昭和二十九年二月一日御講話(16)

 〔 質問者 〕二五年一一月入信の信者。入信少し前から頭がぼやっとしておりました。御浄霊をいただき指先が痺れるようになり、浄霊で思うようにゆかず、親戚、親の意見でN医大に入院、筋肉萎縮硬化症にて治らないから駄目だということで退院し、それから信仰を一生懸命にさせていただいております。体中が痺れ、いまではぜんぜん動くことができません。霊的原因があるのではないかと思われます。

【 明主様 】最初はどの指ですか。

 〔 質問者 〕指先全部で、最初は一節でしたが、二節、三節という具合になってまいりました。

【 明主様 】霊的ですが、そういう霊は、毒で自殺して死んだ霊です。それで強い毒は体がぜんぜん痺れてしまうのです。その霊が憑って、最初は人間のほうにも生きる力があるが、そのうちにだんだん霊と同化してしまうようなものです。それでちょうど死んだときと同じ状態になってしまうのです。それは治らないことはないです。一番に浄霊するのは頭ですが、それで気長にやれば、つまり霊の、死霊の毒を浄霊するわけです。それは医者では分かるわけがないです。前にそういうのがありました。その霊は、ときどき霊が憑依するのですが、そうすると体がピタッといって、それがひどいのです。たとえてみれば、私がこうしているときに霊が憑ると、このままでどうすることもできないのです。立っているときは立ったまま、寝ているときは寝たまま、坐っているときは坐ったままです。それでふだんの憑っていないときは、あたりまえのままです。それで最初はそういうときに注射したのですが、注射すると一時は良くなるのですが、そのうちにだんだん痺れている時間が長くなって、心配になって私の所に来ました。そのときは私も浄霊をし始めて間もないときで分からなかったし、少しは良いようだったが、そのままになって、死んだかどうかは分かりませんが、後になって毒で自殺した霊ということが分かりました。

 〔 質問者 〕ただいまの、霊が憑依しているときに注射すると一時楽になるという場合には、
霊はどういうようになるのでございましょうか。

【 明主様 】肉体のほうが変わるからです。つまり痺れるということは肉体ですから、霊は別に痺れることはないです。肉体に反映する場合に、薬なら薬が、一つのなにかの作用をするのでしょう。西洋でも昔からよくあります。発病した場合に薬を始終持っていて使用する。注射をしなかったり服まなかったりすると引っ繰り返ってしまうというので、西洋の小説かなにかにあります。

 〔 質問者 〕その薬というのは、血管を無理に拡げるとかいうものでございましょうか。

【 明主様 】そうではないのです。
 『巌窟王<がんくつおう>』ですか、牢屋に入っていて、その薬を服むと一時意識不明になるという、ああいう薬の働きというものは、どういう働きだか分かりませんが。

 〔 質問者 〕そこのところが不思議な感じがいたしまして、

【 明主様 】やっぱりなにか……そういうものでしょう。眠いときにカラシでもなめるようなものではないですか。西洋にはよくあります。いまの痺れたというのも、やっぱりそういう薬です。痺らす薬もあるのだから、一時的痺れをなくする薬というものはあるわけです。そこで薬迷信というものができてしまったのです。たしかに効くのですから……。それは薬の効くということもたいしたものです。ただ、治って効くのでなくて一時的だから、それだけの話です。

 〔 質問者 〕精神療法の電撃療法というのも、やはりそういったものでございましょうか。

【 明主様 】その理屈です。唯物科学のほうだから……。私は若い時分にアンチピリンを服みましたが、この中毒というのは怖いもので、体中が痒くて落ちついていられないのです。飛び上がるようで、実に苦しいものです。それで夜中じゅう苦しんで、朝になって医者に行ったところ「そうか、分かった」と言ってなにか薬をくれたのです。それを服んだら二、三十分でサッと治ってしまったのです。だから薬というものは怖い物だし、またありがたい物だと思いました。

▽次節に続く▽

「『御垂示録』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p31~33」 昭和29年02月01日