまり救世教に働かせようとして、親分がいよいよ世界的の仕事を始めるから……キリストもウカウカしておられないというわけです。結局いままでの偉い聖者というのは、みんな総がかりで働くのです。人間ではそういう奇蹟はできないですが、キリストならそのくらいの奇蹟はできます。
▽次節に続く▽
「『御垂示録』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p19~20」 昭和29年02月01日